(16)TIME

 

「おはよう、シヅク」

出勤してきたシヅクが資料室のドアを開けると、タキがヘラでボウルの中身をかき混ぜている。

「タキさん、早いですねー」

シヅクはロッカーから、仕事用のジャケットに羽織る。

普段、始業時間の1時間前には出社しているシヅク。

自分より早く、他のスタッフが出勤しているのは珍しい。

「昨日は、大わらわだったからね。3時間のロスを取り戻しているんだよ」

植栽場の地下にある排水パイプが詰まり、大量の水が逆流したトラブルのことだ。

「大変でしたよね、昨日は...ふわぁぁ」

シヅクが大あくびをすると、タキはぷっと噴き出す。

「寝不足?」

「ちょっとだけ」

​「目が充血してるよ」

おとといの夜は、病院でチャンミンに一晩付き添い、昨日は興奮し過ぎで寝付けず、シヅクは睡眠不足だった。

「濃いコーヒーを飲んできま...ふぁぁぁ」

​「ははは。僕もこれが終わったら、一杯もらおうかな」

「はあい」

タキは、バッドに据えられたシリコン製の型に、ボウルで混ぜていた粘性の高い液体を注ぎ込む。

植栽場で採取された種子を、アクリル樹脂で封じる作業。

アクリル樹脂に閉じ込められた種子は、数十年、数百年後に取り出され、芽吹くだろう。

時を閉じ込じこめる作業だ。

シヅクは、空気が入らないよう、慎重にボウルを傾けるタキを後に、廊下へ出る。

(眠い...眠い...眠すぎる...)

シヅクは首を回しながら、電気ポットのある事務所へ向かった。

築100年を超える老朽化はなはだしいこの建物は、経費の都合上、備品もクラシカルだ。

(おっと!)

デスクで頬づえをついているチャンミンがいた。

(チャンミン!)

顔がほてるのがわかる。


チャンミンも昨夜なかなか寝付けず、悶々として朝を迎え、職場が開錠する時刻になるや出社してきたのであった。

ぼんやりと無心でいるのは、いつものごとくのチャンミンだったが、胸の辺りがざわざわとして、落ち着かない。

ゆったりと落ち着いているように見えたとしても、実際はチャンミンの心臓は高まっていった。

つまり、チャンミンは、シヅクが出勤してくるのを、「待っていた」のだ。

(緊張するなぁ。

最初は、おはようの挨拶して...次に何話そうかなぁ)

一方、不意打ちのチャンミン登場で、シヅクの眠気はあっという間に消えてしまった。

「おはよ、チャンミン!」

何気なさを装ってシヅクは、元気よくチャンミンに声をかけた。

「......」

チャンミンは、気づかない。

(無視かよ!)

肩すかしをくらって、シヅクはムッとして、ガチャガチャと乱暴にカップを用意し始める。

(いつものチャンミンに戻っちゃってる。

なんだよ~、意識してるのは私だけかよ)

シヅクは、インスタントコーヒーにを自分のマグカップにスプーン3杯入れ、タキ用に2杯、チャンミンの方を振り返って、

(しゃあないな。優しいシヅクさんだから)

と、チャンミン用に7杯入れ、ポットからお湯を注いだ。

(くくく、とんでもなく、苦いやつを作ってやったぞ)

小さないたずらにシヅクはニヤニヤしながら、

「チャンミン、はいどうぞ」

​ぼ~っとしているチャンミンのデスクに、マグカップを置いた。

チャンミンは目の前のマグカップを見、それから振り仰いでシヅクを認めると、

 

​「!」

 

チャンミンの表情は、気の抜けたものから、硬直したものに変わった。

(おい、なぜ顔が固まるんだよ)

「おは...よう、ございます」

(やっぱりいつものチャンミンに戻っちゃってる)

内心がっかりするシヅクだった。

「あれ?」

彼の後頭部のひと房の髪が、カーブを描いて突っ立っている。

(珍しい。毎日、ビシッときめてくるのにさ)

「チャンミン、はねてるよ」

「?」

シヅクは、自分の頭の後ろを指さすが、彼には意味がわからないようだ。

(飛び跳ねる?)

「ほらぁ、そこ、そこだよ」

​「え?」

チャンミンの頭を指さすと、彼は後ろを振り返る。

「しょうがないやつだなぁ」

シヅクはチャンミンの後ろにまわって、彼のツンとはねた髪に触れる。

「!」

シヅクに触れられて、ビクッとするチャンミン。

「怯えんでもいいやないの」

彼の髪を撫でつけながら、シヅクは彼の後頭部をまじまじと観察してしまう。

(あら、チャンミンのつむじ、可愛い)

チャンミンは、シヅクに触れられた頭から背筋まで、ゾクっとしたしびれを感じていた。

(あ...!)

鳥肌がたっている自分に気づく。

(まただ...。

僕はシヅクのスキンシップに弱い)

シヅクはチャンミンの髪をツンツンと引っ張る。

​「痛っ」

 

「宇宙からの信号を受信しとるんか、あんたは?」

シヅクがチャンミンの頭を、ふざけてぐいぐい押さえつけているうち、チャンミンもだんだん可笑しくなってきた。

「電波妨害してやる、これでどうだ!」

調子にのったシヅクは、チャンミンの頭をつかんで、前後に揺する

「やめろよ、シヅク。首の骨が折れる」

チャンミンはすっかり楽しくなって、大げさに首をすくめてみせる。

「シヅクは、怪力だから」

「なんだとー!」

​「アハハハ」

(シヅクと一緒にいると楽しい)

(チャンミンが笑ってる!)

​シヅクは初めてチャンミンの笑い声を聞いた。

ますます楽しくなってきた二人。

「せっかくだから、全部ボサボサにしてやる!」​​

「やめろって」

「朝から元気だね」

​「わ!」

事務所入り口の方からの声にチャンミンとシヅクは同時に振り返った。

 

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