(14)麗しの下宿人

 

 

「僕がオメガだってことを、どうしてユノちゃんは分かったの?

どうして?」

 

クラスの者たちは僕を「臭い臭い」と陰口言うだけだし、母は何も言わないのに、どうして血のつながっていない他人であるユノが分かったのだろう?

 

そのことがとても疑問だった。

 

「そうだなぁ...。

不思議だよなぁ...」

 

ユノは首をがくりと折り、僕に打ち明けようか否かを迷っているのか、しばらくの間、両脚の間から階段の踏み板を見下ろしていた。

 

「......」

 

僕は急かしたくなる気持ちをぐっと堪え、じぃっと待った。

 

知るのが急に怖くなったからだ。

 

ふいにユノは頭を上げ、僕を見た。

 

「ユノちゃんの顔が怖い!」

 

ユノの眼はらんらんと輝いていて、彼と初めて会った日のことを瞬間的に思い出した。

 

あの時だ、僕が階段から滑り落ちそうになった時のことだ。

 

目にもとまらぬ速さで...まるで瞬間移動してきたかのように、ユノは僕に飛びついていた。

 

そのおかげで、僕は階段から転げ落ちずに済んだのだ。

 

危機に直面した時だったとは言え、ユノの眼は僕を食い殺さんばかりの獰猛なぎらつきに、全身がすくみ上った感覚を、身体で覚えている。

 

飴色の踏み板を踏んだユノの白のスニーカーがとても大きくて、僕の視線に気づいた彼は土足で上がったことを母に謝っていた。

 

「チャミが『オメガではないか?』と疑ったのはね、俺は他のオメガに会ったことがあるからなんだ」

 

「どこで?」

 

「地元さ。

俺の実家がある田舎。

...そこに、オメガの子がいた」

 

「えっ!

僕以外にもオメガはいるってこと!?」

 

「いるさ。

とても数は少ないけれど、この街にも何人かはいるはずだ。

彼らは社会に紛れて生活をしているんだ。

そして、オメガを見分けられる人も少数なんだ」

 

「オメガかどうか見分けられる人のひとりが、ユノちゃんってこと?」

 

「そういうこと」

 

僕はご近所さんや学校の児童たちを思い浮かべてみた。

 

「チャミの周りには、オメガはいないようだ」

 

ユノは僕が何を思い浮かべているのかを見透かして、そう言った。

 

「もしオメガがいれば、俺ならばすぐにわかる。

チャミと一緒に登校した頃があっただろう?

俺は校門んとこで、チャミが玄関に消えるまで、ず~っと見送ってたんだ」

 

「ふふっ。

知ってる。

ありがと、ユノちゃん」

 

「全員確かめたわけじゃないけれどさ」

 

「匂いで分かるんだ?」

 

「ああ。

でも、みんな小学生で子供過ぎる。

分からなくても当然なんだけど...」

 

「子供のうちは分からないの?」

 

「...と言われている。

オメガは絶滅危惧種並みに珍しい。

チャミがオメガだと判明して、すげぇ驚いた」

 

「ずっと分からなかったの?」

 

「分からなかった」

 

質問が次から次へと湧いてくる。

 

「いつ分かったの?」

 

「今日」

 

「えっ、そうなの!?」

 

「前々から、『もしかして...』と思っていたけれど、微かな香りだったから、決めつけるのは早いと思った。

他のオメガの残り香かもしれないから、チャミのものとは限らないし...」

 

ユノの言葉に引っかかった僕は、「ユノちゃんの友だちに、オメガがいるの?」と訊ねた。

 

「あー...友達じゃなくて...知り合いの知り合いくらいの人だよ」

 

「よかった~。

ちゃんとオメガはいるんだね」

 

郵便受けの蓋がカタンと音を立て、開け放った玄関戸の先、門扉の前をバイクが走り去っていった(どうせ請求書か何かだろう)

 

「今日、チャミの香りを嗅いで確信した」

 

「オメガの匂いを臭いと思う人と平気な人との違いはなぁに?

ユノちゃんは臭いと思う人でしょ?」

 

「う~~~ん」と、ユノは頭を抱えてしまった。

 

「...例えると、バリバリのスポーツ選手と運動嫌いな人...かな?」

 

「そっか!

ユノちゃんは、バリバリのスポーツ選手ってことだね」

 

今のユノの例え話はすぐに理解できた。

 

「それから!

チャミは臭くない。

香りが強いだけ」

と、ユノは念を押した。

 

 

学校では、暴力を伴うようないじめは受けていない。

 

持ち物を隠されたり汚されたり、僕の耳に届く声量で交わされる陰口、遠足も写生大会もひとりぼっち。

 

極端に勉強が出来ないのでも出来過ぎるのでもないし、不潔な恰好もしていない。

 

僕が思うに、おどおどとした態度や女っぽい見た目が、彼らのいじめ心をくすぐるんじゃないかなぁ。

 

肉体的な痛みはなくても、心は確実に傷ついていった。

 

それも、鋭い刃ではなく、コピー用紙の縁で出来た傷のようにいつまでも痛み、かさぶたが出来ないからなかなか治らない。

 

 

「いつお母さんに打ち明けようか?

出来るだけ早い方がいい」

 

「ユノちゃん、しつこいよ。

僕が言っても、絶対にお母さんは信じてくれないよ」

 

「だろうね」とユノは苦笑すると、僕の頭をわしゃわしゃ撫ぜた。

 

玄関からの空気の流れにより、水風呂で濡れた髪はほとんど乾きかけていた。

 

保冷材で首回りを冷やしているおかげで、香りが立ち昇るのを抑えられており、ユノの表情も涼しげだ。

 

僕とぴったり身体を寄せてくれている。

 

「もぉ!」

 

僕はユノから顔を背け、くしゃくしゃに乱れた髪を指で梳かしつけた。

 

「このタオル取っちゃうよ?」

 

僕の首の後ろから出る香りは、ユノにとって耐えがたいものだと知った今、これがユノの悪戯の仕返しになった。

 

「あ~、それだけは止めてくれ!」

 

ユノは階段の数段上へと、駆けのぼってしまった。

 

「チャミの側にいられないよ」と、ニヤニヤしている。

 

「...え...そんなにキツイ?」

 

「ああ、そうだ。

チャミだから、正直に言う」

 

「そんなぁ...」

 

ユノは僕がいる段まで戻ってきた。

 

「チャミが俺とトモダチでいたいのなら、お母さんに打ち明けないといけないんだ。

俺もチャミとトモダチでいたい。

チャミの香りは、俺にとって強すぎる。

苦しいんだ」

 

ユノはぎゅっと、Tシャツの胸を握った。

 

「...ごめん」

 

「チャミは悪くない。

悪いのは俺さ」

 

「どうして?」

 

ユノの説明は聞けば聞くほど、なぜなぜが増えていく。

 

「とにかく、チャミの香りに敏感な俺が悪いってこと。

だからチャミは自分を責めたらいけない。

俺が悪い。

分かった?」

 

「...うん」

 

「俺も一緒に話をする。

チャミ一人じゃ信じてもらえないけど、俺の口から聞かされれば、お母さんはちゃんと信じてくれる」

 

「どうして?」

 

「『どうして?』って言われてもなぁ...」と、ユノはボヤいた。

 

「大人が言うと真剣みが増すんだ」

 

「ええ~。

大人は嘘つきだって、テレビで言ってたよ」

 

「時と場合による」

 

「大人ってズルいね」

 

「ズルくて結構。

チャミも大人になればズルくなる」

 

「!」

 

『大人』の言葉に、ハッとした。

 

「...ユノちゃん...」

 

僕はユノのTシャツの袖をつん、と引っ張った。

 

「僕は一生、ずーっと、死ぬまで『オメガ』なの?」

 

この時のユノのひそめた眉と潤んだ眼...とてもとても悲しそうな表情が答えだった。

 

「よし!」

 

ユノは大きな声を出し、ぱっと立ち上がった。

 

僕はきょとんと、高々とそびえるユノを見上げた。

 

「ジュースを買いに行こうか?

俺も飲みたくなってきた」

 

「う~...ん」

 

何てことない風に、ユノを相手に軽口が言えた僕だったけれど、本当は相当なショックを受けていたのだ。

 

 

...結局、オメガって何なの?

 

僕の解釈では、オメガは男と女の間みたいな性別だってこと。

 

ユノの説明はちょっと違っていて、僕は男でも女でもない、特別な性別だってこと。

 

オメガの正体を知るうちに、僕の解釈の方が正解に近いことを知った。

 

 

(つづく)


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