【37】NO?

 

~君が遠い~

 

~チャンミン~

 

 

帰宅したら、洗面所で何やらしていた民ちゃんが慌てて6畳間に駆け込んでしまった。

 

パンツ姿の民ちゃんしか知らなかったから、ワンピース姿に驚いた。

 

あっという間だったけれど、黒地に白い小花柄のロング・ワンピースで、白い髪に青い髪飾りを付けていたところまで、しっかりと目に焼き付いている。

 

妖精みたいに綺麗だったんだ。

 

6畳間のドアをノックして、民ちゃんに声をかける。

 

「民ちゃん?」

 

「チャンミンさん、おかえりなさい、です」

 

ドアは閉じたままだ。

 

「民ちゃん...あの...ワンピースのことだけど...?」

 

「似合いませんよね。

恥ずかしいです。

ごめんなさい」

 

どうして謝るんだよ。

 

「似合っていたよ、すごく」

 

「......」

 

「民ちゃんの雰囲気に、合ってた」

 

「お世辞...じゃないですよね?」

 

疑り深い言い方が、いつもの民ちゃんらしくてほっとした。

 

「本心で言ってるよ。

似合ってた」

 

「可愛い」って言えばいいのに。

 

僕と民ちゃんは、ドア越しに会話していた。

 

「ありがとうございます。

試着をしていました」

 

「せっかくだから、出ておいで。

ちゃんと見せてよ」

 

「えー、笑わないで下さいよ?

チャンミンさんに笑われたら、私、落ち込んで立ち直れなくなりますから」

 

「笑うもんか。

出ておいで」

 

「チャンミン!」

 

寝室からむくんだ顔を出したリアが、僕を呼んだ。

 

「何?」

 

僕は気付かれないようため息をついた後、リアに応えて振り向いた。

 

 


 

 

 

オフィスを覗いたユンはワンピース姿の民を一目見て、思わずピュゥっと口笛を吹く。

 

(女の恰好で来たか...)

 

ユンに気付いて振り返った民はパッと顔を輝かせたが、自分を凝視するユンに気付いて赤くなった。

 

(ユンさん...固まっている...やっぱり変だったんだ!

着がえてこようかな)

 

「あのっ...ひらひらした格好をしてきてしまってすみません...」

 

ユンに見てもらいたくて、似合いもしないワンピースを着てきた自分を恥ずかしく思う。

 

俯いた民に、ユンはクスクス笑って民の肩を叩いた。

 

「スカートを履いているのは初めてだったからね。

へぇ...いいじゃないか」

 

今日のユンは、例のごとく白いシャツとベージュのチノパン姿で、黒髪は背中に垂らしていた。

 

ユンは顎を撫ぜながら民の周りを一周した。

 

(細い腰だな。

まさか、ワンピースで来るとは。

予想を裏切ってくれて、楽しい子だ)

 

(ユンさん、きっと呆れてる。

はしゃいでお洒落してきた私に呆れてる。

昨夜、チャンミンさんに見てもらえばよかった。

おかしくはないか、ジャッジしてもらえばよかった。

「見せて」と言っていたのに、勇気を出してドアを開けたらチャンミンさんはドアの向こうにいなかった。

リアさんのいる寝室へ行ってしまった)

 

ユンの逞しくしなやかな身体から、男性的な香水の香りが漂ってきたのを、民はすうっと吸い込んだ。

 

(いい香り...)

 

ユンが肩からこぼれ落ちた髪を背中にはらった隙に、隠れていた部分が露わになって、民は見つけてしまった。

 

耳の後ろの辺りに、赤い痕。

 

(あ...れ...?)

 

民の視線はそこに、くぎ付けになる。

 

(あれは...キスマーク!?)

 

知識としては知っていた。

 

(耳の後ろの方だから、気付いていないんだ...。

キスマーク...だよね)

 

すっと体温が下がったかのようだった。

 

(嘘...。

誰が付けたの...)

 

民の胸が焼かれるように痛む。

 

(どうしよう...私、平気でいられない。

ユンさんは、こんなに素敵な人だもの。

恋人がいて当然...。

ユンさんの首にキスした人がいる。

やだ...涙が出てきそう)

 

民は上を向いて涙がこぼれないように、まばたきした。

 

充血した目を気付かれないよう、さも痒いかのように目をこする。

 

「あのっ。

仕事の後、おうちへ帰る時間もありませんので...。

エプロンを持ってきたので、粘土仕事はできますから!」

 

「はははは。

汚したら大変だ。

今日は一日、オフィスで仕事をしてくれたらいいから」

 

「ありがとうございます」

 

ペコリと頭を下げて、民は小走りでオフィス奥のデスクへ向かう。

 

民がワンピースの裾を翻した際、民の細くて白いふくらはぎが覗いた。

 

 

 

 

「美味しかったです。

あんな御馳走は、生まれて初めてです」

 

ユンの高級外車の助手席におさまった民は、膝の上のバッグをギュッと握りしめた。

 

鮮やかな青いバッグは、都会に出てくるとき義母が買ってくれたものだった。

 

(お兄ちゃんはお義母さんに似たんだ。

大らかで豪快で、声が大きくて。

私を可愛がってくれて...本当にありがたいことだ)

 

夕方から降りだした雨で、サイドウィンドウを流れ過ぎる夜の街灯りが、水滴ににじんでいた。

 

酒に弱い民はたった1杯のワインでほろ酔い状態だった。

 

顔が熱い

 

車で来ていたユンはミネラルウォーターを飲んでいた。

 

「寒くない?」

 

窓の向こうを無言で眺める民に、ユンは声をかけた。

 

「寒くも暑くもないです」

 

「ちょうどよい、ってことだね」

 

ユンは小さく吹き出した。

 

「あ...そういうことに...なりますね」

 

対向車のヘッドライトが民の顔を照らして、ちろっと舌を出す民にユンはドキリとした。

 

(そんな可愛い表情を見せたらいけないよ。

どうにかしたくなるじゃないか)

 

ユンはレストランのキャンドルの灯りに照らされた民を思い出していた。

 

 

(つづく)

 

彼女とのHeaven's Day