リビングの壁の一面だけマスタードイエローに塗り、アンティークの重厚な木製家具。
そこかしこにカラフルでエキゾチックな装飾品。
カイは衣服だけでなく、インテリア方面でも独特のセンスの持ち主だった。
家じゅうあちこちに散らばる物たちを目にするたび、ため息をついた。
バランスと配色を計算した上でディスプレイした雑貨の合間に、美顔ローラーだとか手袋だとか、チョコレートの箱だとかが放り出されている。
「出来たよー」
ドアをノックして声をかけると、カイはエプロンを外した。
「お待たせ、今夜は何かなぁ?」
ぶかぶかのスウェットの上下を着たユーキが、カウンターテーブルについた。
荷物から着替えを見つけ出せなかったユーキに、自分のスウェットを貸してやったのだ。
カイは、よく冷やしたワインを、それぞれのグラスに注いでやる。
「ドレッシングをそんなにかけたらさ、意味なくない?」
「他に食べないから、許容範囲」
「あっそ」
ボウルいっぱいのサラダと格闘するユーキに、カイは呆れた視線を送る。
ユーキは年の離れた姉だ。
年齢の話題を出すと、鉄拳が飛んでくるので口をつぐんでいる。
スウェットの袖から出る手首も、片膝を立てているせいで露わになったふくらはぎも、ほっそりとしている。
色素が薄そうな髪の色、切れ長の大きな目を縁どる羽のようなまつ毛、長身。
カイとユーキはよく似ている。
カイと違って、ユーキの肌がほんのり日焼けしているのは、長年南方で暮らしていたせいだ。
ユーキは美容に関することなら 貪欲な興味を示し 積極的な情報収集の末、その技を身につけようと世界中を飛び回った。
その知識豊富さとテクニックを活かして、エステティシャンになり、これからサロンで働くことになっている。
カイが小学生の時には、ユーキはすでに成人して家を出ていた。
得体のしれないマッサージオイルや、何かを練りこんである不気味な石鹸を送りつけてくるので、家族全員で閉口していた。
恵まれた容姿を活かして、臨時収入目当てにモデルもやっていたらしい。
それもファッションモデルではなく、画家や彫刻家のモデルだと聞いたとき、カイは姉らしいと思った。
男運もなく、毎回ロクでもない男にひっかかっては泣いていたっけ。
数年前も大失恋したとかで、大荒れのユーキの面倒をみるため、両親に代わって現地まで出向いたこともあった。
10代にしてカイは、どんな言葉をかけてどう扱えば、女心をくすぐらせるのかを、会得していた、必然的に。
どんな心境の変化で、カイの住む街へ引っ越してきたのかは、彼女に尋ねたことはない。
(失恋でもして、新しい環境に身を置きたくなったのだろう)
カイは自分用の白身魚のソテーに、ナイフを入れる。
皮目をカリカリに焼いた香ばしさに、「我ながら美味い」と舌鼓をうつ。
「失恋」のワードから、カイはある出来事を思い出していた。
半年前の終業後のことだ。
忘れ物をとりに職場に戻った時、保管室から声がする。
開いたままのドアからのぞくと、シヅクさんがデスクに顔を伏せて大泣きしていた。
「うえーん、えーん」なんて、漫画の世界みたいな泣き方と音量だった。
こんなに派手な泣き方をする人は初めて見た。
(凄いや...)
感心しながらも、僕の中にいたずら心がむくむくと湧いてきた。
そーっと足を忍ばせて、シヅクさんの背後に立って、両肩を叩いた。
「わっ!!」
「うわっ!」
とびあがるほど驚くって言葉そのもの。
「びびびびっくりしたぁ」
シヅクさんの涙は止まっていた。
「一緒に飲みに行きませんか?」
シヅクさんはしばらくぽかんとしていたけど、真っ赤な目のままにっこり笑った。
「お、おぅ!
行こ行こ!」
ずんずん歩く彼女の後を追いながら、僕も笑顔だった。
シヅクさんが泣いていた理由は、簡単に察せられた。
とうとうタキさんにフラれたんだ。
シヅクさんは分かりやすい。
さっきまで泣いていたのに、面白い人だ。
「私は酒が強いよ~。
果たしてカイ君はついてこられるかな?」
「え~、僕はワインだったらボトル半分が限界です」
「よっわいなぁ。
まーいいや、私が代わりに飲んでやる。
カイ君はジュースでも飲んでなさい」
その夜、酒が強いと豪語してたくせに、ベロベロに酔っぱらったシヅクさんを抱えて帰る羽目になった。
シヅクさんとのおしゃべりは楽しかったから、介抱も苦じゃなかった。
シヅクさんの失恋を利用する形になっちゃって、申し訳なかったけど。
・
「カイ君、ちょっといいかな?」
翌日、シヅクさんに声をかけられた。
「どうしたんですか?
二日酔いしてないんですね。
ほんとにお酒が強いんですね」
「ハートが弱ってたせいだ、あれは、うん。
あれだけの量で酔っぱらうなんて、面目が立たないよ」
そこで、シヅクさんは言葉を切った。
「あのさ。
カイ君、
ありがとな」
シヅクさんの言葉が嬉しかった。
「また、飲みに行きましょうよ。
次は、僕の話を聞いてくださいよ」
「あはは、そうするね。
しっかし、カイ君。
あんた、モテるでしょ?」
「どうかなぁ」
「とぼけるなとぼけるな」
と、以上がシヅクさんとの距離がぐんと近づいた出来事だ。
シヅクさんは、1年くらい前にどこかの施設からここに出向してきた。
タキさんと組んで、資料保管やデータ管理を行う部署に配属された。
作業着に着替えてドームへ出て、僕を手伝ってくれることもある。
髪が短いから、グレーのつなぎと長靴姿だと、まるで少年みたいだ。
この職場では、僕は一番年少だったこともあって、周囲に頼りやすい立場だ。
面倒見のいいシヅクさんに、いかにも年下面して絡んだりして。
人それぞれキャラクターの役割があるから、「新人君」のふるまいは、職場の空気を和ませるんじゃないかと、僕は考えている。
僕はとりたて、年上好きじゃない。
でも、シヅクさんは面白いひとだなぁ、って、興味を持っていた。
方言交じりの男っぽい話ことばや、スカート姿を一度も見たことはないけれど、シヅクさんの内面はうんと女性らしいと思う。
タキさんにフラれたシヅクさんは、仕事ぶりはいつも通りで、タキさんとのコミュニケーションもうまくやっているみたいだ。
そんな姿も、いいなぁって思った。
他のスタッフたちにはバレないよう、さりげなくシヅクさんを見ている。
ぐいぐいとアピールしたら、きっとシヅクさんは困ってしまうだろうから。
そういえば、チャンミンさんも同時期にここに入職してきた。
ぼーっとしていて無表情な人で、他のスタッフたちと交わることもなく、いつも独りでいた。
そんなチャンミンさんの態度に構わず、僕は話しかけてるんだけどね。
無口なチャンミンさんだけど、尋ねたことには答えてくれるし、勉強家で賢い人だと思う。
最近のチャンミンさんは、いつもと違う感じになってきた。
言葉数が多くなってきたし、笑顔を見せるようになった。
ぼんやりしているのは変わらないけど、以前は無心のぼんやりだったのが、最近のぼんやりは、明らかに考え事をしているみたいだ。
今日のチャンミンさんの目付きで、僕は気づいてしまった。
僕とシヅクさんが油を売ってたところに出くわした時の、チャンミンさんときたら。
これまでチャンミンさんには、職場で特に親しい人はいなかったはず。
だから、腹をたてる対象もいなかったはず。
それなのに、シヅクさんに苛立った態度を見せたり、無視したりして。
チャンミンさんの僕を見る目には、怒りがこもってた。
チャンミンさんに何か失礼なことしちゃったかな、ってふり返ってみたけど何もない。
先週、「恋わずらいですか?」ときいた時の、チャンミンさんの表情と、今日のエピソードをリンクさせてみて、僕は結論を出しましたよ。
チャンミンさんったら、分かりやすいです。
もしかして、僕が原因?
チャンミンさん、シヅクさんのことが好きですね。
料理をする間外していたリストバンドを、エプロンのポケットから出した。
(シヅクさんに電話をしてみよう)
時刻はまだ21時。
夕飯も済んだ頃で、寝るには未だ早い、大丈夫だ。
ナンバーは登録してある。
発信音を5回聞いたところで、呼び出しを終了させた。
これ以上は、しつこい。
サラダを食べ終わった姉ちゃんは、ソファに寝そべってタブレットを見ていた。
ソファの側にも、箱が詰まれている。
「姉ちゃん、週末手伝ってやるからさ、共用スペースのものは一掃しちゃってよ」
「わかったわよ」
散らかったものは全部、姉ちゃんの部屋に押し込んでしまおう。
結局、姉ちゃんの世話をすることになるんだよね、僕は。
[maxbutton id=”1″ ] [maxbutton id=”10″ ]
[maxbutton id=”2″ ]