【35】NO?-君に夢中なんだー

 

~民~

 

(きっとタクシーの中だ)

 

ポケットの中にもリュックサックの中にも携帯電話が見当たらない。

 

チャンミンにメールを送りたかったし、ユンにも電話をかけたかった。

 

待合室の角に公衆電話はあるが、電話番号を覚えていない。

 

「うーん...」

 

眠っていた甥の一人が、むくっと起き上がって、焦点の合わない視線をさまよわせている。

 

「起っきした?

民ちゃんだよ」

 

民はしゃがんでその子を抱き上げる。

 

続いて、2人目3人目と目を覚まし、民は気持ちを引き締めた。

 

(この子たちをお家に連れて帰らなくっちゃ)

 

民はリュックサックを胸側に背負うと、1人目をおんぶし、2人目3人目と手を繋いだ。

 

「お家に帰ろーね」

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

僕のバッグの中で民ちゃんの携帯電話が何度も鳴って、その度代わりに出ようか迷ってしまう。

 

マナーモードに切り替えたいが、暗証番号が分からない。

 

「誕生日とかかな?」と試しに入力しかけて、「民ちゃんの誕生日っていつなんだろう?」と、指が止まった。

 

民ちゃんのことをあまり知らないことに気付いた。

 

僕といる時はおちゃらけている民ちゃんだけど、自分自身のことを率先して話す子じゃない。

 

「チャンミンさんはどうでした?」と質問されれば僕は何でも答えてあげたし、「民ちゃんはどう?」と僕の方から質問すれば、大抵のことは教えてくれた。

 

「そうですねぇ...、私の場合はですねぇ」って、丸い目で宙を見上げてしばし考える仕草を思い出すと、ふっと僕の口元は緩んでしまう。

 

誕生日はいつか教えてもらおう。

 

民ちゃんに誕生日プレゼントを買ってあげたい。

 

わくわくしてきたけど、僕と民ちゃんの関係について考えが及ぶと、気持ちが萎む。

 

友人でも恋人でもないのに、プレゼントを贈るのはやり過ぎだよな。

 

それならば、はっきりさせた方がいいのだろうか?

 

タクシーの中でのキスで、僕の気持ちが民ちゃんにバレているといいんだけど。

 

駄目だ。

 

民ちゃんは、気付いていない。

 

観察眼は鋭そうなのに、色恋ごとには鈍感そうな民ちゃんに、僕のことを察して欲しいと望むのは無理がある。

 

ひとつ屋根の下で暮らせる日々も、残り少ない。

 

間もなく民ちゃんは、僕のところを出て行ってしまうし、僕の方も引っ越し先を真剣に探さなければならない。

 

一緒に暮らしている間は、僕の想いは胸にしまっておいた方がいい。

 

僕からの告白なんて民ちゃんは予想だにしないだろうし、民ちゃんの答えが「NO」だったら気まずくなる。

 

待てよ...。

 

民ちゃんは、「勘違いしてしまいますよ?」と言っていた。

 

そうだよ民ちゃん、是非とも勘違いして欲しい。

 

ワンピースを着た理由が職場の歓迎会ならば、『例の彼』と未だどうこうなっていないはずだ。

 

今なら、僕が割り込んできても間に合うよね?

 

やれやれ、どうやら僕は相当、民ちゃんに参っている。

 

 

 

バッグの中から雄鶏の鳴き声がした。

 

「!!!」

 

リアルな『コケコッコー!』だ。

 

電車内で一斉に浴びせられる冷たい視線に、僕は赤面しながらバッグに手を突っ込んで、音源をストップさせる。

 

民ちゃんは、発信者によって異なる着信音を設定しているのだ。

 

知っている範囲では、民ちゃんの兄Tが『ツィゴイネルワイゼン』で、実家が『車のクラクション』、郷里の友人が『観衆の笑い声』...僕の場合は(気になって、さっき鳴らしてみた)と言えば。

 

民ちゃんの独特のセンスを考慮すれば、僕からの着信は「犬の鳴き声」もしくは「お寺の鐘の音」かな、って。

 

ところが、僕に設定されていたのは、『せせらぎの音』だったんだ。

 

こんな控えめな音じゃ聞こえないだろう?と、民ちゃんに突っ込みをいれたくなった。

 

でも。

 

なぜだか、嬉しかった。

 

そっか...僕は、さらさら流れる心癒されるせせらぎの音か...って。

 

 

『コケコッコー!』が鳴るのはこれで3回目だ。

 

発信者は『Y』と表示されていて、民ちゃんの『例の彼』かもしれないと思うと、心がヒヤッとした。

 

降りるべき駅名のアナウンスに、扉が開くや否や僕はホームへ降り立った。

 

僕は今から民ちゃんに携帯電話を届けに行く。

 

病院にいるといいのだけれど。

 

 


 

 

~チャンミンと民~

 

 

受付カウンターで産科の場所を教えられ、廊下を曲がった突き当りに、チャンミンは真っ先に民の白い頭を見つけた。

 

(いた!)

 

長い脚を組んでベンチに腰掛けた民は、両腕を組んで俯いてうたた寝をしているようだ。

 

寝不足の民を気遣ったチャンミンは、声はかけずに民の隣に腰掛けた。

 

(疲れているんだな)

 

口を軽く開け、すーすーと寝息をたてる民を見るチャンミンの眼差しは優しかった。

 

(よかった...キスマークは付いていない)

 

前へ折曲がった民の白いうなじが真横にあって、チャンミンはどうしてもタクシーの出来事を思い出してしまう。

 

(僕の肩を貸してあげたいけど...、ここは病院だ)

 

がくんと民の頭が大きく前へ揺れて、その弾みで民は目覚めた。

 

「っと!」

 

きょろきょろと見回して、隣に座るチャンミンに気付いた民はビクッと身体を震わせた。

 

「びっくりしましたぁ!」

 

垂れてもいないよだれを拭う民の仕草が可笑しくて、くすくす笑ったチャンミンは民の頭に手をのばした。

 

「あ...」

 

首をすくめた民に驚いたチャンミンの手が、民の頭に触れる1歩手前で止まる。

 

「ごめん」と慌てて手を引っ込めたチャンミンに、民も「ごめんなさい」と謝る。

 

(違うんです!

嫌じゃないんです!

ただ...ただ...)

 

真っ赤な顔でコホンと咳ばらいをした民はつぶやく。

 

「恥ずかしい...です」

 

(民ちゃんに照れられたら、僕の方も恥ずかしいよ)

 

チャンミンも戻した手を口元に当てて、コホンと咳ばらいをした。

 

(急にどうしちゃったんだろう。

チャンミンさんに接近されると、緊張する...!

妙に意識してしまって...)

 

(やっぱり昨夜のことが、嫌だったんだろうか?

僕から離れて座りなおすなんて...嫌われた...かな)

 

「えっと...お義姉さんは?」

 

「そうなんです!」

 

パチンと手を叩いた民は立ち上がり、弾ける笑顔でチャンミンを見た。

 

「産まれたんですよぉ!」

 

「ホントに!?」

 

チャンミンも立ち上がって、民の両手をとった。

 

「そうなんですよぉ!」

 

「どっち?」

 

「男の子でーす」

 

「4人目も!?」

 

「そうなんです!」

 

「お義姉さんは?」

 

「元気もりもりです」

 

「ちっちゃい子たちは?」

 

「お祖母ちゃんがお迎えにいってます」

 

「Tは?」

 

「お義姉さんとこです」

 

「!!」

「!!」

 

我に返った二人は、繋いだ手を同時に離す。

 

「はははは...私たち、なんだか変ですね」

 

チャンミンも照れ隠しに、痒くもないうなじをぼりぼりとかいた。

 

指先に絆創膏が触れて、ぎくりとその手が止まる。

 

(これだけは民ちゃんに見つかるわけにはいかない!)

 

「民ちゃん、落としていっただろ?

携帯電話」

 

「おー!

そうでした!

どこにありましたか?」

 

「タクシーの中だよ」

 

「タクシー...ですか...」

 

「...」

「...」

 

(タクシーで、私とチャンミンさんは...)

 

チャンミンは、黙りこくってしまった民の様子に不安になる。

 

(やっぱり、タクシーでのことが嫌だったんだな)

 

「民ちゃん...あのさ、電話!

電話があったみたいだよ」

 

「やっぱり!」

 

民は受け取った携帯電話をあたふたと操作する。

 

(ユンさんからだ...3回も...。

無責任な奴だと思っただろうな。

あれから坊やたちのお世話や、産まれたと呼び出されてバタバタしていたから、すっかり忘れていた。

社会人失格だ)

 

「民ちゃん、連絡しておいでよ」

 

民の表情が曇っているのを見て、チャンミンは民に声をかける。

 

「そうします」

 

その場を離れかけた民はすぐに引き返してきた。

 

「チャンミンさん...」

 

民は俯き加減で、チャンミンのシャツをつんつんと引っ張った。

 

「ん?」

 

「お願いがあります」

 

「どうした?」

 

「笑わないでくださいね」

 

もじもじする民のお願いが何なのか、チャンミンにはさっぱり分からない。

 

「チャンミンさんにしかお願いできないんです」

 

「遠慮なく言いなよ」

 

 

「トイレに...ついてきてください」

 

「へ?」

 

「いつも困ってるんです。

昼間だし、人もいっぱいいるし...。

ほら、私はこんな見た目ですから」

 

そこまで聞くと、チャンミンは民の言いたいことが理解できた。

 

「いいよ。

僕が見張っててあげるから」

 

「ありがとうございます」

 

チャンミンはずんずんと大股で先を歩く民の背中を追う。

 

(我慢してたんだ)

 

「身障者のところは故障中だったんです。

お兄ちゃんは戻ってこないし、違う階まで走ればいいんですけどね」

 

「中に誰もいないか、見てくるから」

 

「漏れそうですから、急いでください」

 

チャンミンは男子トイレを覗くと、廊下で待たせていた民に頷いてみせる。

 

「OK」

 

民は小走りで個室に駆け込み、鍵を下ろす。

 

チャンミンもついでだからと、用を足すことにした。

 

 

「チャンミンさん...」

 

「ん?」

 

「耳をすましたら駄目ですよ?」

 

「しないって」

 

「おっきい方じゃないですからね!

勘違いしないでくださいね!」

 

「しないって」

 

「おならが出ちゃったら聞いてないふりしてくださいよ」

 

「OK」

 

「チャンミンさん」

 

「ん?」

 

「これって痴漢行為ですよね。

女の私が男子トイレを使うことって。

でも、仕方がないんです。

女子トイレに入れないんです。

通報されちゃいます」

 

「仕方がないさ」

 

「ですよね」

 

 

「!!!」

 

他の利用者が入室してきたため、チャンミンは民のいる個室のドアを鋭くノックした。

 

「......」

 

「......」

 

 

「民ちゃん、大丈夫、出ておいで」

 

民は眉を下げ、ほとほと困ったといった表情でチャンミンを見た。

 

「自分が嫌になっちゃいます...」

 

「民ちゃん...」

 

「髪を伸ばせばいいんでしょうかねぇ」

 

民の視線が自分の後ろに注がれているのに気づいて、チャンミンは振り返った。

 

洗面台の上に取り付けられた鏡に2人が映っていた。

 

短い黒髪のスーツ姿と、脱色した髪のTシャツ姿の2人の青年が。

 

2人は同じ顔をして、互いの目と目が合っていた。

 

「......」

 

鏡の中の民の顔がゆがんできたのを見るや否や、チャンミンは思わず民の肩を抱きよせた。

 

その理由は、民を哀れに思ったからじゃない。

 

公衆の場で目にする民が綺麗で可愛らしいと、チャンミンはあらためて実感したからだった。

 

「チャンミン...さん?」

 

チャンミンの行動に驚いて、民はしばらく身じろぎもせずにいたのち、チャンミンの肩にあごを乗せた。

 

どぎまぎしていた民は、チャンミンの首筋に貼られた絆創膏に気付かない。

 

チャンミンの片手が民のウエストに回ったその時、

 

「おっ!」

 

「!!」

 

用を足しに来た中年男性の声に、2人は弾かれるように身体を離した。

 

その男性は踵を返して行ってしまう。

 

「......」

 

(男子トイレで、男同士が抱き合っていたら驚くよな、そりゃ。

民ちゃんは男じゃないけどさ)

 

「はあ...」

 

チャンミンはシンクの縁に両手を突くと項垂れて、ため息をついた。

 

 

 

「あああーーー!!!」

 

「!!!!」

 

(ミミミミミミミンちゃん!!

いきなりの大声、驚くから!)

 

「チャンミンさん!!!」

 

 

民はチャンミンの両肩をがしっとつかむと、前後に振った。

 

「何!?

どうした、民ちゃん!?」

 

「忘れてました!

うっかり八兵衛です!」

 

「うっかり八兵衛って...何?

知らないよ、なんとか八兵衛なんて...」

 

「チャンミンさんにお願いがあります!」

 

「今度は何?」

 

「チャンミンさんだからこそ、できるお願いです!」

 

「僕?」

 

「そうです!

チャンミンさん『しか』できません!」

 

「よく分かんないけど...。

どうすればいいの?」

 

 

(渋々っぽく言ってるけど、そうじゃないんだ。

 

僕は君のお願いなら何でもきくよ。

 

だって、僕は君に夢中なんだから)

 

 

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