【49】NO?

 

~キスの意味~

 

~チャンミン~

 

 

僕のバッグの中で民ちゃんの携帯電話が何度も鳴って、その度代わりに出ようか迷ってしまう。

 

マナーモードに切り替えたいが、暗証番号が分からない。

 

「誕生日とかかな?」と試しに入力しかけて、「民ちゃんの誕生日っていつなんだろう?」と、指が止まった。

 

民ちゃんのことをあまり知らないことに気付いた。

 

僕といる時はおちゃらけている民ちゃんだけど、自分自身のことを率先して話す子じゃない。

 

「チャンミンさんはどうでした?」と質問されれば僕は何でも答えてあげたし、「民ちゃんはどう?」と僕の方から質問すれば、大抵のことは教えてくれた。

 

「そうですねぇ...、私の場合はですねぇ」って、丸い目で宙を見上げてしばし考える仕草を思い出すと、ふっと僕の口元は緩んでしまう。

 

誕生日はいつか教えてもらおう。

 

民ちゃんに誕生日プレゼントを買ってあげたい。

 

わくわくしてきたけど、僕と民ちゃんの関係について考えが及ぶと、気持ちが萎む。

 

友人でも恋人でもないのに、プレゼントを贈るのはやり過ぎだよな。

 

それならば、はっきりさせた方がいいのだろうか?

 

タクシーの中でのキスで、僕の気持ちが民ちゃんにバレているといいんだけど。

 

駄目だ。

 

民ちゃんは、気付いていない。

 

観察眼は鋭そうなのに、色恋ごとには鈍感そうな民ちゃんに、僕のことを察して欲しいと望むのは無理がある。

 

ひとつ屋根の下で暮らせる日々も、残り少ない。

 

間もなく民ちゃんは、僕のところを出て行ってしまうし、僕の方も引っ越し先を真剣に探さなければならない。

 

一緒に暮らしている間は、僕の想いは胸にしまっておいた方がいい。

 

僕からの告白なんて民ちゃんは予想だにしないだろうし、民ちゃんの答えが「NO」だったら気まずくなる。

 

待てよ...。

 

民ちゃんは、「勘違いしてしまいますよ?」と言っていた。

 

そうだよ民ちゃん、是非とも勘違いして欲しい。

 

ワンピースを着た理由が職場の歓迎会ならば、『例の彼』と未だどうこうなっていないはずだ。

 

今なら、僕が割り込んできても間に合うよね?

 

やれやれ、どうやら僕は相当、民ちゃんに参っている。

 

バッグの中から雄鶏の鳴き声がした。

 

「!!!」

 

リアルな『コケコッコー!』だ。

 

電車内で一斉に浴びせられる冷たい視線に、僕は赤面しながらバッグに手を突っ込んで、音源をストップさせる。

 

民ちゃんは、発信者によって異なる着信音を設定しているのだ。

 

知っている範囲では、民ちゃんの兄Tが『ツィゴイネルワイゼン』で、実家が『車のクラクション』、郷里の友人が『観衆の笑い声』...僕の場合は(気になって、さっき鳴らしてみた)と言えば。

 

民ちゃんの独特のセンスを考慮すれば、僕からの着信は「犬の鳴き声」もしくは「お寺の鐘の音」かな、って。

 

ところが、僕に設定されていたのは、『せせらぎの音』だったんだ。

 

こんな控えめな音じゃ聞こえないだろう?と、民ちゃんに突っ込みをいれたくなった。

 

でも。

 

なぜだか、嬉しかった。

 

そっか...僕は、さらさら流れる心癒されるせせらぎの音か...って。

 

『コケコッコー!』が鳴るのはこれで3回目だ。

 

発信者は『Y』と表示されていて、民ちゃんの『例の彼』かもしれないと思うと、心がヒヤッとした。

 

降りるべき駅名のアナウンスに、扉が開くや否や僕はホームへ降り立った。

 

僕は今から民ちゃんに携帯電話を届けに行く。

 

病院にいるといいのだけれど。

 

 


 

 

~チャンミンと民~

 

 

受付カウンターで産科の場所を教えられ、廊下を曲がった突き当りに、チャンミンは真っ先に民の白い頭を見つけた。

 

(いた!)

 

長い脚を組んでベンチに腰掛けた民は、両腕を組んで俯いてうたた寝をしているようだ。

 

寝不足の民を気遣ったチャンミンは、声はかけずに民の隣に腰掛けた。

 

(疲れているんだな)

 

口を軽く開け、すーすーと寝息をたてる民を見るチャンミンの眼差しは優しかった。

 

(よかった...キスマークは付いていない)

 

前へ折曲がった民の白いうなじが真横にあって、チャンミンはどうしてもタクシーの出来事を思い出してしまう。

 

(僕の肩を貸してあげたいけど...、ここは病院だ)

 

がくんと民の頭が大きく前へ揺れて、その弾みで民は目覚めた。

 

「っと!」

 

きょろきょろと見回して、隣に座るチャンミンに気付いた民はビクッと身体を震わせた。

 

「びっくりしましたぁ!」

 

垂れてもいないよだれを拭う民の仕草が可笑しくて、くすくす笑ったチャンミンは民の頭に手をのばした。

 

「あ...」

 

首をすくめた民に驚いたチャンミンの手が、民の頭に触れる1歩手前で止まる。

 

「ごめん」と慌てて手を引っ込めたチャンミンに、民も「ごめんなさい」と謝る。

 

(違うんです!

嫌じゃないんです!

ただ...ただ...)

 

真っ赤な顔でコホンと咳ばらいをした民はつぶやく。

 

「恥ずかしい...です」

 

(民ちゃんに照れられたら、僕の方も恥ずかしいよ)

 

チャンミンも戻した手を口元に当てて、コホンと咳ばらいをした。

 

(急にどうしちゃったんだろう。

チャンミンさんに接近されると、緊張する...!

妙に意識してしまって...)

 

(やっぱり昨夜のことが、嫌だったんだろうか?

僕から離れて座りなおすなんて...嫌われた...かな)

 

「えっと...お義姉さんは?」

 

「そうなんです!」

 

パチンと手を叩いた民は立ち上がり、弾ける笑顔でチャンミンを見た。

 

「産まれたんですよぉ!」

「ホントに!?」

 

チャンミンも立ち上がって、民の両手をとった。

 

「そうなんですよぉ!」

 

「どっち?」

「男の子でーす」

「4人目も!?」

「そうなんです!」

 

「お義姉さんは?」

「元気もりもりです」

 

「ちっちゃい子たちは?」

「お祖母ちゃんがお迎えにいってます」

 

「Tは?」

「お義姉さんとこです」

 

「!!」

「!!」

 

我に返った二人は、繋いだ手を同時に離す。

 

「はははは...私たち、なんだか変ですね」

 

チャンミンも照れ隠しに、痒くもないうなじをぼりぼりとかいた。

 

指先に絆創膏が触れて、ぎくりとその手が止まる。

 

(これだけは民ちゃんに見つかるわけにはいかない!)

 

「民ちゃん、落としていっただろ?

携帯電話」

 

「おー!

そうでした!

どこにありましたか?」

 

「タクシーの中だよ」

 

「タクシー...ですか...」

 

「...」

「...」

 

(タクシーで、私とチャンミンさんは...)

 

チャンミンは、黙りこくってしまった民の様子に不安になる。

 

(やっぱり、タクシーでのことが嫌だったんだな)

 

「民ちゃん...あのさ、電話!

電話があったみたいだよ」

 

「やっぱり!」

 

民は受け取った携帯電話をあたふたと操作する。

 

(ユンさんからだ...3回も...。

無責任な奴だと思っただろうな。

あれから坊やたちのお世話や、産まれたと呼び出されてバタバタしていたから、すっかり忘れていた。

社会人失格だ)

 

「民ちゃん、連絡しておいでよ」

 

民の表情が曇っているのを見て、チャンミンは民に声をかける。

 

「そうします」

 

その場を離れかけた民はすぐに引き返してきた。

 

「チャンミンさん...」

 

民は俯き加減で、チャンミンのシャツをつんつんと引っ張った。

 

「ん?」

 

「お願いがあります」

 

「どうした?」

 

 

(つづく)

 

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