(54)TIME

 

 

「寒い...寒い...」

 

シヅクは布団にくるまって震えていた。

 

(悪い予感的中。

真冬の滝行で、熱を出しても当然のこと、か)

 

何か温かいものを口にしたかったが、悪寒と高熱でキッチンに立つことさえしんどかった。

 

(喉が渇いた...しかし...冷蔵庫が...遠い。

 

私はこのまま死んじゃうのかな。

 

これだから独り身は辛い。

 

セツを呼び出そうかな...駄目か...チャンミンとのことをあれこれ質問攻めされるのは辛い)

 

 

うだる頭で悶々としていると、枕もとに外しておいたリストバンドが振動した。

 

気怠い手を伸ばしてスピーカーフォンに切り替えた。

 

 

「はいはい」

 

『シヅク?』

 

 

(この声は...チャンミン!?)

 

 

「はいはい。

どうした?

 

おりこうさんしてるか?

腹減ったのか?

ちゃんとご飯食べるんだよ。

 

あのな、私は死にそうだから、あんたの相手はしてあげられないの。

じゃあな」

 

 

シヅクは抑揚つけずに一気に話すと、通話を打ち切ろうとした。

 

 

『死にそうって、どういうことだよ!』

 

 

チャンミンの大声に驚いて、シヅクは枕に沈めていた頭を起こした。

 

 

「うーん...風邪ひいたっぽいんだ。

だからごめんな、もう寝かせて」

 

通話終了ボタンを押そうとしたら、

 

 

『部屋は何号室?』

 

 

「は?」

 

 

『部屋の番号を教えて』

 

 

(うるさいなぁ)

 

 

「なんで?」

 

 

『いいから、早く教えろ!』

 

 

チャンミンの剣幕に押されて、シヅクは部屋番号を伝える。

 

 

『今、シヅクのマンションの下にいるんだ。

エントランスのドアを開けて!』

 

 

(マンションの下に、チャンミンが来てる?)

 

 

「わ、わかった」

 

 

(家に帰ったんじゃないのかよ。

なんでチャンミンがここに来てるんだよ。

うー...キツイ...)

 

 

熱で朦朧としているシヅクは、これ以上の思考は断念した。

 

数分後ドアチャイムが鳴ったが、シヅクには玄関先まで立ち上がれない。

 

 

(ここまで来やがった。

今はチャンミンの相手をしてやれないんだよ。

無視していれば、そのうち帰るだろう...)

 

執拗なチャイム音に、シヅクは布団を頭までかぶった。

 

痺れをきらしたチャンミンから、電話がかかってきた。

 

 

『シヅク!

早くドアを開けろ!』

 

 

「るさいなぁ」

 

 

シヅクはリストバンドを操作して、玄関ドアを開錠させた。

 

 

「開けたから、勝手に入っておいで」

 

 

シヅクはそれだけ言うと、通話を切ってかたつむりのように身体を丸めた。

 

(具合が悪すぎて、面倒くさいチャンミンの相手なんかできないんだよ、今の私は。

それにしても寒い!)

 

 


 

 

ドア脇のランプが緑に変わったのを確認すると、急く気持ちを抑えながらチャンミンはシヅクの部屋に足を踏み入れた。

 

 

(女性の部屋を訪ねるのは、初めてだ。

シヅクの家も初めてだ。

緊張する)

 

 

「おじゃまします」

 

小声でつぶやくと、照明がしぼられた奥の部屋へ進む。

 

 

(意外だな)

 

 

シヅクの部屋は、がらんと何もなかった。

 

ごちゃごちゃと物にあふれて散らかった部屋を想像していたのが、予想が外れた

 

 

広いワンルームの一番端にベッドがあって、布団がこんもりと膨らんでいる。

 

チャンミンは買ってきたものをキッチンカウンターに置いて、ベッドまで近づいた。

 

ベッドの端に腰を下ろし、頭の先まで布団をかぶっているシヅクを見下ろす。

 

 

「シヅク?」

 

布団をそっとめくると、シヅクが真っ赤な顔をして臥せっていた。

 

 

「辛いのか?」

 

薄っすらとシヅクは目を開けた。

 

 

「寒い。

布団をかけて」

 

 

シヅクの額に手を当てると、案の定とても熱い。

 

 

「病院で診てもらおうか?」

 

「病院は、嫌い。

明日の朝まで様子をみる」

 

「僕の時は、無理やり連れて行ったじゃないか」

 

「あんたはあんた。

私は私」

 

「なんだよ、それ...。

担いででも、連れていくよ」

 

 

シヅクは、布団に隠れた右足首の状態を思い出して青ざめた。

 

外したままの足首から先は、洗面所に置いたままだ。

 

(チャンミンにバレないようにしなくては!)

 

 

シズクの両膝と肩の下に手を差し込まれた途端、「離せ!やめろ!」と大暴れする。

 

 

「シヅク!

大人しくしてったら」

 

「このまま寝かせてぇ」

 

 

(布団から出るわけにはいかないのだ)

 

 

抱き上げかけたシヅクのほかほかに熱い身体を、そっとベッドに戻す。

 

(シヅク...パジャマ)

 

 

薄いグレーのパジャマを着たシヅクは、髪を乾かさないまま寝たせいか、短い髪が盛大にはねている。

 

 

熱のせいで潤んだ瞳が不謹慎ながらも、色っぽいと感じたチャンミン。

 

(う...。

お腹の底がうずうずする...)

 

 

チャンミンは立ち上がると、頭をがしがしかきむしりながら、キッチンカウンターに置いた買い物袋の中を漁る。

 

 

そして、取り出した冷却シートを、シヅクの額に貼ってやった。

 

(うっ...)

 

第二ボタンまで開いた、シヅクのパジャマの胸元から目をそらす。

 

(目の毒だ。

ボタンを閉めないと...)

 

「...ったく」

 

チャンミンはシヅクの胸元に伸ばしかけた手を、瞬時に引っ込めた。

 

(いかにもシヅクらしいことを、しないで欲しい)

 

パジャマのボタンが1段ずつずらしてかけられていた。

 

(ボタンをかけ直してやるのは...僕には...できない)

 

 

「布団をかけろって、寒い!」

 

「ごめん!」

 

 

シヅクの後頭部に向かって、チャンミンは声をかける。

 

 

「どうして欲しい?」

 

「......」

 

「食べられるものはある?」

 

「......」

 

「プリンとゼリーと、どっちがいい?」

 

 

「チャンミン、帰れ」

 

 

シヅクは右足首の先が気になって仕方がない。

 

 

「嫌だ」

 

 

「チャンミンのくせに生意気だぞ」

 

 

「ははっ。

この前のお返しだから。

シヅクの要望にだいたい応えられるよう、いろいろ用意してきたんだ。

何でもあるよ。

で、何が欲しい?」

 

 

「ラーメン」

 

「ラーメンは...ない」

 

 

「冗談に決まっているだろ?

ラーメンなんか食べられるわけないだろうが」

 

 

「そうだ!

シヅク、熱を測ろう!

体温計も用意してあるんだ」

 

 

チャンミンはキッチンカウンターから、買い物袋ごと持ってベッドに戻ってきた。

 

「ほら、脇に挟んで」

 

「うーん...チャンミンがやって」

 

「え!?」

 

「チャンミンにできるわけないよね、貸して、自分でやる」

 

 

「薬にアレルギーはないよね?

熱覚ましの薬を飲もうか?」

 

ギュッと目をつむったシヅクは、こくんと頷いた。

 

「水がいるね」

 

キッチンカウンター下の扉をバタバタ開けて、ようやくグラスを探し出し、水道の水を汲んでシヅクの元へ戻る。

 

 

「はい、薬だよ。

身体をちょっとだけ起こせる?」

 

「...無理。

口移しで、飲ませて」

 

「えっ!?」

 

「冗談だよ」

 

 

(具合が悪いくせに!

そうそう氷枕!)

 

 

冷凍庫の中を見て「やっぱり」とつぶやくと、買ってきたばかりの氷をボウルに出す。

 

(シヅクの冷蔵庫の製氷皿は空っぽだろうと、予想した通りだった)

 

「頭を上げるよ」

 

シャラシャラと氷がぶつかる音をさせるゴム製の枕に、シヅクの頭を乗せる。

 

「このままじゃ冷たいよね。

タオルを巻こうか。

洗面所は...?」

 

 

「タオルはいらん」

 

 

チャンミンの手首をシヅクの熱い手がつかまえた。

 

(洗面所に行ってもらったら困るんだ)

 

 

「わかったよ。

体温計を渡して。

 

うーん、38.5℃か。

これは辛いね」

 

 

(チャンミンが、優しいよぉ、ぐすん)

 

チャンミンの声音が優しくて、看病する手がぎこちなくて、朦朧とした頭であっても泣きそうに感動していた。

 

 

チャンミンは床に腰を下ろすと、ベッドにもたれた。

 

「用があったら、僕を呼びなよ」

 

「私のことはいいから、早く帰れ」

 

「嫌だ」

 

「もう欲しいものはない。

来てくれて、ありがとうな。

寝れば治る。

バイバイ。

帰りな、チャンミン」

 

 

「僕はシヅクの看病をするって決めたんだ。

だから、帰らない」

 

「......」

 

 

横になったシズクから見えるのは、チャンミンの後頭部。

 

膝の上に置いたタブレットが放つ青白い光が、チャンミンの顔を照らしていた。

 

 

「チャンミン...一緒に寝るか?」

 

 

「え?」

 

 

振り向くと、熱のせいでうっとりとした表情のシヅクがこちらを見ていた。

 

 

「私と一緒に寝るか?

 

ここに」

 

 

「......」

 

 

「こら。

何を想像してた?

顔が赤いぞ、チャンミン」

 

「シヅクの方こそ、真っ赤っかだよ」

 

「熱があるんだから、当然だろうが」

 

そこまで言うと、シヅクは眠りについた。

 

 

ふうっとチャンミンはため息をついた。

 

 

ベッドにあごをのせると、目の高さにシヅクの寝顔があった。

 

 

眉間にしわを寄せて苦しそうで、シヅクの熱い息が感じられるほど、その距離は近かった。

 

 

チャンミンは、人差し指でシヅクの眉間のしわをのばした。

 

 

閉じたまぶたに、その指を移した。

 

 

指の下で、まぶたがふるふると震えている。

 

少しだけ上を向いた小さな鼻先まで指を滑らす。

 

 

苦しいのか軽く開いた上唇に、チャンミンの震える指先が触れた。

 

 

熱い息がかかる。

 

 

チャンミンの心臓は早鐘のように、速く強く打っていた。

 

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