~チャンミン~
僕は、感動していた。
職場に向かうシヅクの後姿が見えなくなるまで、僕はマンションの前に立ち尽くしていた。
彼女が貸してくれたマフラーに、首をうずめる。
タクシーで香った、シトラスの香り。
マフラーからも、同じ香りがする。
いつまでそこに立っていたんだろう。
これから出かけようとする同じマンションの住民が、不審そうに僕を見ている。
軽く頭を下げて、僕は早歩きで自室に向かった。
自分の部屋に入って、いつもはそんなことしないのに、荷物を放り出して、ソファに身を投げる。
「はぁ...」
目をつむって、昨日の夕方から、シヅクと別れたマンションの前までの出来事を、ひとつひとつ思い返してみた。
それから、今、僕の心の中に湧き上がっているものを味わう。
僕は、感動していた。
そう、感動している。
ごろりと寝返りを打って、「はぁ」とため息。
しばらくじっとしていたけど、ソファから飛び起きる。
落ち着かなくて、僕はシャワーを浴びることにした。
いつもはそんなことしないのに、靴下、セーター、Tシャツ、パンツと床に脱ぎ散らかしていった。
いつもと違う僕。
お湯の設定温度を、火傷しそうなくらい上げて、蛇口をいっぱいにひねって、一気にお湯を浴びる。
勢いよく頭や肩に当たるお湯が気持ちいい。
体調不良でぼやけてた思考が、クリアになっていく。
熱いお湯のおかげで、頭痛もさらに治まってきたようだ。
僕の中で、ぐるぐる回っている「いろんなこと」が、整理されていく。
お湯を止めた後も、僕はシャワールームの中でたたずんでいた。
僕の体からぽたぽた滴り落ちる雫の音を聞いていた。
じっとしていられなくて、シャワールームを飛び出し、体を拭くのもそこそこに、ダイニング・チェアに腰かけた。
「はぁ...」
両ひじをひざに付き、両手で顔を覆う。
僕は滅多に笑わないし、無口だから、不愛想な奴だと周りから思われていると思うが、全くその通りだ。
体調が悪かったこともあったけど、昨夜の僕はシヅクに対して、不愛想過ぎたかもしれない。
あんなに親切にしてくれたシヅクに、「ありがとう」のひとことしか言えなかった。
次に会ったときに、ちゃんとお礼を言おう。
ちゃんと、言えるだろうか?
こんな風に、自分の言動を振り返るのも初めてだ。
熱がきっかけで、性格が変わったのだろうか?
そんな馬鹿な。
うつろにぼんやりと暮らしてきた僕の視界に、シヅクが現れた。
これまでも、シヅクは僕の近くにいたんだけど、全然眼中になくて...。
でも、
でも!
目をつむって、じっくり思い起こす。
僕の額に触れた、シズクの手の平の、さらりとした感触とひんやりとした体温。
僕の顔を覗き込んだ、アイラインをひいただけのシヅクの目。
タクシーでシヅクの肩にもたれかかった時の、シヅクの香り。
五感で、シヅクの存在が、急に「生っぽく」、僕を刺激したんだ。
昨夜を境に、僕の視界が広がった。
これまでモノクロだった僕の世界が、フルカラーになった。
停滞していた僕の思考や感情が、動き出したんだ。
[maxbutton id=”1″ ] [maxbutton id=”2″ ]