~キスの意味~
~民~
タクシーの中でのことを思い出していた。
「私とキスできますか?」とチャンミンさんに質問した。
ユンさんは「出来る人」なんだろうな。
それができちゃうユンさんが大人っぽくて、悪い男の人みたいで、カッコいいなぁなんて矛盾した思いも抱えている。
でも、チャンミンさんには「恋人や好きな人がいながら、他の人とキスなんて出来ないよ」と言ってもらいたかった。
勝手でしょう?
私からキスをおねだりされたと捉えたチャンミンさん。
チャンミンさんの顔が近づいてきて、「くる!」ってすぐに分かった。
キスする場所がホテルでの時と同じように、口じゃなくて首だった。
今夜のキスは、あの日のもののパワーアップ版だった。
私の思考はストップしてしまって、私の全神経は耳の下に集中していた。
チャンミンさんの体温が伝わってきて、唇の濡れた感触にぞくぞくっとした。
ちょっとだけ、変な声が出てしまった。
この感覚って、もしかして...「感じる」ってやつですか?
チャンミンさんったら、舐めるんだもの。
汗をかいてたから、しょっぱかったかなぁ。
お風呂に入ったばかりだから、臭くはなかったはず。
あー、どうしよう。
今思い出しても、ドキドキする。
でも。
私の反応を楽しんでたら嫌だな、って思った。
だから、唇へのキスは「駄目です」って拒んだ。
だって、チャンミンさんの真意が分からない。
男の人に相手にされない私を憐れんで、「代わりに僕がキスしてやろうか」みたいなノリなんじゃないかって、卑屈になった。
「駄目」って断っておきながら、本当は嬉しかった。
余程なことがないとキスなんて出来ないでしょう?
私を味わうようなキスで...うん、素敵だった。
私は『女』になってた。
そういうわけで、チャンミンさんのことをお兄ちゃんみたい、と慕うだけではいられなくなってきたのだ。
チャンミンさんは私のことを、どんな風に見ているのか知りたくなった。
「そろそろ、嫁さんの様子を見に行ってくるよ。
ガキどもを頼んだぞ」
お兄ちゃんはカップの中のコーヒーを飲み干すと、私の肩を叩いた。
「うん。
任せておいて」
お兄ちゃんの背中を見送った私は、靴を脱いでベンチに長々と横になった。
私は背が高いから、足首から先が飛び出している。
「はぁ...」
ユンさんに続きチャンミンさんと...今夜の私はキスめいている。
人生初だ。
チャンミンさんにメールを送ろうと、ポケットの中を探った。
~チャンミン~
僕は大胆なことをしてしまった。
民ちゃんの首にキスをしてしまった。
唇にするやつよりも、うんと大胆でいやらしいキスだ。
民ちゃんの匂いや皮膚の感触、伝わる体温や震えに、僕は猛烈に「感じて」しまった。
民ちゃんがあんなに可愛らしい声を漏らすとは。
あそこがタクシーの中じゃなかったら、本気で押し倒してたかもしれない。
異性に対して魅力に感じるところとは、性格や交わす会話の内容も大事だが、見た目や触り心地も重要だと思う。
女性らしい部分...丸みやくびれ、柔らかさなどに。
ところが、民ちゃんにはそれがない。
目の高さが僕と同じで、ぺたんこのお胸に小さなお尻、骨ばった手足。
そして何より、男の顔。
それなのに、民ちゃんから女の色気を感じるんだ。
さっきから手の中でもて遊んでいたものに、視線を落とす。
黒い携帯電話。
マンションに到着し、降りようとしたタクシーのシートに、緑色に点滅する光を見つけた。
民ちゃんがメールを送信し終えた時、僕は彼女の手を握ったり、キスをしたりしたから、驚いた末ぽろりと落としてしまったのだろう。
仕事帰りに届けてやろう。
困っているだろうから。
「チャンミン先輩!」
後輩Sに肩を叩かれ、飛び上がった。
「いでっ!!」
弾みでデスク天板の裏にしたたか打ち付けた膝をさすった。
プリント用紙を抱えたSが呆れた顔で僕を見下ろしていた。
「先輩...。
いい年して『それ』はないっすよ」
「へ?」
「もしか気付いてないんすか?
これから会議があるんすよ。
『それ』はまずいですって!」
「なんだよ!
はっきり言えよ」
Sは顔をしかめて、囁いた。
「...キスマーク」
「!!!」
僕はトイレまで駆けて、鏡に映る自分に仰天した。
耳の後ろ。
昨夜のシャワーはぼーっとした頭で浴び、目覚ましで浴びた今朝のシャワーも、ぼーっとしていて気付かなかった。
リアだ。
キッチンの床でもつれあっていた時、そういえば強く首筋を吸われた。
民ちゃんに気付かれたか...?
大丈夫。
バルコニーもタクシーの中も、暗がりだった。
多分、見られていない。
「あ!」
自分の方こそ、民ちゃんに付けてやしないだろうな?
目をつむってあの時のことを思い出す。
強くは吸ってはいないはず。
終業時間が待ち遠しかったが「よし」と声に出し、気持ちを切り替えてSの元へ戻った。
「せんぱーい、絆創膏もらってきました!」
~民~
(きっとタクシーの中だ)
ポケットの中にもリュックサックの中にも携帯電話が見当たらない。
チャンミンにメールを送りたかったし、ユンにも電話をかけたかった。
待合室の角に公衆電話はあるが、電話番号を覚えていない。
「うーん...」
眠っていた甥の一人が、むくっと起き上がって、焦点の合わない視線をさまよわせている。
「起っきした?
民ちゃんだよ」
民はしゃがんでその子を抱き上げる。
続いて、2人目3人目と目を覚まし、民は気持ちを引き締めた。
(この子たちをお家に連れて帰らなくっちゃ)
民はリュックサックを胸側に背負うと、1人目をおんぶし、2人目3人目と手を繋いだ。
「お家に帰ろーね」
(つづく)
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