【34】NO?-僕のキスマーク-

 

~ユン~

 

 

サイドテーブルに置いた携帯電話が通知ランプを点滅させていた。

 

ブラインドの隙間から、夜明け前の白んだ光がぼうっと差し込んでいる。

 

いつもだったら無視するところだが、眠気が一向にやってこない今夜に限っては、携帯電話に手を伸ばした。

 

時刻は4時。

 

作品制作を始めるには早いが、寝付けそうにないから起きてしまうことにした。

 

俺の隣で寝息をたてている女を起こさないようにベッドを抜け出し、携帯電話の通知内容を確認する。

 

民からメールが届いていた。

 

義姉の出産に伴う手伝いがあるから仕事を休ませてほしい、という内容だった。

 

「残念」

 

昨夜、民を食事に誘い、帰りの車中で唇を奪ってしまった。

 

カチカチに緊張した民の幼さっぽさには、今思い出しても笑みがこぼれる。

 

成熟しきっていない華奢な男の身体をワンピースで包んで、ユニセックスな妖しい雰囲気にやられてしまった。

 

からかう気持ちで民に口づけた時、触れた唇からびりっとした刺激が走った。

 

次のミューズは、この子だ。

 

すぐにでも、民をモデルにした作品作りに取り掛かりたかったから非常に残念だ。

 

ベッドに残した、横顔を長い髪で隠した女を振り返った。

 

彼女もいいモデルだった。

 

顔のパーツが正しい形で正しい場所に配置された彼女は、典型的な『美人』だ。

 

作品の人体部分の無名性を保つことに成功し、周囲を彩る草花を主役に表現することができた。

 

どんなポーズをとらせても安定感のある顔かたちのため、お手本のような人体像に仕上った。

 

その反動でか、危うさを漂わせた民に目がいった。

 

次の作品は人体部分を主役にしたい。

 

男と女の間をさまよう揺らぎのようなものを、写し取ることができたら最高だ。

 

「身も心も」の言葉通り、相手の全てを手中におさめていく過程と並行して、作品も完成に向かっていくのだ。

 

俺に観も心も奪われ突き放され、涙をたたえた透明な瞳を早く目にしたい。

 

久方ぶりに、闘志のようなものがみなぎってきた。

 

面白くなりそうだ。

 

シャワーを浴びて寝室に戻ってみると、女は未だ眠っていた。

 

民とのキスで欲に火がついた俺は、深夜過ぎにも関わらず彼女を呼び出した。

 

この女は、俺が欲しい時に呼び出せば、いつでも尻尾を振って駆けつけ、激しく抱かれる。

 

俺は遊び人じゃない。

 

恋人に対しては細やかな気配りを欠かさないし、彼らが欲しがる言葉もふんだんに与えてやる。

 

いい顔をしていてもらわないと困るからだ。

 

俺が恋人に求めるものはただ一つ。

 

作品制作にインスピレーションを与えてくれるか否かだ。

 

熱っぽい目で見つめられながら、俺は作品を作り上げる。

 

俺にとことんのめり込ませた挙句、彼らから引き出せるものが枯れたら、残念ながら終わりの時だ。

 

切れ味よいナイフのようにスパッと切り捨てる時もあれば、彼らに期待を持たせたまま時間をかけて引きちぎる時もある。

 

民という次のモデルを見つけてしまった俺は、目の前の女と終わりにしなければならない。

 

その予感を察したのか、俺に刻印を残すかのように激しく吸い付きやがって。

 

子供っぽい行為に走る彼女が不憫になった。

 

恐らく民は、見つけてしまっただろう。

 

一瞬の間に見せたショックを受けた表情に俺はほくそ笑んだんだ。

 

酷い話だが、泣きわめいてすがりつく姿からインスピレーションを得る時もあった。

 

ひと悶着ありそうな予感がしたが、それもいいスパイスになりそうだ。

 

さて、あとで民に電話をしてやろう。

 

男にしてはやや高い、弾んだ声で電話に出るだろう。

 

君が俺に夢中になっていることなんて、お見通しなんだよ。

 

 


 

 

~民~

 

 

産科待合室のベンチの間で行ったり来たりしていたお兄ちゃんは、私を一目見て絶句した。

 

「民...!」

 

自分の髪が真っ白だってことを忘れていた。

 

甥三人はベンチで眠っている。

 

「予定より早いね」

 

「そうなんだって。

予定通りにはいかないものだな」

 

困った顔をしていながらも、嬉しそうだ。

 

「仕事は大丈夫なのか?」

 

お義姉さんが入院している間、家のことを任されているのだ。

 

「大丈夫。

理解ある上司なの。

そんなことより、お兄ちゃんこそ、立ち会うんでしょ?

いかなくていいの?」

 

「俺にうろちょろされると気に障るらしい」

 

「駄目だよ、行ってあげなくっちゃ。

僕ちゃんたちは私が連れて帰るから」

 

「助かる。

登園グッズは玄関にあるからさ」

 

「お兄ちゃん...すごいねぇ...4人だよ?」

 

「ホントだよ。

3つ子も予定外だが、4人目も予定外だ。

稼がなくちゃなぁ...」

 

お兄ちゃんは、両腕を上げて大きく背伸びをすると立ち上がって自販機で買ったコーヒーを私に手渡してくれる。

 

柔道部員だったお兄ちゃんは私の肩までの背で、がっちりとした肩と太い首をしている。

 

「こっちでの生活は、どうだ?」

 

「ぼちぼち」

 

私とお兄ちゃんは血の繋がりはない。

 

私のお父さんと、お兄ちゃんのお母さんとが再婚した結果、私たちは兄妹になった。

 

「俺んとこに呼べなくて悪かったな。

チャンミンに可愛がってもらってるか?」

 

チャンミンさんの名前が出て、私はドキリとした。

 

「うん」

 

「腹いっぱい食べさせてもらってるか?」

 

「うん」

 

「あいつは優しい奴だからなぁ」

 

そうなの。

 

チャンミンさんは、優しいの。

 

「ねえ、お兄ちゃん。

チャンミンさんって、大学生の時どんな人だったの?」

 

こっちへ来ることになるまで、チャンミンさんについては「私と非常に似ている」ことくらいしか聞いていなかった。

 

「モテてたな」

 

「やっぱり?」

 

「女子たちにキャーキャー言われてたけど、根が照れ屋な奴だから、居心地悪そうだったなぁ」

 

「へぇ...。

彼女は?」

 

さり気なさを装って質問する。

 

「いっぱいいた?」

 

「モテてたわりに、彼女はそう何人もいなかったなぁ。

俺が知っている限りでは...1、2...3人...くらいか?

彼女一筋なんだって。

今の彼女が4人目になるかな、多分。

二股かけてなければ、の話だが」

 

「ふ、二股!?」

 

「冗談だよ。

あいつはそういう奴じゃない」

 

よかったー。

 

心の中で、深い安堵のため息をついた。

 

「チャンミンと一緒に住んでる彼女はどんな子だ?

チャンミンとお前を間違えなかったか?

びっくりするほど一緒だからなぁ」

 

「初日に間違えられた、かも」

 

私のことをチャンミンさんだと間違えて、リアさんに耳を舐められた。

 

「だろう?

兄貴がもう一人増えたみたいでよかったじゃないか?

双子の兄貴だ。

チャンミンにお前を見てもらってるから、俺は安心だよ」

 

お兄ちゃんの言う通り、チャンミンさんのことをもう一人のお兄ちゃんみたいだって思っていたけれど。

 

リアさんといちゃいちゃしているのを見てモヤモヤした感情は、愛情を横取りされてヤキモチを妬いた妹みたいなものだろうって。

 

今の私は、それとは少し違ってきた。

 

タクシーの中でのことを思い出していた。

 

「私とキスできますか?」とチャンミンさんに質問した。

 

ユンさんは「出来る人」なんだろうな。

 

それができちゃうユンさんが大人っぽくて、悪い男の人みたいで、カッコいいなぁなんて矛盾した思いも抱えている。

 

でも、チャンミンさんには「恋人や好きな人がいながら、他の人とキスなんて出来ないよ」と言ってもらいたかった。

 

勝手でしょう?

 

私からキスをおねだりされたと捉えたチャンミンさん。

 

チャンミンさんの顔が近づいてきて、「くる!」ってすぐに分かった。

 

キスする場所がホテルでの時と同じように、口じゃなくて首だった。

 

今夜のキスは、あの日のもののパワーアップ版だった。

 

私の思考はストップしてしまって、私の全神経は耳の下に集中していた。

 

チャンミンさんの体温が伝わってきて、唇の濡れた感触にぞくぞくっとした。

 

ちょっとだけ、変な声が出てしまった。

 

この感覚って、もしかして...「感じる」ってやつですか?

 

チャンミンさんったら、舐めるんだもの。

 

汗をかいてたから、しょっぱかったかなぁ。

 

お風呂に入ったばかりだから、臭くはなかったはず。

 

あー、どうしよう。

 

今思い出しても、ドキドキする。

 

でも。

 

私の反応を楽しんでたら嫌だな、って思った。

 

だから、唇へのキスは「駄目です」って拒んだ。

だって、チャンミンさんの真意が分からない。

 

男の人に相手にされない私を憐れんで、「代わりに僕がキスしてやろうか」みたいなノリなんじゃないかって、卑屈になった。

 

「駄目」って断っておきながら、本当は嬉しかった。

 

余程なことがないとキスなんて出来ないでしょう?

 

私を味わうようなキスで...うん、素敵だった。

 

私は『女』になってた。

 

そういうわけで、チャンミンさんのことをお兄ちゃんみたい、と慕うだけではいられなくなってきたのだ。

 

チャンミンさんは私のことを、どんな風に見ているのか知りたくなった。

 

「そろそろ、嫁さんの様子を見に行ってくるよ。

ガキどもを頼んだぞ」

 

お兄ちゃんはカップの中のコーヒーを飲み干すと、私の肩を叩いた。

 

「うん。

任せておいて」

 

お兄ちゃんの背中を見送った私は、靴を脱いでベンチに長々と横になった。

 

私は背が高いから、足首から先が飛び出している。

 

「はぁ...」

 

ユンさんに続きチャンミンさんと...今夜の私はキスめいている。

 

人生初だ。

 

チャンミンさんにメールを送ろうと、ポケットの中を探った。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

僕は大胆なことをしてしまった。

 

民ちゃんの首にキスをしてしまった。

 

唇にするやつよりも、うんと大胆でいやらしいキスだ。

 

民ちゃんの匂いや皮膚の感触、伝わる体温や震えに、僕は猛烈に「感じて」しまった。

 

民ちゃんがあんなに可愛らしい声を漏らすとは。

 

あそこがタクシーの中じゃなかったら、本気で押し倒してたかもしれない。

 

異性に対して魅力に感じるところとは、性格や交わす会話の内容も大事だが、見た目や触り心地も重要だと思う。

 

女性らしい部分...丸みやくびれ、柔らかさなどに。

 

ところが、民ちゃんにはそれがない。

 

目の高さが僕と同じで、ぺたんこのお胸に小さなお尻、骨ばった手足。

 

そして何より、男の顔。

 

それなのに、民ちゃんから女の色気を感じるんだ。

 

さっきから手の中でもて遊んでいたものに、視線を落とす。

 

黒い携帯電話。

 

マンションに到着し、降りようとしたタクシーのシートに、緑色に点滅する光を見つけた。

 

民ちゃんがメールを送信し終えた時、僕は彼女の手を握ったり、キスをしたりしたから、驚いた末ぽろりと落としてしまったのだろう。

 

仕事帰りに届けてやろう。

 

困っているだろうから。

 

「チャンミン先輩!」

 

後輩Sに肩を叩かれ、飛び上がった。

 

「いでっ!!」

 

弾みでデスク天板の裏にしたたか打ち付けた膝をさすった。

 

プリント用紙を抱えたSが呆れた顔で僕を見下ろしていた。

 

「先輩...。

いい年して『それ』はないっすよ」

 

「へ?」

 

「もしか気付いてないんすか?

これから会議があるんすよ。

『それ』はまずいですって!」

 

「なんだよ!

はっきり言えよ」

 

Sは顔をしかめて、囁いた。

 

「...キスマーク」

 

「!!!」

 

僕はトイレまで駆けて、鏡に映る自分に仰天した。

 

耳の後ろ。

 

昨夜のシャワーはぼーっとした頭で浴び、目覚ましで浴びた今朝のシャワーも、ぼーっとしていて気付かなかった。

 

リアだ。

 

キッチンの床でもつれあっていた時、そういえば強く首筋を吸われた。

 

民ちゃんに気付かれたか...?

 

大丈夫。

 

バルコニーもタクシーの中も、暗がりだった。

 

多分、見られていない。

 

「あ!」

 

自分の方こそ、民ちゃんに付けてやしないだろうな?

 

目をつむってあの時のことを思い出す。

 

強くは吸ってはいないはず。

 

終業時間が待ち遠しかったが「よし」と声に出し、気持ちを切り替えてSの元へ戻った。

 

「せんぱーい、絆創膏もらってきました!」

 

 

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