(1)麗しの下宿人

 

※当作品はオメガバース設定です

 

僕の家では下宿屋を営んでいた。

 

祖父の代からあるその建物は、下宿人たちに申し訳がないほどのおんぼろ具合。

 

僕がまだ生まれていなかった頃、下宿部屋は全室埋まっており、朝夕の食事や風呂の用意で母は大わらわだったそうだ。

 

下宿人が半分まで減ったタイミングで、母は下宿屋の仕事の隙間時間にパートタイマーの仕事を開始した。

 

ひとつ、またひとつと空き部屋が増え、最後の一部屋となった時、母はフルタイマーの職に就いた。

 

我が下宿屋を潰さずに存続させたのには、様々な理由があった。

 

たった一部屋分でも収入があれば御の字...これが一番の理由だ。

 

下宿屋を手放そうにも老朽化した建物の価値はゼロ、解体するにも多額の費用がかかる。

 

1階の一部が、我が家の住居スペースになっていて、潰してしまったら僕ら家族の住まいが無くなってしまう。

(土地の有効活用といって、駐車場にしないかという営業があったという)

 

僕に下宿屋の仕事を任せられるようになると、母は仕事に専念できるようになった。

 

これまですべてを担ってきた母からすれば、清掃や朝食の用意といった手伝い程度のものでも、大いに助かるのだ。

 

僕一家のメンバーは母と僕、老人ホームにいる母方の祖父の3人で、母が唯一の稼ぎ頭だった。

 

離婚してこの家を出て行った父には、再婚相手との間に子供が出来たと聞いている。

 

 

最後の下宿人は、ユノという名の近所の大学に通う学生だった。

 

ユノは田舎から都会に出てくるにあたり、アパートでひとり暮らしをするよりも、我が下宿を選んだ。

 

エアコンなしの畳敷き、音がつつぬけの板壁で、住環境は決してよいとはいえないが、朝食付きで、水道光熱費込の家賃で湯船に浸かれる...経済的にお得だと思う。

 

ユノは僕が9歳の時にうちの下宿人となり、かれこれ3年間うちに棲みついていることになる。

 

ユノが何を学んでいたのか、大学が何年生まであるのか、子供の僕には全然分からなかった。

 

ユノは部屋に居ることが多く、大学とは授業がちょっとしかないところなんだなぁと、僕は常々思っていた。

 

僕は学校に行くのが大嫌いだったから、自由なユノが羨ましかった。

 

そんな暇人のユノは、僕をよく自室に招いてくれた。

 

僕の部屋は北向きのジメジメした狭い一室で、日当たりのよいユノの部屋の方が居心地よかった。

 

下校してきた僕が門扉を開ける音(錆びついているから、開閉の度に大きな音がする)を聞きつけて、がらりと2階の部屋の窓が開く。

 

窓から身を乗り出したユノが、僕に向けて「おーい」と手を振る。

 

浮かない表情だった僕は、にっこにこの笑顔になる。

 

木製の欄干に腰掛け、漫画本を読んでいる時もあった。

 

下宿屋に向かっててくてく歩いてくる僕に気づいて、やはり「おーい」と僕を呼ぶのだ。

 

「遊びにおいで」

 

僕はどちらかというと根暗な子供だったけれど、ユノの前だけは別。

 

「うん!」

 

元気よく答えた僕はランドセルを部屋に置き、手洗いとうがいを済ませ、母が用意してくれたおやつをお盆に載せる。

(例えば...お煎餅やおにぎり、ポップコーンや蒸しパン、飲み物は麦茶...そういう簡単で地味なものだ)

 

おやつと宿題のセットを持って、ユノの部屋に入り浸るのだ。

 

 

ユノの部屋は家具が少なく、布団は敷きっぱなしで、大量にあるものと言えば壁際に沿って積み上げられた漫画本だった。

 

母が僕の為に用意したおやつと、ユノが僕の為に買ってきてくれたおやつをつまみながら、僕は宿題をした。

 

ユノの部屋にはデスクの代わりに座卓があり、そこで僕が宿題を広げている間、彼は寝転がって漫画本を読んでいた。

 

オンボロの一室は静まり返り、目覚まし時計のコチコチ音と、僕の鉛筆の音、ユノがページをめくる音だけが耳に心地よく聞こえていた。

 

「ユノちゃんは勉強しなくていいの?」

 

僕はユノのことを『ユノちゃん』と呼んでいた。

 

「テストが近づいたら勉強するよ」

 

「ふぅん。

ちょこっとしか勉強しなくていいなんて、ユノちゃんは頭がいいんだね」

 

「頭のいい悪いは関係ない。

単に、要領がいいのさ」

 

ユノはふふん、と笑った。

 

「ヨウリョウの意味が分かんない」

 

「辞書で調べな」

 

「ケチンボ」

 

日頃、漫画本ばかり読んでいても、試験が近づくと座卓に分厚い本を何冊も広げて、一日中勉強をしている。

 

テスト勉強中は静かにしていることを条件に、僕を邪魔っけにせずいつも通り、部屋に入り浸らせてくれた。

 

いつもの気怠げな空気は消えて、この部屋に緊張の糸がピンと張りつめて、僕の宿題もはかどるのだ。

 

ユノのノートには、外国語や記号、数字が埋め尽くされていて、カッコいいなぁ、と思った。

 

テスト勉強中、ユノはずっと飴を舐めていた。

 

なんでも「脳には甘い物がいる」んだそうだ。

 

(僕も真似をしてみたところ、見事に虫歯になってしまった)

 

飴のせいで、ユノの吐息は葡萄や檸檬の香りがした。

 

「ユノちゃん。

ここ、分かんない」

 

宿題で分からないことを教えてもらうこともしばしばだった。

 

長い脚を伸ばし、壁にもたれて漫画本を読んでいたユノは、身体を起こすと、僕の手元を覗き込む。

 

ユノはとても綺麗な顔をしていた。

 

僕は男で、当時は子供過ぎて、ユノの顔が耳のすぐそばに近づいても平気だった。

 

ユノはプリント用紙の裏に数字や式を書きなぐりながら、「う~ん」と眉間にシワをよせ、唸っている。

 

「うっそだぁ、分かんないの?

大学に受かったんでしょ?

小学生の問題が解けないってどういうこと?」

 

「解けるさ。

簡単に解けるけど、方程式は使っちゃ駄目なんだろ?

これってハンデだよ」

 

「ハンデって、どこが?」

 

「電卓を使えば早いけど、敢えてそろばんを使うのさ。

そろばんだぞ?

ハンデだろ?」

 

「そろばんじゃ時間がかからない?」

 

「それがな、時間をかけたらいけないんだ。

電卓で求めるのとは、全く別のルートを使って、同じ回答を得なきゃいけない。

そのルートを見つけろよ、ってのが問題の趣旨で、それが見つからなくて今悩んでいるわけ」

 

ユノは問題用紙を睨みつけていたが...「あ~も~、面倒くせぇな~」と吐き捨て、頭をガシガシ掻いた。

 

「イラストを描いて教えてやるから理解しろよ」

 

「うん」

 

「ここにおっきなピザがある。

こいつを18等分にした時...」

 

ユノは丸を描き、放射線状に線を引いた。

 

「18切れに分けるの?

ぺらっぺらじゃん」

 

「うるせーな。

これは算数の世界のピザなの。

例えば、の話。

で、18切れしたうち10切れを取った時...」

 

「半分以上も取っちゃうの?

それならば、18切れにしなくてもよかったんじゃないの?」

 

「あのな~、お前にも分かりやすいように説明してんだよ。

ピザを食うか食わないかの話じゃねぇの!」

 

「9等分にしてもよかったんじゃないの?」

 

「なんだよ、俺に訊かなくても理解してるんじゃねぇかよ!」

 

「え?

そうなの?」

 

「チャミは俺よりも断然、頭がいいよ」と、大きな手で頭を撫ぜてくれる。

 

ユノは僕のことを『チャミ』と呼んでいた。

 

「ホントに!?」

 

学校での僕は無口で不愛想だけど、ユノと過ごすと気持ちがほぐれてきて、饒舌になり大声で笑うことができるのだ。

 

 

ユノは何度も僕を助けてくれ、今も色褪せない瑞々しい思い出をプレゼントしてくれた。

 

ユノのおかげで、『大好き』という気持ちを知った。

 

...そして、性的なことはすべて、ユノから学んだ。

 

ユノは子供だった僕には、一切手を出さなかったから安心して欲しい。

 

それは僕が大きくなってからの話だ。

 

 

(つづく)

 

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