「そうね。
『アルファ』は『オメガ』を襲う側になるわね」
「......」
僕みたいに妊娠する力が増す者たちを『オメガ』というのなら、ユノのような人たちにも正式な名称があるのでは?と気になっていたのだ。
「今までずっと、アルファのことを『特定の人』と言っていたけれど、それには理由があるの」
医師は僕の疑問に答えるように、説明し始めた。
「『アルファ』とは、滅多なことでは口にしてはいけない名称なの」
内緒よ、と言わんばかりに、医師は「しっ」と人差し指を唇にあてた。
「今までテレビや本で、『オメガ』や『アルファ』の言葉を聞いたり見たりしたことはある?」
「ううん」
『オメガ』を知りたくて、途中で邪魔が入ってしまったが、図書館まで専門書を探しに行ったくらいだ。
「知っている人は知っている。
皆が知っているわけではなくて、専門知識があったり、身近に『オメガ』や『アルファ』がいる人...特に家族がそうだった場合は、存在を知っている。
たいていは、隣人や同僚が『オメガ』や『アルファ』だと知らずに過ごす人がほとんどです」
「それくらい分からないものなんですね?」
気持ちが楽になった。
「皆が知らないでいる理由は分かるかな?
ここで言う『皆』とは、『ベータ』の人たちのことです」
「理由は...分からない」
僕の脳裏に、混雑した駅やホームセンターのイメージが浮かんだ。
(『ベータ』の人がいっぱい。
でも、あの中に『アルファ』や『ベータ』が紛れているかもしれないのか)
「『オメガ』とか『アルファ』とか、チャンミン君のような子供の世界では、耳にする機会のない言葉よね?」
僕は頷いた。
「チャンミン君の学校に、とても賢くて運動神経も優れた子っていないかしら?」
医師は本題に入る前に、僕にそう訊ねた。
頭がよくスポーツ万能のクラスメイトのひとりが思い浮かんだ。
彼こそが僕のことを「臭い」と馬鹿にし、クラスメイトを巻き込んで僕を孤立させた張本人だった。
さらに見た目も優れているためカリスマ性があり、クラスどころか学年内で最も目立つタイプだ。
...性格は最悪だけど。
僕は苦々しく「...います」と答えた。
「僕のことを臭い、と言いました」と付け加えた。
医師は腕を組み、しばらく思案していたけれど、
「フェロモンの香りに気付くなんて、『アルファ』になる可能性が高いわね。
十中八九、そうなるかもしれない」
「なるかも、ってことは、最初から『アルファ』じゃないってこと?」
「『アルファ』や『オメガ』は生まれ持った因子なので、突然変異じゃないのよね。
だから、チャンミン君もユノさんも、最初から『アルファ』や『オメガ』の遺伝子を持っていたってこと」
思わず隣に座る母を見てしまった。
母の横顔は「ごめんなさい」と謝っているかのようで、昼食のテーブルで嗚咽しかけた彼女の姿と重なった。
「本人はフェロモンを嗅ぎつけることができても、肉体的に反応はしていないと思います。
12歳じゃ早すぎる
でも、その子が『アルファ』に育つかどうかは分からない。
小学生のうちは能力は開花しないし、本人にも自覚がないの。
『アルファ』の目覚めは『オメガ』よりもずっと遅くて、平均14、15歳ころになると才覚を表わすといわれています。
学校側からそっと呼び出されて、本人と保護者にだけ伝えられる...」
「学校はどうやって、その子が『アルファ』だと分かるんですか?
テストで100点ばかりとるから?」
「それだけじゃ、ただの頭が良い子に過ぎない。
『アルファ』が特に優れているのは、外見や筋力だから。
知力については、得意不得意な分野がある点が、『ベータ』と変わらないと思う」
ユノはいつも、漫画本ばかり読んでいたり、僕の宿題が解けない時もあったけれど、大学の勉強は凄くできるのだろうな。
「五感やひらめきに優れていることもあって、成功者に『アルファ』が多いと言われている」
「凄い...」
ユノもいつか、スーツを着てネクタイを締め、大きな車に乗って...。
例えば、僕の父のように...。
「中学生になったとき、男女を問わず血液検査が行われます。
健康診断のついでに行われるので、本来の目的を疑う人はいません。
該当者には通知が、専門病院でさらに検査されます
『アルファ』候補の男子は精液を採取します」
僕の頬が熱くなった。
「......」
ユノも同じ経験をした、ということか。
「『アルファ』が『ベータ』や『オメガ』とは決定的に違うところがあります。
...この点が重要なところです」
「いよいよ本題だと、僕は唾を呑み込んだ。
「『アルファ』は妊娠させる能力がずば抜けています」
「...え...?」
『アルファ』も『オメガ』も、何かというと「妊娠」がキーとなっているようだ。
「相手が『ベータ』『オメガ』を問わず、コンドーム無しの性行為は妊娠させる率が高い。
『オメガ』が相手の場合、ほぼ100%の確率で妊娠させます」
力があるか無いか。
妊娠させる力の強さ、妊娠する
(まただ。
下宿屋の蒸し暑い部屋で、男と艶めかしく絡み合うユノ像を思い出してしまった。
また思い出してしまった。
もし、男が『オメガ』だったら、妊娠してしまうってことか...)
ユノが僕の耳に「言っとくけど、いっつもムラムラして暮らしているわけじゃねぇぞ」と囁いた。
「そうです。
『アルファ』が激しく反応してしまうのは、フェロモンを出している時の『オメガ』に対してですよ。
だから、いつ、どこで『オメガ』に出くわしてしまうのかを、恐れています」
医師はユノに続けて言った。
「じゃなきゃ、チャミが『オメガ』だって分かったら、そっこー下宿屋を出ていたよ」
「それは嫌だ」
「俺だって嫌さ。
フェロモンが出るのも一時的なものなんだ」
「そうなんですか!?」
確かに「匂いが薄らいできた」とユノは話していた。
「ええ。
フェロモンについては順を追って説明するわね」
「『アルファ』は『アルファ』で、自らの性衝動に振り回される生活を送らないといけないの。
『アルファ』は『オメガ』のフェロモンに誘われる。
成功している分、『オメガ』がらみの不祥事は命取りです」
「......」
「日々が自らの性衝動との戦いよ。
「『アルファ』は確かに優れた人たちだけど、それを幸せと思うかどうかは人それぞれ...」
医師はそう言って、ユノを見た。
気の毒そうに、申し訳なさそうな医師の眼差しに、ユノはわずかに肩をすくめてみせた。
(つづく)
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