【35】NO?

 

~君の胸、僕の胸~

 

〜チャンミン〜

 

 

「......」

 

「その『彼』って、どんな人なの?」

 

ソファの座面に伏せて顔を隠した民ちゃんの傍らに僕は膝をつき、彼女を覗き込む。

 

「早くないか?」

 

「そんなんじゃないです!」

 

「民ちゃんの『彼』は、どんな人?」

 

「...いい人ですよ。

...それと、お付き合いしてません。

片想いです」

 

「そっか...」

 

民ちゃんが僕の部屋に暮らすようになって、まだ2週間かそこらだ。

 

夜は大抵、僕と一緒に過ごしているし、昼間は仕事のはずだ。

 

僕の知らない間に、隙間時間をぬって民ちゃんの恋は前進していたってわけか。

 

相談して欲しかったのに。

 

と言いつつも、応援できる心境じゃないんだけどね。

 

「ちゃんとした人か?

しつこくてゴメンな、気になっちゃって。

おかしな奴だったりしたら駄目だと思って、さ」

 

民ちゃんがむくりと顔を上げた。

 

きりりとした眉の下の、黒いまつ毛に縁どられた上瞼。

 

しっかりとした鼻筋と、高い額、薄い唇。

 

確かに僕の顔のパーツと瓜二つだ。

 

僕の目というフィルターを外したら、民ちゃんは僕そのものだ。

 

白い髪に白い肌。

 

瞳には涙を浮かべて、鼻先を赤くしている。

 

僕の目というフィルターを通した民ちゃんは、僕とは似ても似つかない。

 

民ちゃんが、僕からどんどん離れていく。

 

「実のお兄ちゃんのように、心配してくださるのは、ありがたいです」

 

鼻をすすった民ちゃんは立ち上がり、床に膝をついた僕は彼女を見上げる。

 

「でも、私はチャンミンさんの『妹』じゃありません」

 

「民ちゃん...」

 

「チャンミンさんは、私の...」

 

と、民ちゃんは言いかけると、そこで言葉を切った。

 

民ちゃんの次の言葉を、僕は固唾を飲んで待った。

 

「チャンミンさんは...」

 

僕の目をまっすぐに見ていた民ちゃんのピントがぼやけてきた。

 

民ちゃんにとって、僕の存在は?

 

「なんでしょうね。

不思議です。

一言で言い表せません」

 

民ちゃんは、ふっと肩の力を抜くと、首をかしげて困った表情を見せる。

 

ふふふと笑った民ちゃんが、突然後ろから僕の首にかじりついてきた。

 

「わっ!」

 

「大事な人ですよ、チャンミンさんは」

 

僕の耳元で、民ちゃんはそう言った。

 

むぎゅうっと僕の首に、筋肉の薄い細い腕を巻き付けて、「大事な人です」と繰り返した。

 

僕の心も、むぎゅうっと苦しくなった。

 

民ちゃんに気付かれないようにそっと、回された腕に唇をつけた。

 

「?」

 

民ちゃんは僕の首の後ろをくんくんと嗅ぎだした。

 

「チャンミンさん、おじさんの匂いがしますね」

 

「ええっ!?」

 

慌てて民ちゃんの腕を振りほどこうとしたけれど、彼女は力持ちだ。

 

「嘘です」

 

「こら!」

 

「男の人の匂いがしますー」

 

うなじに民ちゃんの唇がかすって、背筋にも腰にも甘くて心地よい痺れが走る。

 

「隠し事をしてるつもりはなかったんです。

 

90%の確率で、私の片想いで終わると予想しています。

 

『期待していいのかな』って思う時もありますよ。

 

でもそれは、大人の男の人が小娘を手の平で転がす...ような感じだから。

 

それを真に受けている私は、何ておバカさんなんだろうって」

 

僕の横顔に、民ちゃんの横顔がくっついている。

 

少しだけ首を傾けるだけで、民ちゃんの頬に唇が届くのに。

 

 

 

 

T。

 

お前の妹だから、うかつなことはできないと、初日の夜にそう思った。

 

その考えを撤回するよ。

 

「うまくいきっこない恋愛の話を、チャンミンさんにするのが恥ずかしかった。

チャンミンさんのことだから、いいアドバイスを下さると思います。

せっかくアドバイスを下さっても、私はどれ一つ実行できる自信がありません」

 

「うまくいかないかどうかなんて、わからないだろ?」

 

僕は首にまわされた民ちゃんの腕に指をかけた。

 

皮膚が薄くて、女の子の腕だと思った。

 

「私の好きな人は、どんな人かと言いますとね。

とにかくカッコいいんです。

頭がいい人です。

成功している人です。

...こんな単語の羅列の説明じゃわかりませんよね」

 

民ちゃんの体重が僕の背にのしかかる。

 

「その人の名前は、ユ...」

 

ガタガタっと玄関の方で音がした。

 

民ちゃんはハッとしたように、僕の首に巻き付けていた腕を離した。

 

リアが帰宅した。

 

 


 

 

「リア...」

 

「リアさん...」

 

泣き腫らした顔で髪は乱れ、加えてベロベロに酔っぱらっているようだった。

 

足元がおぼつかなく、身体が左右に揺れている。

 

力を抜いた民の腕から抜け出すと、チャンミンはリアの方へ近づいた。

 

「飲み過ぎじゃないのか?」

 

その場でへたり込みそうなリアの脇を支えた。

 

アルコールの匂いをぷんぷんとさせ、完ぺきに施してあったはずのメイクが、汗や皮脂で崩れ、汗ばんだ首筋におくれ毛がへばりついている。

 

酔いつぶれるまで飲んだらしいリアは、珍しい。

 

駆け寄った民は、リアが玄関に放り出したバッグを拾い、土足のまま上がってきたリアからサンダルを脱がせる。

 

剥がれかけのペディキュアに気付いて、「リアさん、荒れている...」と民は思った。

 

身体の力はとっくに抜けてへなへなしているリアに、チャンミンは「しょうがないなぁ」とつぶやいて、膝の裏に腕を差し込んで抱き上げる。

 

「放してっ!

チャンミンのバカ!

放っておいてよ!」

 

足をバタバタとさせて、チャンミンの頭やら肩を叩くリアに構わず、チャンミンはリアを寝室に運んだ。

 

(わぁ...お姫様抱っこだ...)

 

その後ろを、民はミネラルウォーターのペットボトルと、おしぼりを持ってついていく。

 

チャンミンはリアをベッドに横たえた。

 

「リア...こんなになるまで...。

気持ちは悪くないか?

とりあえず、水分を摂った方がいい」

 

チャンミンはリアの頭を起こすと、民から手渡されたペットボトルを開封して、リアの口元にあてた。

 

3分の1ほど飲んだ後、リアの肩が嗚咽に合わせて震えた。

 

「リア...」

 

リアの喉から、高い悲鳴のような呻きが漏れ、胸が大きく波打つ。

 

つむったまぶたの端から、涙が次々と流れ落ちる。

 

「リア...どうした?

何か嫌なことがあったのか...?

ああ...!」

 

(僕からの別れ話が、原因だろう。

リアは別れたくない、と言っていた。

それなのに、僕はリアに「もう好きじゃない」と、酷いことを言った)

 

「そうよ...。

チャンミンのせいよ」

 

「ごめん」

 

チャンミンは、リアの頬にはりついた長い髪を指でよけてやり、民から手渡されたおしぼりで、涙とメイクでどろどろになった顔を拭いてやった。

 

「チャンミンのせいよ...」

 

リアの腕が伸びて、チャンミンの頭を抱え込むように引き寄せた。

 

「リア...」

 

しばらく身を固くしていたチャンミンだったが、リアの肩に頭を預けてされるがままになった。

 

(リアさん...)

 

部外者だと察した民は、後ろに下がって二人を遠巻きに見ているしか出来ない。

 

リアの頭をぽんぽんと優しく叩くチャンミンの脇に、機転を働かせて浴室から持ってきた洗面器とタオルを置くと、民は寝室を出て行った。

 

(同棲までした二人なんだから、簡単に別れられないよね。

リアさんは、別れたくないんだ。

チャンミンさんは、どうするんだろう)

 

「リアとは一緒にいられない」と民の肩で泣いていたチャンミンを、民は思い出す。

 

(この場では、私ができることは何もない。

でも...)

 

リアの頭を撫ぜるチャンミンの手の映像が、民の頭にはっきりと記憶された。

 

チャンミンの手の部分だけクローズアップしたものが。

 

(チャンミンさんにとって、女の人の頭を撫ぜるのはどうってことないコトなのかな。

 

癖みたいなものなのかな。

 

チャンミンさんがリアさんを撫ぜるのは、謝罪の気持ちから?

 

「やっぱり好きだよ」の気持ちから?

 

私だけにしてくれてることだって、己惚れていた。

 

胸がちくちくする。

 

私はチャンミンさんにとって...何なんだろう?)

 

 

 

(つづく)

 

 

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