【41】NO?-僕の心配事-

 

~チャンミン~

 

 

床にへたりこんでしまった民ちゃん。

 

「あれ?

あれれ?

おかしいですね」

 

眉を下げて、困った顔で僕を見上げていた。

 

緊張が解けたんだろう。

 

笑ったり照れたりしていたけれど、実は全身コチコチに気を張っていたんだろう。

 

そんな民ちゃんが可愛らしくて、今すぐ彼女をかき抱きたい気持ちが押し寄せた。

 

だけど公衆の面前で、いきなり抱き寄せられたら民ちゃんを驚かせてしまう、と理性が働いた。

 

足元に目をやると、かかとに血がにじんでいて、僕に無理やり引っ張ってこられてさぞかし痛かっただろうに。

 

民ちゃんの身体にぴったりくっ付くくらい近くに、僕は再び腰を下ろした。

 

僕の薄いワイシャツ越しに、民ちゃんの体温が伝わってくる。

 

「もうちょっと休んでいようか?」

 

「その方がいいみたいですね、へへっ」

 

民ちゃんの小さな膝が小刻みに震えていた。

 

その膝をさすってあげたくなったけど、こぶしを握ってその気を抑えた。

 

ユンの前から民ちゃんをさらうように引っ張り連れてきた行為が、大人げないと今さらながら恥ずかしくなってきた。

 

ユンに弱みを握られてしまったかもしれない。

 

一体何事かと目を丸くしながらも、面白そうに傍観する余裕の表情だったからだ。

 

民ちゃんを見る。

 

真っ白なまつ毛が妖精のようだった。

 

上半身はコルセットだけだ(一度試着したけれど、僕の身体だとファスナーが閉まらなかった。民ちゃんの方が華奢なのだ)。

 

細い首やむき出しの肩に散らした細かいラメが、チカチカと光っている。

 

全面スタッズのコルセットに隠された胸元に視線を落とす。

 

以前目撃してしまった民ちゃんのお胸の映像が、僕の頭にぼわーんと浮かんでしまう。

 

膨らみのない(民ちゃん、ごめん)白い肌と綺麗なピンク色の2つの突起...。

 

「ユンさんはびっくりしたでしょうね」

 

「え?」

 

僕は慌てて視線をずらした。

 

危ない危ない、反応してしまうところだった。

 

「私とチャンミンさんがそっくりで...」

 

僕らは顔を見合わせた。

 

「あああーーーー!!」

「あーーー!」

 

僕らは互いを指さす。

 

「お兄さんはいる?って聞かれて...そういうことでしたかぁ!」

 

僕の方も「弟はいるのか?」と尋ねられた時のことを思い出した。

 

ユンは民ちゃんのことを念頭に置いて、そう僕に尋ねたに決まっている。

 

ユンは民ちゃんのことを、男だと思っているのだろうか?

 

それとも、女だと思っているのだろうか?

 

「妹ならいます」と答えたから、ユンは混乱しただろう。

 

取り乱した僕を見て、「過保護な兄」だと思ったに違いない。

 

ちょっと待てよ...。

 

ユンの僕に注ぐ熱い視線を思い起こす。

 

ユンはきっと、両方いける口だ。

 

男みたいなのに実は女の子だなんて、ユンが喜びそうなケースじゃないか。

 

民ちゃんが危ない、と思った。

 

さっきロビーで目撃してしまった民ちゃんの緩んだ顔から推測するに、民ちゃんはユンのことを信頼しているようだった。

 

民ちゃんが楽しく仕事をしているのを、僕の邪推から「辞めろ」なんて言えない。

 

でも、忠告だけはしておいた方がよい。

 

幸い僕はカタログの仕事でこれから1年間はユンと関われる。

 

見張っていよう。

 

民ちゃんの腕をつかむ直前、僕が視線の端で捉えていたユンの目つき。

 

民ちゃんのことを、いやらしい目で見ていた。

 

僕は男だから、よく分かる。

 

そのことに民ちゃんは、全然気づいていないんだから、全く。

 

僕はやれやれと小さく首を振り、そして話題を変えようと膝を叩いて民ちゃんを見る。

 

「そうだ!

週末は部屋探しに行こう、な?」

 

「はい」

 

リアのことは脇に置いておいて、あの部屋を出る準備を進めよう。

 

「帰っておいで」と言ったけれど、あの部屋はもうよそよそしい空気をはらんでいる。

 

民ちゃんが留守の間、ひしひしと感じた。

 

あれ以来日付が変わる前に帰宅するようになったリアと同じ空間にいて、息がつまった。

 

ポケットの中の携帯電話がけたたましい音を立てた。

 

『先輩!

どこにいるんすか!?』

 

腕時計を確認すると、約束した時間が過ぎていた。

 

「悪い!

10分もしたら行けるから」

 

「ごめんなさい!

引き留めてしまいました」

 

結果発表が行われる旨のアナウンスも流れた。

 

「私も行かなくちゃ、です」

 

「立てる?」

 

「はい」

 

立ち上がった民ちゃんのお尻についつい目がいってしまう。

 

今度は、バスタオルから丸見えだった民ちゃんの生尻を思い出してしまった。

 

スケベ親父なのは自分の方じゃないか。

 

靴擦れが傷むのか民ちゃんはサンダルを脱いで裸足になっていた。

 

民ちゃんの背に手を添えて喧噪の中に降り立った。

 

「いい結果だといいね」

 

「結果なんてもう、どうでもいいです...なんて言ったらカイさんに怒られますね。

ここまで勝ち残ってきたこと自体が、凄いことなんですから。

このステージに立てたことだけでも誇らしい、なんて野心がなさ過ぎですね...」

 

裸足で立つ民ちゃんの、黒いペディキュアがいつもの民ちゃんだった。

 

非現実的な装いと濃いメイクをした民ちゃんも、確かに心痺れる。

 

でも僕は、スッピンの(民ちゃんは化粧をしないんだ)民ちゃんが気に入っているんだ。

 

うっかり間違った方へ行ってしまわないよう、身近で見守ってあげたいんだ。

 

だから、急に大人の女性のように変身してしまわれると、僕は困る。

 

「じゃあ、またね」

 

僕は民ちゃんに手を振る。

 

「あの!」

 

民ちゃんに呼び止められて僕は振り向く。

 

両手をギュッと胸の辺りで握って、内股気味で立つ民ちゃん。

 

アンドロイドな装いに、幼さの残る頬を緩め、大きな丸い目で僕を真っ直ぐに見つめていた。

 

「今日はありがとうございました。

チャンミンさんに見てもらいたかったんです。

だから...とっても嬉しかった...です」

 

じわっと涙が浮かんできそうなのを、ぐっと堪えた。

 

「どういたしまして」

 

民ちゃんの視線を感じながら、僕はエントランスを抜けた。

 

涼しい館内から1歩足を踏み出すと一気に熱気に包みこまれ、僕は現実に戻る。

 

後輩Sが窓から手を振っている。

 

仕事をサボってしまった。

 

真面目な僕にはあり得ない行動だった。

 

 


 

 

~民~

 

 

チャンミンさんの白いワイシャツ姿が見えなくなるまで、私は見送った。

 

雑踏の中を見回したがユンさんの姿はなく、寂しい気持ちになる。

 

チャンミンさんに無理やり引っ張り去られたとはいえ、会話の途中で姿を消すだなんて失礼だった。

 

ユンさんの側にいるとドキドキ胸が高まり、チャンミンさんの側にいると逆に安らかな気持ちになるから、私の心は大忙しだ。

 

ユンさんとチャンミンさんか...。

 

同時期に素敵な男性が身近にいるなんて経験は初めてのこと。

 

駄目だ...頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 

片手にぶら下げていたサンダルを履こうと身をかがめた時、カイさんとAちゃんが駆け寄ってきた。

 

「民さん!

結果発表ですよ!

ああ!

セットが崩れてしまってる!」

 

コームで前髪を梳かすカイさんと、汗でよれたファンデーションを塗りなおすAちゃんに囲まれる。

 

忘れそうになっていたけれど、カットコンテストの真っ最中なのだ。

 

自分に課せられたお役目は最後まで果たさないと、と気持ちを切り替えようと、大きく深呼吸をした。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

民ちゃんが帰って来る。

 

胸の底からきゅうっと嬉しさが湧いてきた。

 

僕は相当、民ちゃんに参っているみたいだ。

 

ステージの上の民ちゃんを見て僕は確信したんだ。

 

民ちゃんが遠くへ行ってしまわないように、彼女の手を握っていようって。

 

民ちゃんはふわふわと危なっかしいから。

 

心配事が増えた。

 

よりによってユンのアシスタントをしているなんて。

 

ユン相手だと、民ちゃんの男の子のような見た目が守ってくれない。

 

男の僕の腕をいやらしく撫ぜまわしたくらいだ。

 

「君は、男と女が同居しているたぐいまれな魅力を持っている。君の腕を触らしてくれ」とか、うまいこと言われていなければいいんだが...。

 

「先輩。

右折するのは、ここでしたっけ?」

 

「もう一本先だよ」

 

運転を後輩Sに任せて、僕は助手席で物思いにふけっていた。

 

兄と妹みたいなくつろいだ雰囲気も悪くない。

 

でも僕は、民ちゃんのことを「女」だと意識している。

 

けれども、民ちゃんには好きな人「X氏」がいる。

 

X氏を追いかけてきたくらいだから、好き度はかなりのものだと思う。

 

そのX氏に対抗することになるわけか...。

 

いいなと思った相手には、既に想いを寄せている人がいた。

 

これまでの僕だったら、縁がなかったと引き下がっていた。

 

見込みがあるのかないのか不明な状況で、自分の存在をアピールするなんて無駄な努力だと思っていたし、なんとしてでも振り向いてもらえるよう必死になれる相手なんていなかった...。

 

いたじゃないか、リアが!

 

臆病者で確信がもてない相手に告白が出来なかった僕が、唯一なりふり構わず追いかけた女性がリアだったじゃないか。

 

あの頃の自分はおかしかった。

 

理想の女性像そのものだったから。

 

リアの内面を知る以前に、僕の好みに見事に合致していた顔とスタイルに引き寄せられた。

 

打ち合わせテーブルで資料に落とした視線を上げた時、リアの熱い眼差しが僕のものと絡まった。

 

「誘っている」と察知した僕の身体はかあっと熱くなって、その夜のうちにリアの携帯電話を鳴らしていた。

 

あの時の意気込みで民ちゃんにぶつかっていけばいいじゃないか。

 

民ちゃんは鈍感そうだから、控えめなアピールじゃ気付いてもらえない。

 

そんなことは分かっている。

 

民ちゃん相手だと、慎重になってしまうんだ。

 

なぜなら、民ちゃんの目に映る僕は「頼れるお兄ちゃん」なんだろうから。

 

そのイメージをいきなりぶち壊すのは、民ちゃんにとって刺激が強すぎる。

 

それに。

 

民ちゃんはその場の雰囲気だとか、勢いに弱い質だと思う。

 

ぐいぐい迫れば、その勢いにのせられて「YES」と答えそうな子だ。

 

僕に握られるままだった民ちゃんの手。

 

手を握ったり、抱きしめたり、キスをしたり...おいおい!

 

とっくに手を出してるじゃないか、僕ときたら。

 

とっさの行動だったからたちが悪い。

 

ただのスケベ親父じゃないか。

 

驚く民ちゃんには、慌てて「冗談だよ」って誤魔化して、その場を取り繕うことができたからよかったものの。

 

よく考える隙を与えずにぐいぐい迫って、雰囲気にのせられた民ちゃんを頷かせても、ちっとも嬉しくない。

 

大きく深呼吸をした。

 

僕の言動ひとつで、民ちゃんがどう反応するのかをひとつひとつじっくりと見たい。

 

瞳の揺らめき、ひそめた眉、赤らむ両耳、引き結ばれた唇が微かに開く時。

 

ひとつひとつ確かめながら、民ちゃんの心の中へじわじわと侵入してゆきたい。

 

民ちゃんが僕の気持ちに気付くよう、好意を小出ししながら距離を縮めよう。

 

下心ありそうなユンに、想われ人X氏。

 

これからの僕は忙しくなりそうだ。

 

X氏については本人を未だ目にしたことはないから、今のところ嫉妬心はそれほどない。

 

前途多難だと気が遠くなる理由は、民ちゃんが「片想い」中だということ。

 

なぜなら、恋に夢中になっている時は、自分に好意を寄せてくれる人がいたとしても、全然気づけないものだ。

 

だって、僕自身がそうだったんだ。

 

僕がリアを振り向かせようと躍起になっていた時、外注業者のある女性から好意を寄せられていた。

 

リアと交際できるようになった後、飲みの席でそう打ち明けられて初めて知った。

 

なんとなくは気付いていたけれど、それどころじゃなかった僕は、食事の誘いを無下に断っていたし、打ち合わせが終われば雑談もせずにそそくさと席を立っていた。

 

礼儀正しくありつつも、冷たい行動をとっていた。

 

その女性の気持ちや、さりげないアピールなど見て見ぬふりをしていた。

 

それくらい、外野の異性が目に入らない。

 

民ちゃんの今の状況も、当時の僕のようだと思う。

 

もっとも、民ちゃんの場合は見て見ぬふりどころか、全く気付かない可能性が高い。

 

参ったなぁ。

 

 

僕の名前で君を呼ぶ    僕を食べてください

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