【47】NO?-僕の爆弾発言-

 

 

~民~

 

 

(ん...?)

 

まぶたを開けて最初に目に飛び込んできたのは、真っ白い天井。

 

ゆっくりと視線を左右に向けると、薄ピンク色のカーテン。

 

カーテンを吊るすレールの曲線をたどり、液体の入ったプラスチックバッグ。

 

(点滴...?)

 

チューブをたどると、自身の左腕に繋がっている。

 

(!!)

 

「いたっ!」

 

飛び起きようとしたら、後頭部を襲う激痛に顔をしかめて、やむなく頭を枕に沈めた。

 

ここは...病院だ。

 

この風景、匂い、電子音...間違いない、病院だ。

 

でも、なぜ?

 

「民!」

 

真上から見下ろす顔。

 

「......」

 

状況把握ができずに、答えを導き出すまでに数秒ほどかかってしまった。

 

「お兄ちゃん...」

 

「よかった...」

 

安堵したお兄ちゃんは、傍らの折りたたみ椅子にどかっと腰を下ろした。

 

先日生まれたばかりの赤ん坊の夜泣きと、3人の3歳児の世話で疲労がにじんでいた。

 

「引ったくり、だってな。

目撃者がいたらしい。

その人が、救急車を呼んでくれたんだ」

 

「引ったくり...」

 

そういえば、そうだった!

 

早く手を離せばよかったのに、抵抗したせいで振り飛ばされて、それから...。

 

痛む頭を動かさないように、自分の身体を点検する。

 

カーテンと同じ色の病衣を着ていて、そっと頭に触れるとガーゼを固定しているネットに触れた。

 

「石頭でよかったな。

お前の取り柄は頑丈な身体だ」

 

両手の平には、擦り傷がある。

 

ひったくり犯に引きずられた際、リュックサックの肩ひもでできたのだろう。

 

自分が今、病院にいる事情が分かりかけてきた。

 

「バッグ...は?」

 

「中身だけ抜かれて、どっかに捨てられてるだろうな。

病院に運び込んだものの、携帯電話もない、財布もない」

 

「そう...だよね」

 

財布にはそれほど入っていなかったし、他は着替えと洗面用具の入ったポーチ程度だ。

 

被害は少ない。

 

「ズボンのポケットにパスケース入れてただろ?

それのおかげで、身元が分かった」

 

「ああ...!」

 

万が一、財布を落とした時のために、交通カードと運転免許証だけは別にして持ち歩いていたのだった。

 

よかった、お父さんのアドバイス通りにしていて。

 

「実家に連絡がいって、母さんから俺に連絡があって」

 

「うそっ!

お義母さん!」

 

思わず跳ね起きようとしてしまい、頭がずきんと痛んで、再びベッドに沈み込む羽目になる。

 

「駆けつける、って言ってたのを止めたよ。

まずは俺が様子を見にいくからって。

俺が来てすぐに、意識を取り戻したから、大丈夫そうだって連絡しておいた。

最初の時は覚えてないか...ぼーっとしてたからな」

 

「どうしよう...」

 

両手で顔を覆って呻いた。

 

事件に遭って、怪我をして...。

 

都会で暮らすなんて民には無理だ、って反対されるかもしれない。

 

お兄ちゃんは、そんな私の心配事を察したのか、

 

「大丈夫だ。

俺が味方してやるからな」

 

と言ってくれて、私はホッとした。

 

「今、何時?」

 

「えーっと、18時だ。

お前が運ばれたのが、真夜中だったから...半日以上は経っているか」

 

「...そんなに?」

 

「なんでまた、あんなところをほっつき歩いていたんだ?」

 

「え...っと、それは...」

 

チャンミンさんちに居られなくて、ホテルにお泊りしようと思い立って。

 

リアさんがチャンミンさんの赤ちゃんを妊娠しちゃって。

 

とてもビックリしてしまって...頭を冷やしたくて沢山歩いた。

 

どこまで自分が来てしまったのかも、分からなかった。

 

「ま、いいさ。

落ち着いたらでいいが、警察の人がお前と話がしたいそうだ」

 

「お兄ちゃん...ごめんね」

 

「いいさ。

脳震盪だけで済んで。

検査をした結果、何も異状なしだ。

打った拍子に裂傷になったみたいで、何針か縫ってるけどな」

 

なるほど、それでガーゼが当てられていたのか。

 

「そうだ!

職場に連絡しなくていいのか?」

 

「あああ!

そうだった」

 

ユンさんの顔が浮かんだ。

 

当然だけど連絡をしていないから、無断欠勤状態だ。

 

「ここじゃ携帯電話使えないから、俺から連絡を入れておくよ」

 

「うん、お願い」

 

以前、携帯電話が手元になかった時、番号が分からず困った経験から、ユンさんの電話番号は空で言える。

 

私が怪我をした、と聞いたら、ユンさんは心配してくれるかな?

 

お見舞いに来てくれるかな?

 

「お兄ちゃん。

私は、いつまでここに?」

 

「意識も戻ったし、念のための検査をもう一回したら出られるんじゃないかな。

ま、今夜はここで一泊だ」

 

「一泊...」

 

「明日出られるとしたら、参ったな、俺は仕事だし...。

迎えにいってやれないな...」

 

「一人で大丈夫。

タクシーで帰るから」

 

「大丈夫か?」

 

「うん」

 

「よし。

じゃあ、俺は帰るわ。

そうそう...もう少ししたら、チャンミンが来ると思う」

 

「!!」

 

「お前、チャンミンちを家出でもしたのか?」

 

「家出?」

 

似たようなものかもしれない。

 

「喧嘩したのか?」

 

首を横に振る。

 

「チャンミンの奴...めちゃめちゃ心配してたぞ。

俺の話を最後まで聞かないんだから...。

大袈裟にとらえてなければいいんだが...」

 

「心配してた...?」

 

「すっ飛んでくるよ」

 

今はチャンミンさんの顔を見たくない。

 

だってチャンミンさんは、リアさんの側にいるべき人なんだから。

 

だから余計に、ユンさんに甘えたい、と思った。

 

常に落ち着いていて、首につけたキスマーク以外で私の胸をざわつかせることをしなかった。

 

チャンミンさんは、私をビックリさせる人だ。

 

首にキスしたり、手を繋いできたり、抱きついてきたりするくせに、リアさんと抱き合ってるんだもの。

 

やってることがちぐはぐなんだもの。

 

タクシーでの出来事を勘違いしなくてよかった。

 

保留にしておいてよかった。

 

あと数日もしたら、わたしはチャンミンさんちを出て新しいお部屋に引っ越す。

 

一か月近くお世話になった感謝の気持ちをちゃんと伝えたら、チャンミンさんとは距離を置こう。

 

うん、そうしよう。

 

お兄ちゃんは「じゃあな」と片手を挙げて、病室を出て行った。

 

頭がズキズキと痛む、手の平はヒリヒリする。

 

痛み止めの薬でうとうととした眠気の中、ぼーっと白い天井を見上げていた。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

タクシーを飛び降りた僕は、締め切った正面玄関に舌打ちをして、救急出入り口まで走って回る。

 

自動ドアに肩をぶつけて2度目の舌打ちをし、夜間受付のカウンターに顔を突っ込む。

 

「民は!?

僕は...兄です!」

 

 

集中治療室とかじゃなくて、一般病棟を案内されて安堵の息を吐く。

 

意識不明の重体なんだと、最悪の事態のつもりでいたから。

 

どこでどうすると民ちゃんが救急車で運ばれることになるのか、全く想像がつかなかった。

 

泥酔状態でふらふら歩いていて、車道によろけてしまってはねられた、とか?

 

Tがあれこれ説明していたけど、パニックになってた僕はこれっぽっちも話を聞いていなかった。

 

消灯時間間際の病棟の廊下は静かで、面会時間を過ぎていたが、急患患者の家族(本当は違うけど)ということで許可された。

 

ネームプレートで民ちゃんの名前を確認した僕は、身なりを整える。

 

ゆるんで斜めになったネクタイは外し、はみ出た背中のシャツをスラックスにたくし込み、汗でくしゃくしゃになった髪を撫でつけた。

 

一息ついて、そっと引き戸を開けた。

 

ここは2人部屋で民ちゃんは窓側のベッドだ。

 

「民ちゃん?」

 

枕元灯の光が漏れるカーテンから、僕は顔をのぞかせる。

 

胸が痛くなるほど美しい青年が横たわっていた。

 

眠ってはいなかったようで、カーテンの隙間の僕にゆっくりと視線を向けた。

 

枕元灯に片方から照らされて、額と鼻筋がくっきりとした影を作っている。

 

あらかじめ教えてもらっていなければ、民ちゃんは男性そのものだ。

 

でも、僕の目というフィルターを通すと、骨ばって薄い身体つきから、儚げな女性らしさを感じ取られるし、可愛らしいキャラクターを続々と引き出せられる。

 

ほとんどの人が気付いていないんじゃないかな。

 

酷似している僕だから、出来たことなんだと分析している。

 

民ちゃんを褒めることは、イコール自分を褒めることですね、と笑い合った頃を思い出した。

 

見た目は酷似しているけど、僕と民ちゃんは全くの別物なんだ。

 

 

 

 

よかった...。

 

張り詰めていた全身の力が、抜けていった。

 

頭に白いネットを巻いている以外は、サイズの合わない病衣から長い腕を出していて、顔は傷一つなくて...よかった。

 

僕と目が合った民ちゃんは、一瞬顔をこわばらせた後、僕をじぃっと無表情で見つめている。

 

その眼差しが固くて、「わぁ、チャンミンさん」って笑顔を見せるかと予想していた僕の心が冷えた。

 

怒ってる?

 

怒るのは僕の方なんだけど?

 

やっぱり、リアとのことで不貞腐れてるんだ。

 

「大丈夫?」

 

「......」

 

急にいなくなって、さんざん心配をかけた挙句、病院に運び込まれた民ちゃんを叱りつける気持ちなんて、Tの電話で吹き飛んでしまっていた。

 

民ちゃんに何かあったのでは、と、ここまで生きた心地がしなかった経験は生まれて初めてだったんだ。

 

出来る限り温厚で、礼儀正しく、常識的でありたい僕だったのに、寝付けないは、仕事に手は付かないは、走り回るやらと、滑稽なほどの慌てぶりだった。

 

民ちゃんと僕を繋いでいたのが携帯電話だけで、しかもそれも通じないとなると、民ちゃんの行方の見当がつかなかった。

 

見た目がいくら似ているといっても、所詮僕らは他人同士だ。

 

僕らの関係性はこんな程度に弱いものなんだ。

 

民ちゃんが僕の部屋を出て行ってしまったら、彼女と2人きりで会うには「口実」が必要になるんだ。

 

そんな現実を突きつけられた。

 

今の関係性じゃダメだって。

 

ぐいっと踏み込まないと。

 

民ちゃんのお尻を叩いて説教してやる、だなんて、ジョークに決まってるじゃないか。

 

「民ちゃんが死に瀕している」だなんて、思い込むにもぶっ飛び過ぎだ。

 

ここまでの気持ちをいつの間に、育てていたんだろう。

 

彼女への想いの正体が恋愛感情なんだ、とはっきり自覚したのは、一体いつだったんだろう。

 

一か月前、改札を抜けた民ちゃんを、僕はモニュメントの台座に座って出迎えた。

 

僕と生き写しの姿に息が止まるほど驚いた。

 

同じ目の高さから僕に注がれた...長いまつ毛の下の黒い瞳、青みを帯びた白目...僕まで清く透明になれそうだった。

 

多分...一目惚れだったんだ。

 

「民ちゃん...?」

 

民ちゃんの固い表情が気になった。

 

僕はベッド脇の折りたたみ椅子に腰かけ、ベッドに乗り出すようにマットレスに両肘をついた。

 

「よかった...」

 

ネットからはみ出た前髪が、額に張り付いている。

 

いつものように、指を伸ばしてそのひと房をよけてやった。

 

額に指が触れた瞬間、ぎゅっと目をつむったその表情が可愛らしかった。

 

頭を動かすと痛むのか、きりっと直線的な眉がひそめられた。

 

「頭...痛い?」

 

「......」

 

「民ちゃん?」

 

「......」

 

まだ、ぼーっとしているのかな、民ちゃんは無言のままだ。

 

「事故って聞いたけど...何があったの?」

 

「怪我の具合はどう?」

 

「僕は...心配してたんだよ」

 

「昨夜は、どこに行っていたの?」

 

「民ちゃんが無事で、安心した」

 

「黙っていないで、何か言って?」

 

「チャンミンさん、ごめんなさい」って謝りの言葉がきけると思った。

 

「私...」

 

病院内は乾燥してるからか、小さな声がかすれていた。

 

「水、飲む?」」と、ベッドサイドに置かれた吸い飲みをとって、民ちゃんの口元に添える。

 

乾いてひび割れた唇が吸い口をくわえ、一口だけ水を飲み込んだ。

 

「ゆっくりでいいから...何があったのか、教えて?」

 

点滴の針が刺さった腕を揺らさないように、民ちゃんの手を両手で包んだ。

 

と、民ちゃんの反対側の手が、僕の手をゆっくりと押しはがした。

 

「離してください」

 

「!」

 

「誰ですか?」

 

「え?」

 

「あなた...誰ですか?」

 

「民ちゃん...何言ってるの?」

 

いつもの民ちゃんのおちゃらけ、だと思った。

 

「誰ですか?」

 

頭を打って、朦朧として意識が混濁しているだけだよね。

 

事故に遭って、ショック状態なんだって。

 

だから民ちゃんは、醒めた目で僕を見ているんだ。

 

「僕だよ。

チャンミン、チャンミンだよ」

 

「知らない...チャンミンなんて...知らない」

 

嘘だろ。

 

事故のせいで、健忘症になってるのか?

 

Tはそんなこと言ってなかったぞ。

 

「民ちゃんは僕の家に住んでるんだよ。

覚えていないの?」

 

「......」

 

「やだなぁ、民ちゃん。

からかってるんだろ?」

 

「......」

 

「ホントに覚えてないの?」

 

いつもの民ちゃんだったら、このタイミングで「嘘です」って言うんだけど。

 

「民ちゃんの兄のT。

僕はTの友達なんだよ」

 

そうなんだよ、民ちゃんと僕の関係って、それだけなんだ。

 

「知らない。

あなたなんて知らない」

 

民ちゃんは消え入りそうに小さな、掠れた声でそう言った。

 

「事故に遭ったって聞いて、心配して来たんだよ」

 

僕はもう一度、民ちゃんの手を取ったけど、抵抗のこわばりを感じて悲しくなった。

 

民ちゃんが僕を拒絶している。

 

「民ちゃん...。

チャンミンだよ。

民ちゃんと僕は一緒に住んでいるんだよ?」

 

「知らない」

 

民ちゃんの瞳が、ゆらゆらと揺れている。

 

涙が膨らんでいる。

 

民ちゃんは僕を覚えていない。

 

「僕はね...」

 

言葉が喉にひっかかってしまい、軽く咳ばらいをした。

 

民ちゃんの手を握りしめた。

 

顔を寄せたら、不快に思ったのかわずかに頬を背けられた。

 

いつもの甘い香りはしなくて、消毒薬の匂いしかしない。

 

「僕は...」

 

 

僕は深呼吸する。

 

 

「僕は...民ちゃんの彼氏だ」

 

 

「!」

 

 

民ちゃんは大きく目を見開いた。

 

 

「僕と付き合ってるんだよ?

覚えていない?」

 

 

「......」

 

 

 

おい、チャンミン!

 

 

 

お前は一体、何を言ってるんだ!

 

 

 

僕の名前で君を呼ぶ    Sweet Life

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