【37】NO? ‐君の心はメトロノーム –

 

 

~民~

 

小さな甥っ子3人のお世話は想像以上に大変だった。

 

お義姉さんを見舞った後、帰宅したお兄ちゃんとバトンタッチした私は、へとへとの身体でカイさんたちの待つサロンに通った。

 

コンテスト前々日に、ブリーチして真っ白になった髪を、今度は真っ黒に染めたから驚いた。

 

「一度色を抜いてから色を入れると、綺麗な黒髪になるんですよ」

 

私の髪にパーマ液を染み込ませながら、カイさんは教えてくれた。

 

「へぇ...、そういうものなんですか」

 

パーマ液が冷たくて、頭皮がひりひりした。

 

「沁みますよね。

申し訳ありません。

何度もブリーチを繰り返しているから、頭皮が傷むのです」

 

うねりのあるくせっ毛の私の髪に、ストレートパーマをかけているのだ。

 

コンテスト前日に、黒く染めなかったひと房の髪をヘアマニキュアでブルーからワインレッドへとグラデーションに色に染めた。

 

Aちゃんは、カイさんを阿吽の呼吸でアシストしている。

 

衣裳合わせに行くことのできない私の代役に、チャンミンさんにお願いした。

 

チャンミンさんが電話で「大変だった」とぼやいていた理由がわかった。

 

初日の衣裳合わせの時はミニスカートだったのが、身体の線が出るショートパンツに変更になってしまった。

 

チャンミンさんはさぞ慌てただろうなぁ。

 

その光景を想像すると、可笑しくてぷっと吹き出してしまう。

 

「少しだけハサミを入れさせてください」

 

お洒落に気を配る余裕がないのだろう、黒のTシャツと黒のパンツ姿のカイさんのふわふわヘアが、くしゃくしゃになっている。

 

私の前髪はパツンと斜めにカットされ、うなじ部分はトリマーを使って刈り上げられた。

 

「今夜は僕らは、徹夜です」

 

サロンの端ではAちゃんが床に座り込んで、衣装に合わせるサンダルにせっせと銀糸を巻き付けている。

 

「民さんは一度帰宅して、お風呂に入ってきていいですよ。

ただし、髪は濡らさないでくださいね」

 

「私だけ...いいんですか?」

 

「僕らがどれだけ汚い恰好していたって、採点に響きませんからね」

 

カイさんにヘアキャップとタクシー代を手渡された私は、サロンを出た。

 

もう真夜中過ぎなのに、外気はむっと蒸し暑く、首の後ろにじっとりと汗がにじんだ。

 

お兄ちゃんの家に戻ろうか、それともチャンミンさんのところでシャワーを借りて仮眠をとろうか迷った。

 

距離を考慮すると、チャンミンさんのマンションは歩いて行けるほど近い。

 

「うーん...」

 

決められなくて歩きながら空腹なことに気付いた私は、目についたコンビニエンスストアに寄った。

 

店内の冷たい空気で、汗がすぐにひいていく。

 

かごの中に、サンドイッチやカレーパン、牛乳、栄養ドリンクなどを次々と入れていった。

 

「ひゃっ!」

 

ぽんと肩を叩かれて振り向いたら、チャンミンさんだった。

 

「民ちゃん...?」

 

見慣れた変な柄のTシャツと黒いハーフパンツ、ビーチサンダル姿。

 

お風呂上がりの匂いをさせて、くろいだ雰囲気を漂わせているチャンミンさん。

 

うっすらヒゲが伸びていたけれど、チャンミンさんってカッコいい人だなぁ、ってあらためて思った。

 

私と同じ顔、背格好をしているのにも関わらず、チャンミンさんは私とは別物だと、初めて会った時から思っていた。

 

双子みたいとか、他人なのに似すぎて気味が悪いとか、全然思わなかった。

 

その理由は多分、私自身、鏡に自分の姿を映すことが嫌いだからなんだと思う。

 

男みたいな自分の顔が嫌いで、まじまじと鏡の中の自分の顔を見ないようにしている。

 

自分から切り離した心でチャンミンさんの姿を見ることができるから、チャンミンさんのスタイル抜群なところや整った顔を見て、素直にカッコいいなぁって思える。

 

考え事をしていて気づかなかったけど、知らないうちにチャンミンさんのおうちから最寄りのコンビニエンスストアに来ていたみたいだ。

 

私の足は自然と、チャンミンさんのところに向いていたっていうこと。

 

「どうも」

 

3日ぶりのチャンミンさんにどぎまぎしてしまって、ぶっきらぼうな挨拶になってしまった。

 

なぜだかチャンミンさんの顔を恥ずかしくて見られず、うつむいてしまう。

 

電話越しなら平気なのに、変なの。

 

スニーカーの足先で意味もなく床を蹴った。

 

「そっか、サロンはこの近くだったね。

夜遅くまで大変だね」

 

「そうなんです。

本番は明日ですから。

朝4時から最後の仕込みをするんですよ」

 

「疲れてるでしょ?」

 

「それが疲れないんです。

文化祭の前日みたいに興奮しています。

私は座っているだけなんですけどね。

カイさんたちは、てんてこまいですよ」

 

「髪の色が黒くて、すぐには分からなかったよ」

 

いつまでも俯いていられなくなって顔を上げると、まぶしそうに眼を細めて私を見るチャンミンさんがいた。

 

「どうですか?

似合いますか?」

 

チャンミンさんの前で、くるりと回って見せた。

 

「うん、いい感じだよ」

 

ほほ笑んだチャンミンさんは、私の買い物かごを取り上げた。

 

「え、えっと...?」

 

「一緒に会計するよ。

もう欲しいものはない?」

 

そう言って、手にしていた缶ビールと一緒にレジに行ってしまう。

 

「これも、お願いします」

 

おにぎりを追加したら、チャンミンさんはハハハって笑った。

 

「食いしん坊でごめんなさい。

コンテストのアルバイト代が入ったら、チャンミンさんにご馳走しますから」

 

「気を遣わなくていいって。

引っ越しでお金がかかるんだから、ね?」

 

「そう言えば、そうでした」

 

「これからどうするの?」

 

「お風呂に入って、少しだけ寝ます」

 

「僕んちにおいでよ、近いんだし」

 

「でも...」

 

どうして迷うんだろう。

 

たった3日留守にしただけで、チャンミンさんのおうちが遠く感じていた。

 

タクシーの中でのキスや、男子トイレでのハグに惑わされていたけれど、チャンミンさんとリアさんが絡んでいる光景を目にして、自分がのけ者になってしまった気がしていたんだった。

 

もやもやと重苦しい嫌な思いを抱えて、チャンミンさんのお家に居心地の悪さを感じたんだった。

 

「民ちゃんの部屋でもあるんだから、おいで」

 

「でも...」

 

迷う理由は、それだけじゃない。

 

「あの...やっぱり」

 

私を覗き込むチャンミンさんから、思い切り顔を背けた。

 

「お兄ちゃんのとこに戻ります。

お弁当を作ったり洗濯したり、やることがあるので」

 

明日はお兄ちゃんはお休みだから、やることなんて何もないのに。

 

チャンミンさんのおうちに寄った方が近くて便利なのに。

 

どうして断ったんだろう。

 

チャンミンさんとリアさんのやりとりを目にしたくないからなのかな。

 

それからもうひとつ、夕方のことがあったからだ。

 

 


 

夕方のこと。

 

甥っ子たちをお風呂に入れていたら、「コケッコー」と携帯電話が着信を知らせた。

 

ユンさんからの電話だ。

 

「民くん?

ご家族の方は?」

 

ユンさんの低い声が、私の耳と胸を甘くくすぐる。

 

私を呼び捨てに呼んでいたのが、「民くん」に戻っていた。

 

そのことにがっかりしたのは分かるけど、なぜかホッとした。

 

慣れない事柄が立て続きに起こると、キャパシティの狭い私の心はすぐさまいっぱいになる。

 

感情の処理ができなくて、大渋滞を起こしてしまう。

 

「みんな元気です。

明日にはお義姉さんが退院するので、お役御免になります。

ご迷惑おかけしてしまって、申し訳ないです」

 

ユンさんがふっと笑う吐息が、電話越しに聴こえた。

 

まるで耳の中に直接息を吹きかけられたみたいに感じられて、ぞくっとした。

 

「仕事の方は心配しなくていい」

 

「ありがとうございます。

お仕事を休んでおきながら、コンテストのバイトなんてしていて非常識ですよね」

 

ふっと笑ったユンさんの吐息が再び、私の耳をくすぐった。

 

「お義姉さんのこともコンテストのことも、面接の時に前もって知らせてくれていたから、構わないんだよ」

 

「ありがとうございます」

 

「そのコンテストは、どこであるの?」

 

問われた私は、場所と時間を伝えた後、

 

「あの!

お時間があったら、見学にいらっしゃいませんか?」

 

と、思わずユンさんを誘っていた。

 

「えっと...その...、

会場には沢山、綺麗なモデルさんがいますし、ユンさんのお眼鏡にかなう人がいるかもしれませんし...」

 

「へぇ。

見学させてもらおうかな。

ところで、部外者が行ってもいいのかい?」

 

「えっ!?」

 

「忙しいから」と断られると思ったのに、あっさり承諾の答えを得られて私は一瞬、放心してしまった。

 

どうしよう!と、軽いパニック状態になる。

 

「はい。

全国から沢山の美容師さんたちが見学に来ますし、一般の人たちも入場できます。

ちょっとしたLIVEみたいな雰囲気だと聞いています」

 

「そうか。

それなら、時間を作って行くよ」

 

「は、はい。

お待ちしております!」

 

どうしてユンさんを、誘ってしまったのだろう。

 

私とユンさんの関係は、雇い主と従業員だ。

 

プライベートなことに、誘ってしまってよかったのだろうか。

 

私のことを知ってもらいたかったから?

 

着飾った私を見て欲しいから?

 

女らしくもない、特技もない自分が、ユンさんに振り向いてもらうためには、今回のイベントは格好のチャンスだと思ったのかな。

 

私みたいな者が、ユンさんに『振り向いてもらう』のを望むなんてお門違いだ。

 

リッチな食事を御馳走してもらい、戯れみたいなキスを1つもらっただけで、その気になってる自分が恥ずかしかった。

 

だとしても、思いがけない展開になって、鼓動が早かった。

 

「民くん。

そろそろ次の作品制作にとりかかりたいんだ」

 

「え...?」

 

「民くんがモデルになる話」

 

「モデル...」

 

先日ユンさんに、作品のモデルになってくれないかと依頼された件だ。

 

服を脱ぐ必要があると聞かされていた。

 

絶対に断る話だった。

 

落ち着いた口調なのに有無を言わせない眼で見つめられて、私は身がすくんで、気付けば「YES」と頷いていた。

 

「NO」と答えたらユンさんをがっかりさせてしまう恐れを感じていた。

 

「不安になるのは分かるよ。

服を全部脱げとは言っていないから、安心しなさい」

 

「そうでしたね。

私なんかに、務まるんですかね...ははは」

 

「民くんだから、お願いしているんだ。

...それから、もっと自信を持ちなさい」

 

 


 

ユンさんの声を聞いて、私の胸はきゅっとときめいた。

 

やっぱり自分はユンさんに憧れているし、好きなんだと確認できた。

 

どうして確認する必要があったの?

 

だって、想いを寄せているユンさんという存在がいるにもかかわらず、今の私はチャンミンさんのことでも胸がざわつくから。

 

今夜、チャンミンさんの誘いをどうして断ったの?

 

もし、チャンミンさんに触れられることがあったら、今の私は自分の感情を処理できない。

 

私は単純だから、全ての行為を意味ありげに捉えてしまうから。

 

ユンさんもチャンミンさんもカッコよくて、その二人からのキスを受け取って、私の頭は沸騰寸前なのだ。

 

先日のチャンミンさんの突然のハグには、思考が止まった。

 

男子トレイの鏡に映った自分が、チャンミンさんにそっくりで男そのもので、悲しくなった。

 

私の視線の高さが、チャンミンさんのそれと同じで悲しくなった。

 

チャンミンさんのハグは、こんな私のことを可哀想だと思ったからなのかな。

 

そんなのヤダな。

 

チャンミンさんからのハグで一番驚いたのは、抱き寄せられてドキッとしたことや、肩の力が抜けてなぜだかとても安心したことじゃない。

 

鏡に映る私が、とろんとした女の目になっていたことなのだ。

 

 

僕の名前で君を呼ぶ  短編集

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