(48)麗しの下宿人

 

「どうしてっ...この匂いがしてたの?

あの時もタバコを吸っていたんでしょ?」

 

喉が詰まってきた。

 

「チャミ...あれは」

「触んないで!」

両肩にかかったユノの手を振り払った。

「アルファが寄ってこなくなるタバコなんでしょ?」

 

当時、ユノには恋人がいて、彼らが抱き合っている現場に僕は居合わせてしまったわけだ。

むんと熱気がこもる室内に充満していた香りこそ、オメガをアルファから護るとされる煙によるものだった。

ユノはアルファだ。

じゃあ、ユノの恋人は?

アルファやベータだった場合、あの煙は必要ない。

そもそもベータはこの匂いを感じ取ることは出来ない。

無敵のアルファには何も恐れる者がおらず、オメガを襲う立場だ。

 

(訳が分からない)

 

謎だらけで僕の頭の中はぐちゃぐちゃで、抱えてしまった。

その上、ユノに裏切られたショックも加わっていたたまれなくなった。

空気を入れ替えようと開けた窓から、タバコの紫煙が吸い込まれるように流れ出て行った。

ユノは灰皿で未だくすぶるタバコをひねりつぶした。

 

「説明させてくれ。

あれは...」

「やだ!

聞きたくない!」

 

僕はユノの脇をすり抜け、灰皿をつかみ、高くかかげて見せた。

ユノにぶつけるはずがない。

投げつけるポーズを取っただけだ。

ユノは大事な人で傷つけるわけがない。

僕は臆病なオメガで、怒りを面に出すことが苦手とくる。

吸い殻と灰がぱらぱらと、新品の制服の肩にふり落ちた。

 

「チャミ!」

「ユノちゃんは僕のアルファなんでしょ?

僕を護ってくれるんでしょ?

それなのに、どうして彼氏がいたの?」

 

めちゃくちゃなことを言ってることは分かってる。

ユノがアルファだと知らず、僕もオメガだと気づいておらず、ユノは僕んちの下宿人で年の離れた友達に過ぎなかったのだから。

僕はユノの過去に嫉妬していたんだ。

 

「チャミ、落ち着いて。

彼とはもう会っていない。

別れたんだ」

「どうして?」

「チャミがオメガになったからだ。

俺にはチャミを護る使命ができたからだ。

分かっているだろう?」

「......」

 

ふりかざした灰皿に怒りを乗せることができず、僕は行き場のない感情の爆発の始末に困ってしまった。

 

「ユノちゃん、ちゃんと答えてよ。

“あの人”はアルファなの?

それとも“オメガ”なの?

どっちなの?」

「どちらであったとしても、チャミは知る必要はない。

どうでもいいことだ。

彼とは別れた。

恋人は作らない」

「......」

僕は力なく腕を落とした。

ごとり、と僕の足元に灰皿が落ちた。

「ユノちゃんなんて...もう知らない。

もう護ってくれなくていいよ」

 

この時、ユノは切羽詰まった悲し気な目をしていた。

どんな言葉で僕をなだめようか、頭を巡らしているようだった。

僕は畳を汚したことを謝りもせず、ユノの部屋を後にしようとした。

ユノを困らせたかったのだ。

 

「チャミ!」

 

僕が望んでいた通り、ユノが僕を追ってきた。

引き戸に手をかける間もなく、ユノの両手が伸びてきて抱き止められた。

僕に近づく足音ひとつたてず、気配もしなかった。

 

「チャミ...ごめんな。

怒らないでくれ」

「......」

次々と涙が零れ落ちてきた。

安心したのだと思う。

「恋人がいたのは昔の話だ。

何度も言ってるけど、今はいない」

「......」

 

ユノの過去はどうしようもできないのだ。

分かってはいるけれど、嫉妬の気持ちもどうしようもできないのだ。

 

「今の俺はチャミに専念している。

だから『護らなくていい』だなんて言わないでくれ。

これまでもちゃんと、俺はチャミの味方でいただろ?」

僕はしぶしぶ頷いた。

「僕がいるせいで恋人が作れなくて嫌でしょ?」

「チャミは天邪鬼だなぁ。

そんなことあるわけないだろ。

チャミでいっぱいいっぱいだよ」

 

ユノに身体をひっくり返され、彼と向かい合わせになった。

いつもするようにユノは身をかがめ、僕の目線と高さを合わせた。

服薬と煙のおかげなのか、ここまで近く顔を近づけられたのは久しぶりだった。

誠実な言葉を紡ぐユノの口元に注目してしまった。

例の恋人のあちこちに、ユノの唇が落とされたのだろうか。

 

「別れたあいつの属性が何だったのか、説明が難しい。

事情が込み入っていて、今のチャミの知識じゃ理解しづらいと思う

ちゃんと説明するから、もうしばらく待っていてくれ」

「全部教えてね」

「ああ」

 

(つづく)

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