(34)麗しの下宿人

 

ユノは『オメガ』を見つけられる鋭い嗅覚の持ち主。

 

普通の人たちが持ち得ない特殊な能力を持つ者たちは、『オメガ』を襲う危険な存在だという。

 

僕を『オメガ』だと見抜いたユノは、つまり彼らの一員ということか。

 

「ユノちゃんがそうなんでしょ?」

 

「『特定の人』ね...」

とユノは微笑を浮かべ、シャツをつかんだ僕の手を優しくはがした。

 

「そうだな。

チャミの言う通りだ。

俺は『特定の人』だ」

 

「...っ!」

 

ユノは僕の両肘をつかむと身をかがめ、僕の目線の高さを合わせた。

 

「俺は先生が言う通りの、『特定の人』だ」

 

「赤ちゃんを産むことができる」と教えられた時の次に驚いたことだった。

 

「隠してたの?」

 

「う~ん...そうだね」

 

「そんなぁ...」

 

「チャミが『オメガ』の正体を分かってから打ち明けようと思った。

怖がられてしまうからね」

 

眉尻を少し落としたユノの表情は、ちょっとだけバツが悪そうだったけれど、態度は落ち着いたものだった。

 

もともと隠し通すつもりはなかったのか、僕に責め立てられても平然としていた。

 

「『特定の人』...ね。

先生もうまい表現を使ってくれるよな」

 

「そんなぁ...」」

 

ユノはずっと僕の味方だったのに。

 

ユノの口から『オメガ』を脅かす存在がいると、聞かされていたから余計にショックだった。

 

ユノ自身がそうだったとは...!

 

「黙ってたの?」

 

「いや。

チャミに教えてやっても怖がらせてしまうだけだと思った。

伝えるタイミングをはかっていた

誰が『オメガ』なのかが分かる。

匂いで分かる」

 

ユノは鼻を突いた。

 

「だから、鼻が鋭い、って言ってたのか。

嘘はついていないね」

 

僕は反射的に首元のタオルをかき合わせた。

 

「安心しろ。

ほとんどの人間は『オメガ』を見破ることができない。

『特定の人』っていうのは、『オメガ』のフェロモンの匂いに敏感なだけだ。

その匂いさえなければ、誰が『オメガ』なのか分からない」

 

「......」

 

「『オメガ』になったばかりのチャミは、フェロモンを出しまくってた。

フェロモンをぷんぷんさせている時の『オメガ』は大抵、潤んだ眼をしている」

 

ユノの親指が僕の目尻にそっと触れた。

 

僕の頬がピクリと震えた。

 

「数日前のチャミの眼はうるうるだった。

例えていうと、風邪で熱がある時みたいな」

 

「そうだったんだ...知らなかった。

じゃあ、今も?」

 

「今はそうでもない。

後で習うと思うけど、フェロモンは四六時中出ているわけじゃないんだ。

年に何回か、っていうペースらしい。

薬を飲まないといけないって、前に言ってただろ?」

 

薬が必要だから病院に行かないといけないと、ユノは繰り返していた。

 

「それってフェロモンを抑えるための薬なんだ」

 

「そういうことかぁ」

 

「なあ、チャミ」

 

「?」

 

ユノは僕の両肩をつかむと、身をかがめて僕を覗き込んだ。

 

僕に大事な言葉を告げる時、ユノはいつもこうする。

 

互いの顔は吐息の温かさが伝わる距離にある。

 

「な、何?」

 

ドギマギするあまりどもってしまった。

 

「昼飯の時...。

奴らの目を見れば分かると言ったのは、俺と同類だからだ」

 

僕を覗き込むユノの眼に...漆黒の眼に見も心も捕らえられたかのように、身動きができない。

 

いつものユノと違った。

 

ユノの真っ黒な瞳が間近に迫ったことで、魅入られる、というか、圧倒される感覚に襲われたのだ。

 

(これって...)

 

初対面の日、吸血鬼のような眼だととっさに思ったものと同じだった。

 

強さを秘めた光。

 

(吸い込まれる...!)

 

「俺の眼を見て、怖いと思ったか?」

 

ハッと我に返った。

 

確かに恐怖を感じていたはずなのに、ユノの眼に魅入られてしまった僕はぷるぷると首を振っていた。

 

僕の意志なのか催眠術なのか、それとも両方なのか。

 

残念なことに、一切の曇りなく「ユノちゃんは全然怖くない」と言い切れなかったのだ。

 

あれは強者の眼。

 

僕は弱者だ。

 

僕は弱い...!

 

これは直感だ。

 

混乱した僕は、ユノの視線から逃れようとうつむいた。

 

先ほど聞いた医師の話と、ユノの眼光の合わせ技で、僕の本能に近いところがグラグラに揺らいでしまったのだ。

 

「う、ううん。

怖く、ない」

 

「嘘つけ。

怖かったくせに」

 

ユノは笑って僕の頭をくしゃっと撫ぜた。

 

「...えっと」

 

ユノに見破られていた。

 

言葉では嘘がつけても、目と表情から白旗をあげていたことを見抜かれてしまっていた。

 

「怖いっていうのとはちょっと違くて、金縛りに遭ったみたいな感じ。

どう頑張っても、ユノちゃんには負けるって感じ」

 

「ってことは、チャミはやっぱり『オメガ』なんだなぁ...。

チャミは『オメガ』...。

『オメガ』かぁ...『オメガ』なんだなぁ」

 

何度もつぶやくユノにうつむいていられなくなった僕は、彼をキッと睨みつけた。

 

「何度も言わないでよ。

そうだよ、僕は『オメガ』だよ。

僕を『オメガ』だって見つけたのはユノちゃんじゃん。

なりたくてなったんじゃないよ」

 

「そうだったな、ごめん」

でもな、チャミ。

『オメガ』が恐れるべき奴らの眼が、まさしくこれなんだ。

『オメガ』を前にした奴らは...俺も含めての話だけど...こういう感じの眼になってしまう」

 

「でも!

いつもはそんな風に怖くないじゃん」

 

「いっつもギラギラしてたらヤバイ奴じゃん。

フェロモン出してる『オメガ』に弱いだけさ。

それに自制してるからさ」

 

「ジセイ...」

 

「セーブしてるってこと」

 

「我慢しきれなくなったら、ユノちゃんは怖くなるの?

僕に暴力を振るう...とか?」

 

「それはない!」

 

実は「ユノが僕を妊娠させることがあるのだろうか?」と、ちらっと思ってしまっていた。

 

「俺はチャミに乱暴はしない。

絶対に。

チャミを守るよ」

 

「ユノちゃん、ずっと僕を助けてくれた。

ユノちゃんは優しい」

 

「いいか、チャミ?」

 

ちょっと強引気味に引き寄せられ、僕の頭はユノの胸に押し付けられた。

 

「!」

 

「俺は敵じゃない」

 

「これは、ハグだ」と認識して間もなく、ユノは僕を開放してしまった。

 

ユノの背中に回そうとしていた両手だけが、宙に残された。

 

「みんながみんな、『オメガ』の敵じゃない。

ちゃんと味方もいる。

その『オメガ』が危険な目に遭わないように、絶対に護ってくれる」

 

「ユノちゃんみたいに?」

 

「その通り!」

 

僕の中に、明るい道がぱぁ~っと開けるイメージが浮かんだ。

 

「とにかく俺はチャミの味方だ。

お前を護ってやるから安心しろ」

 

そう言ってほほ笑むと、ユノはドアの鍵をガチャンと外した。

 

「狭い部屋はやっぱ駄目だなぁ」

 

ユノはパンパン、と自身の両頬を叩いた。

 

「臭う?」

 

「ちょっとだけ」

 

「じゃあ、電車の中では我慢してたの?」

 

「あん時よりも今の方がちょっと...。

今のチャミは興奮しているだろ。

体温が上がるとどうしても香りが強くなってしまうんだ」

 

「...ごめん」

 

「謝るなって」

 

「僕を襲いたくなった?」

 

ユノは僕に背を向けたまま「全然」と答えた。

 

「戻るぞ。

先生たちが待ってる」

 

ユノに促されてトイレの個室を出た。

 

(つづく)

 

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