(43)TIME

 

 

チャンミンは、始業から2時間遅れで出社した。

 

大学病院で、先日と同じ医師の診察を受け、薬を処方してもらったのだ。

渡された処方箋を見ると、薬の種類が変わっていた。

(まあ、いっか)

待ち時間や人ごみに疲れていたチャンミンは、薬のボトルを無造作にバッグに放り込み、職場へと急いだ。

 


 

スタッフたちは持ち場についており、事務所にいるのは課長だけだった。

「おはようございます」

ひとり早々と昼食をとっていた課長は、口の中の物を咀嚼しながら、

「やあ、チャンミン君...今朝は病院だったね」

「はい、ご迷惑をおかけしています」

「気にしなくていいんだよ、のんびりやればいい」

課長は、頭を下げるチャンミをまあまあと手で制し、

 

「ひどいのか?」

「はい?」

PCを立ち上げて、業務計画表を確認していたチャンミンは、手を止める。

「薬があるので」

「無理はしないように」

「はい」

・・・

 

(注目されるのは苦手だ)

給水ポンプ室のメーターパネルの数値を確認しながら、チャンミンは思う。

(自分の様子をうかがわれたり、心配されるのは、居心地が悪い)

周囲から気遣いの言葉をかけられる対象になっている自分を、かっこ悪かった。

(周りからどう見られてるなんて、気にもならなかったのに、

 

僕のことは、放っておいて欲しい)

診察では、頭痛の原因については「ストレスでしょう」とのことだ。

「予防薬は欠かさず飲んでください」

(ストレス、と言ったって、何のストレスだよ。

僕はこんなにマイペースに生きているのに)

モーターの低くうなる音が普段より大きく感じたが、数値は正常だ。

イラついたチャンミンは、メーターボックスの蓋を荒々しく閉める。

​コンクリートの階段を上がった先の、重いスチール製ドアを引き、ポンプ室を出ていった。

 


 

「シヅクさん」

ベンチにごろりと横になっていたシヅクは、跳ね起きた。

「カイ君か!びっくりした!」

生垣の陰からひょいと現れたカイは、起き上がったシヅクの隣に、どかりと座る。

カイは半袖Tシャツ姿で、腰に脱いだジャケットの腕を結んでいる。

ドーム屋根からやわらかに降り注ぐ12月の日光が、色素の薄いカイの髪色は金色に透かしている。

「こんなところでさぼってたんですね」

「そんなとこかな」

シヅクは、作成途中だったタブレットをスリープモードにして、バッグに押し込んだ。

今日は、ポカポカと天気が良く、ドームの中は上着が必要ないほど暖かい。

シヅクもジャケットを脱いで、枕代わりにしていた。

「いいところですね」

鉄製のガーデンテーブルとベンチが置かれたそこは、ぐるりと生垣で覆われている。

この場所はシヅクのお気に入りの場所だ。

「わざわざこんな端っこに誰もこないからね」

地面はコンクリート製で、排水、給水、電気系統の点検のため出入りできる鉄製のハッチが並んでいる。

「髪の毛、はねてますよ」

腕を伸ばしてカイは、シヅクのはねた髪を優しくなでつけた。

「あ、ありがと」

カイの流れるような動作は、シヅクはドキリとする間もないほど自然だ。

シヅクは、カイが触れたばかりの髪をなでつけながら、

「カイ君さ、モテるでしょ?」

「ハハハっ!シヅクさん、そればっかですね」

カイはぷっと吹き出した。

「手がかかる姉がいるからですかね」

「かまってちゃん、ってこと?」

「そうじゃなくて、おっちょこちょい度が異常なんです。

それの後始末をしているうちに、身についたというか...」

「ふうん」

シヅクもカイも、組んだ腕に頭をあずけてドームの天井を見上げた。

「シヅクさんは、付き合ってる人はいないんですか?」

「いたらいいなぁ、とは思うよ」

チャンミンの顔がちらりとシヅクの脳裏に浮かぶ。

​(チャンミンと、付き合うことはあり得るのだろうか?)

カイは、ちらりと隣のシヅクを盗み見る。

そばかすが目立つ化粧っけのない肌や、うっとりと空を見上げる横顔をきれいだと思った。

「シヅクさんは、ショートヘアが似合いますね」

「そう言ってくれると嬉しいわぁ」

「シヅクさんの雰囲気に合ってます」

「ありがと。

これな、自分で切ってんの」

「へぇ...ワイルドですね」

「美容院での会話が面倒なんだよな」

カイは横向きに座りなおす。

「あはは、シヅクさんってそんな感じ。

そうそう、

姉はサロンに勤めてるんですよ」

「お姉さん、美容師か何か?」

「いいえ、エステティシャンです。

サロンに併設してるエステサロンです。

もしシヅクさんが、プロに髪を切ってもらいたくなったら、チケットあげますから、いつでも言ってくださいね」

「ありがと」

シヅクも横向きに座りなおして、カイの方を向く。

「もっと、女らしくせんと、彼氏なんてできんのかな」

カイは口角を上げて笑う。

(笑うとますます、お人形さんみたいやな)

「シヅクさんはそのままでいいんです」

可憐で、同時に華やかな笑顔から目が離せないシヅク。

「カイ君がそう言ってくれると、お世辞でも嬉しいよ」

カイはシヅクと目を合わせたまま、小首をかしげてさらに笑顔を深める。

(はぁ、カイ君よ、その笑顔は反則だよ)

「僕も彼女が欲しいです」

軽くため息をついたカイは、肩をすくめる。

「はぁ?

何言っとんの!」

「女友達はいても、恋人はいないんですよ」

「贅沢な悩みやな!」

シヅクはカイの肩を突くと、ケラケラ笑った。

カイは思う。

(シヅクさん、今はまだ僕のことを眼中にない感じですね。

僕は年下過ぎますか?)

「いい天気やなぁ」

「そうですね、眠くなってきますね」

ガタガタと金属音がする。

足元に並んだハッチのひとつがキィと開き、頭がぬっと現れた。

「わっ!」

シヅクとカイは大声を出し、飛び上がる。

頭の持ち主は、チャンミンだった。

 

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