【52】NO?-さようなら、君との日々②-

 

~チャンミン~

 

本調子でないからか、民ちゃんはお代わりもせず、「痛み止めの薬って眠くなるんですよねぇ」と言って、早々と布団にもぐり込んでしまった。

 

「今日はお迎えに来てくださって、ありがとうございます」

 

民ちゃんは、布団から目だけを出してにっこりと笑った。

 

「おやすみ」

 

「おやすみなさい」

 

 


 

 

~民~

 

ねぇ、チャンミンさん。

 

どうして説明してくれないんですか?

 

リアさんとのこと。

 

「リアとは籍を入れて、お腹の子と3人で暮らしていくことになりそうだ」って、宣言しないんですか?

 

今日のタクシーの中で、また私の手を握りましたよね。(寝たふりをしていたんですよ)

 

宣言をしてくれれば、手を繋いだり私に優しくしてくれることも、単なる友情(?)同志愛(?)みたいなものと受け取るしかなくなって、簡単なのに。

 

でも、そんな宣言をチャンミンさんの口から聞かされたら、やっぱりショックです。

 

おめでたいことなのに、私は全然歓迎できません。

 

ねえ、チャンミンさん。

 

私が質問するのを待っているのですか?

 

チャンミンさんが私に触れる度、優しくしてくれる度、私は何度も、本気にしてもいいのかな、と迷いました。

 

チャンミンさんって鈍感ですね。

 

嫌だったら払いのけるでしょう、普通は?

 

チャンミンさんに手を握られて、私は嬉しかったんですよ。

 

気付いてくださいよ。

 

チャンミンさんばかり責めてて、駄目ですね、私って。

 

チャンミンさんは身動きがとれないのに。

 

好きな人がいる、って打ち明けていたのは私の方なのに。

 

ねえ、チャンミンさん。

 

私って、勝手な女ですね。

 

「彼はどんな人?」と問われて、惚気ていたのは私なのに。

 

私って、欲張りな女ですね。

 

ユンさんのことも好きだし、チャンミンさんには側にいてもらいたいし、と。

 

ねえ、チャンミンさん。

 

私は弱虫なので、チャンミンさんに質問できません。

 

「私のことをどう思っていますか?」と。

 

答えを知ったら、苦しくなるから。

 

でもね、なんとなく、答えは知ってます。

 

恋人ごっこの時のことです。

 

私もチャンミンさんも、『本当のこと』を言っていたんですよね?

 

「大切な言葉だから胸に仕舞ってあるんだ」と言ったチャンミンさん。

 

この言葉で、チャンミンさんの本心に触れた、と思いました。

 

私たちって、照れ屋ですね。

 

あれが現実の話になったらいいなぁ。

 

無理だってこと、分かってますよ。

 

ねえ、チャンミンさん。

 

本気にしないようにしていた理由、分かりますか?

 

リアさんのことがあるからですよ。

 

新しいお部屋で、チャンミンさんと花火がしたかったです。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

翌朝、朝食のテーブルを僕と民ちゃんは囲んでいた。

 

「携帯電話を盗まれてしまったので、今日、新しいものを買いに行ってきます」

 

「ないと不便だよね」

 

「バッグもなくなっちゃいましたね」

 

「何か貸そうか?

そうだ!

あげるよ、僕のものでよければ?」

 

「ありがとうございます。

でも、エコバッグがあるので、それで十分です」

 

「財布も新しいものがいるよね」

 

「そうなんですよねぇ。

中身よりお財布の方が高かったんですよ。

買わないといけませんね...」

 

民ちゃんのその言葉に、お財布を贈ろうと心に決めた。

 

次の休みに、民ちゃんを連れだして好きなものを選んでもらおう。

 

民ちゃんに何かを贈りたいとずっと思っていたから、いい口実ができたと喜んだのもつかの間。

 

あ...!

 

次の休みと言えば、民ちゃんの引っ越しの日じゃないか。

 

もう、その日が来てしまうんだ。

 

民ちゃんは僕の家を出て行ってしまうのか。

 

ここにいるのもあと2日しかないのか。

 

のん気に財布を贈ろうなんて、計画している場合じゃない。

 

 


 

 

「ユン...じゃなくてユンさんは、どんな風だ?」

 

何かいやらしいことされていないか?」

 

夕食後のTVタイム。

 

僕はビール、怪我のためアルコールがNGな民ちゃんはマンゴージュースを飲んでいた。

 

話したいことは本当は別にあるのに、口火を切るきっかけが作れない僕は、ユンのことを尋ねていた。

 

「まさか!」

 

僕の突然の質問に、きょとんとした顔だ。

 

ユンが民ちゃんの顎に触れたあの指、計算づくの行動だと分かった。

 

民ちゃんは気付いていないだろうけど、ユンは民ちゃんに気があるんだよ。

 

ユンは多分、男もいける口だから、民ちゃんなんか恰好の餌食なんだよ。

 

でも。

 

ユンの気持ちもよく分かる、と思った。

 

ぱっと見は男そのものなのに、思考や話し言葉、仕草が女で(民ちゃんは女の子だから当然だけど)、それなのに、カマっぽいのとは違うんだ。

 

民ちゃんは自分に似合うものをただ着ているだけだし、女っぽくみせようと無理もしていない。

 

のびやかに自然体なんだ。

 

ところが、不意打ちに無意識の色気を出してくるから、それにあてられる。

 

「ユンさんは、どんな人?」

 

「えーっと...よく分かりません...」

 

「どういう意味?」

 

「びしっと決めた外の顔しか見たことがありませんから。

だから、大人で、成功していて、才能がある人だとしか言えません」

 

同じような台詞を前にも聞いたことがあった。

 

「年上の人が好きなの?」

 

曖昧にぼかして尋ねてみた。

 

「そんなつもりはないのですが。

私を、ありのままの私を褒めてくれた人が、たまたま年上の人だったってことで。

褒められてすぐにその気になっちゃうなんて、つくづく単純ですね」

 

民ちゃんは今、誰を思い浮かべて語っているのだろう。

 

上司であるユンのことなのか、それとも『例の彼』のことなのか。

 

どちらについて語っているのか分からなかった。

 

民ちゃんが突然、パチンと手を叩くから驚いて飛び上がった。

 

「はい!

ユンさんの話はこれでおしまいです!

 

そんなことより!

 

私...チャンミンさんに聞きたいことがいっぱいあるんです」

 

「きたか」と覚悟した。

 

民ちゃんが何を尋ねたいのか、わかっていた。

 

「聞きたいことって、何?

何でも答えるよ」

 

「チャンミンさんは私に説明する義務はありませんし、

そのことをチャンミンさんに質問する権利は私にはありません。

単なる私の子供っぽいヤキモチなんです」

 

「民ちゃんがヤキモチ?

どうして?」

 

少し嬉しくてとぼけたフリをした。

 

民ちゃんに質問されるまま、全部説明しようと考えたのだ。

 

民ちゃんのことだ、細かく質問してくれるだろう、と。

 

「チャンミンさん。

今日も頭を洗ってくれてありがとうございます」

 

ところが、話題が変わってしまった。

 

「大したことないよ。

民ちゃんがここに来る時に、Tから任されていたから。

やるべきことをやったまでだよ」

 

僕が言いたいのはそんなことじゃないのに。

 

「チャンミンさんとの『恋人ごっこ』楽しかったですよ」

 

「僕も楽しかったよ」

 

「これが現実だったら、すごいなぁと思いました。

チャンミンさんが本当の彼氏だったら、楽しいだろうなぁ、って

どうしてなのか、チャンミンさんはわかりますか?」

 

「それは...」

 

民ちゃんの顔が今にも泣き出しそうで、うろたえてしまった僕はうまく言葉が紡げない。

 

「でも、そういう訳にもいきませんし、ね?」

 

「え...」

 

「チャンミンさんにはリアさんがいるし、リアさんのことを大事にしなくちゃならない時ですよね?」

 

「違うんだ」

 

普段のんびりとした話し方の民ちゃんが、口をはさむ隙のない早口だった。

 

「チャンミンさんはリアさんのことを大事にしなくっちゃ!

リアさんのことを放っておけませんよね?」

 

民ちゃんは透き通った美しい1対の目で、まっすぐ僕を見ていた。

 

ここは頷くべきなのか。

 

リアは浮気をしていたこと。

 

妊娠騒ぎも僕が関与しないことだったこと。

 

はっきりと否定して、民ちゃんの誤解を解くべき時だったんだと思う。

 

どんな言い方であれ、責任逃れの言葉に聞こえてしまったとしても。

 

でも、一瞬の間に浮かんだ「無責任な男には思われたくない」との思いが、絶好の機会を失わせてしまった。

 

民ちゃんが与えてくれた、言い訳のチャンスを僕は自ら逃してしまったのだ。

 

後になって、この時の自分を悔やんだ。

 

「私みたいなおっちょこちょいが来て、チャンミンさんを煩わせてしまいました」

 

「煩わせてなんかいない...。

僕は民ちゃんが来てくれて、楽しかったんだ。

リアとじゃなくて、民ちゃんと...」

 

「ダメですよ!」

 

民ちゃんの鋭い声に僕は、びくりとした。

 

「よそ見してたらダメですよ」

 

「え...!?」

 

民ちゃんはもしかして...僕の気持ちに気付いて...いる?

 

「美味しいご飯を作ってくれてありがとうございました。

お洋服もいっぱい貸してくれて助かりました。

それから...

コンテストを見に来てくれて嬉しかったです。

それから...

お部屋探しを手伝ってくれてありがとうございました」

 

「待って、民ちゃん」

 

全部がお別れの言葉に聞こえてきた。

 

「花火...出来ませんでしたね」

 

「いつだってできるだろう?」

 

民ちゃんは首を横に振った。

 

「怪我をしていっぱい心配をかけてしまってごめんなさい。

リアさんとの邪魔をしてごめんなさい。

それから...

チャンミンさんは...

チャンミンさんは...

もう一人お兄ちゃんができたみたいで、心強かったです」

 

「僕は、民ちゃんのこと一度だって『妹』なんて思ったことはないよ。

だって僕は...」

 

民ちゃんの片手が僕の口を塞いだ。

 

「私もチャンミンさんのことを、お兄ちゃんだと思ったことはありませんよ。

血が繋がっていればよかったのに...悩まなくてすんだのに...ね?

ふふふ」

 

「それって、どういう意味...?」

 

勢いよく民ちゃんは立ち上がった。

 

「引っ越しは一人で大丈夫です!」

 

「手伝うよ!」

 

「段ボール箱5つしかないんですよ?

宅配便で送る手続きをしましたから。

私は身一つでOKなのです」

 

今度こそ民ちゃんが遠くにいってしまう。

 

「今までありがとうございました。

1か月の間、おうちに置いてくださって。

チャンミンさんったら、私にそっくりなんだもの...。

人生の中でベスト3に入るくらいの一大イベントでした」

 

「おうちに遊びに来てくださいね」の台詞は聞けなかった。

 

ユンだとか、『例の彼』だとか、ライバルの存在よりももっと恐れなくてはならないこと。

 

それは、例え僕に対して恋愛感情がなかったとしても、

異性の一人として見てくれる心...民ちゃんの心が僕に向けて開かれていなければ、僕の出番はずっと訪れない。

 

「リアのことは誤解だ、放っておいていいんだ」と言い切って、自分の気持ちを民ちゃんにぶつけてしまえばよかった。

 

「リアさんのことを放っておくなんて、チャンミンさんは酷い男ですね」と、軽蔑の目で見られること。

 

それが怖かったんだ。

 

どう思われるかにばかり意識がいってしまって、本音を言い逃してしまう。

 

この一瞬の躊躇が、せっかくのチャンス...民ちゃんが与えてくれたチャンス...を逃してしまった。

 

民ちゃんのことを、単純で騙されやすい子だと見くびっていた。

 

この大きな、綺麗な眼は、ちゃんと相手の心の機微も読み取っていたのだろう。

 

「本当にありがとうございました」

 

深々と頭を下げた民ちゃんの、白いガーゼが痛々しかった。

 

民ちゃんは、ずずっと鼻をすすって、左右非対称に涙目を細めた。

 

「私たちって、顔だけじゃなく性格も似てますね」

 

「え...?」

 

民ちゃんの顔がすっと近づいた。

 

ふわっと民ちゃんの甘い香りに包まれる。

 

「あ...」

 

あっという間のことだった。

 

「おやすみなさい!」

 

耳を真っ赤にした民ちゃんの後ろ姿を、茫然と見送った。

 

僕は民ちゃんの唇が触れた頬を押さえて、馬鹿みたいに呆けていた。

 

リアの帰宅を待ち続けた自分と、今の自分は全然変わっていなかった。

 

 


 

 

 

引っ越しの朝。

 

6畳間を覗いたら、民ちゃんはもういなくなっていた。

 

カバーもシーツも外された布団は3つ折りにされ、クローゼットも空っぽだった。

 

きっちりと畳まれたストライプのシャツの上には、スペアキーと、紙幣の入った封筒、

 

そして、『ありがとうございました』と書かれた便せんが置かれていた。

 

 

 


 

 

 

民ちゃんがいなくなって1か月経った。

 

Tからは、お礼の品だと言って郷里の米やら、名産の果物やらが届けられた。

 

さりげなく民ちゃんの近況を尋ねたら、「元気そうだ」とのことでホッとした。

 

ユンのオフィスへは、一度だけスケッチをとるために足を運んだ。

 

巧妙に時間をずらしているのか、民ちゃんと顔を合わせることはなかった。

 

ユンの方も、打ち合わせ場所に自身のオフィスではなく、ホテルのロビーや僕の会社を指定するようになったから、あの日以来民ちゃんと会っていない。

 

全てが虚しかった。

 

民ちゃんの新しい住まいがどこなのか、僕は知っている。

 

だって、一緒に選んだ部屋なのだから。

 

僕はまだ、民ちゃんの部屋を訪ねていけないでいる。

 

 

 

僕の名前で君を呼ぶ     Sweet Life

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