55.2度目のキス -TIME第2章-

 

チャンミンの顔は切なげに歪んでいた。

 

シヅクの上唇に触れる指は、優しい弾力で押し返されて、熱い吐息で湿り気を帯びてきた。

 

チャンミンの喉がごくりと鳴り、その指を引っ込めてこぶしを握る。

 

熱のせいで目の縁も赤く色づかせて、伏せたまつ毛が扇状に広がっている。

 

(シヅクの顔って...綺麗なんだな)

 

美醜に無頓着だったチャンミンは、シヅクの外貌が整っていることに初めて気づいた瞬間だった。

 

チャンミンはマットレスに片頬をつけて、シヅクの顔の向きに合わせた。

 

寝ぐせだらけのシヅクの髪を指ですいてやる。

 

数日前、シヅクに寝ぐせをからかわれたことを思い出した。

 

チャンミンの指は耳のラインにたどり、ピアスホールの空いた耳たぶを柔くつまんだ。

 

(柔らかい...)

 

 

数日前、ピアスを付けたシヅクの耳に触れたことを思い出していた。

 

手の甲で頬を撫ぜた。

 

 

(熱い...苦しそうだ)

 

シヅクの首筋まで滑らすと、手の甲にドクドクいう脈動が感じられた。

 

 

チャンミンの脈拍も早かった。

 

(シヅクに...キスしたい...)

 

 

下腹部を押えたチャンミンは身体を起こすと、眠るシヅクを見下ろしていた。

 

(濡らしたタオルで首を冷やしてやったら、少しは楽になるよな)

 

 

玄関に向かって左のドアが洗面所で、人感センサーで照明がついた。

 

棚にはバスタオルが2枚、タオルが数枚だけ。

 

洗濯洗剤のボトルが1本、持ち上げると軽い。

 

歯ブラシと残り少ない歯磨き粉。

 

チャンミンの口元が緩んだ。

 

(そんなことだろうと思ってたんだ)

 

買い物袋を置いたベッド脇にとって引き返し、目当ての物を持って戻ると、青りんご味の歯磨き粉、シトラスの香りの洗濯洗剤、マゼンタ色の歯ブラシを棚に置いた。

 

(シヅクの部屋にマーキングしているみたいだな。

何やってんだ、僕)

 

 

チャンミンはタオルを1枚取ると、洗面器を探す。

 

洗面所の隣は浴室で、「女性のバスルームを覗くのは、よくないだろうけど」と、チャンミンは中を覗き込んだ。

 

 

(あった!)

 

バスタブの縁に伏せられた洗面器を手に取ろうとした時、チャンミンの目に映ったものとは。

 

「ひっ...!」

 

 

勢いよく引っ込めた手がかすめて、洗面器がカラーンと音を立ててバスタブの中に転げ落ちた。

 

バスタブの水栓レバーの脇に、人の足が、くるぶしから下の部分があった。

 

チャンミンはたっぷり1分間、浴室に片足だけを踏み出した姿勢のまま、それを凝視していた。

 

 

唾を飲み込んで、もっと近くで見られるようにバスタブ脇にしゃがんだ。

 

 

(...義足、か。

よく出来ている)

 

 

皮膚に透けた血管や、肌の赤みのむら感や、薄ピンクの小さな爪。

 

両手でそっと持ち上げた。

 

軽くて小さな足。

 

肌に吸い付くような、柔らかさと弾力も感じられた。

 

(シヅクの...。

シヅクはいつも、編み上げブーツを履いているのも、これのせいだったのか。

事故か何かかな...?)

 

チャンミンは、宝物を扱うかのように、そっと元あった場所に戻した。

 

バスタブの中に転げ落ちた洗面器を拾い上げると、浴室のドアを閉めた。

 

 

(見てはいけないものを見てしまったのかな。

シヅクの「帰れ」に抵抗して居座ってる僕だけど、シヅクにとって本当に迷惑だったのかもしれない。

僕には人の言葉の真意がはかれない。

無神経なことを、いっぱい口にしていたんだろうな)

 

チャンミンはシヅクが臥せっているベッドを見つめながら、そう思った。

 

水を張った洗面器に残りの氷を全部あけたものを、ベッドサイドへ運んだ。

 

 

躊躇していたチャンミンの手が、掛布団に伸びる。

 

めくった布団の下から、シヅクのむき出しの脚があらわれた。

 

(シヅク、ごめん...。

僕は今、とても失礼なことをした)

 

膝の位置で丸まっていた毛布を引っ張って、シヅクの左足とくるぶしから先を失った右足をくるんでやった。

 

 

(あれ...おかしいな)

 

いつの間に浮かんだ涙を、チャンミンは袖で拭う。

 

熱にあえぐシヅクの姿と、シヅクが抱える秘密を目にして、チャンミンの胸が締め付けられるように痛んだのだった。

 

(これは...涙?

どうして僕は、泣いているんだ?)

 

拭った後から次々と溢れてくる涙の理由が、チャンミンには分からない。

 

頬をつたう涙はそのままに、チャンミンはベッド脇にひざまずく。

 

 

キンキンに冷えた水にタオルを浸して、ゆるく絞った。

 

両手で広げたタオルでシヅクのあごを包むと、シヅクからため息が漏れた。

 

「気持ちいい?」

 

 

うっすらと目を開けたシヅクの目が、真上から見下ろすチャンミンに驚き、大きく丸くなった。

 

「チャンミン...まだ帰ってなかったの?」

 

「帰って欲しかった?」

 

 

(チャンミンのバカ。

弱っている姿なんて見せたくなかったのに、

そんなに優しくしないでよ、慣れていなんだから)

 

 

シヅクが首を横に振ったのに満足したチャンミンは、濡れたタオルでシヅクの耳の下を冷やす。

 

 

「気持ちいい?」

 

「うん」

 

シヅクの手が、タオルに添えられたチャンミンに重ねられた。

 

「チャンミン...ありがとな」

 

「......」

 

 

(駄目だ...我慢できない)

 

 

「シヅク...あの...。

こんな時に、駄目だってことは分かってる。

シヅクの体調が優れないときに...こんなこと。

でも...」

 

 

「おい!

こっちは頭が朦朧としてるんだ。

言いたいことがあるなら、はっきり、端的に!」

 

 

チャンミンは深呼吸をする。

 

 

「...キス、してもいい?」

 

「!!」

 

(キ、キス!?)

 

「...しても、いい?」

 

(いちいち言葉にするな!)

 

チャンミンの切羽詰まった表情に、シヅクはうんうんと頷いた。

 

チャンミンは、気持ちを落ち着かせようと、ふぅっと息を吐き、斜めに傾けた頬をシヅクに寄せる。

 

(緊張する)

 

熱で潤んだシヅクの瞳が、かすかに揺れた。

 

額同士をくっつけると、互いの鼻先が触れた。

 

2人の額は、熱く火照っていた。

 

(ドキドキする!)

 

シヅクはぎゅっと目をつむった。

 

唇同士が触れるだけの、軽いキス。

 

次は、互いの唇の柔らかさを確かめるキス。

 

頬の傾きを変えて、唇の形をたどるキス。

 

恐る恐るだったチャンミンにも勢いがついてきた。

 

唇も顔も閉じ込めるかのように、シヅクの両頬を手で包み込んだ。

 

(チャンミンのキス...不器用だけど...いい感じ)

 

わずかに開けた唇の隙間を通して、二人の舌が触れ合った。

 

「!!」

 

とっさにチャンミンは舌をひっこめたが、シヅクの熱い手が、チャンミンのうなじにかかって、ぐいっと引き寄せられた。

 

「!!」

 

シヅクの熱い舌がそっと忍び込んできて、躊躇していたチャンミンもそっと伸ばす。

 

(柔らかい...そして、気持ちいい...)

 

いったん唇を離し、顔の傾きを逆にして口づける。

 

さっきより深く。

 

シヅクの舌がチャンミンのそれに絡んだとき、チャンミンは自身の中に火がついたのがはっきりと分かった。

 

チャンミンもシヅクに応えて、彼女の中に舌を忍ばせる。

 

知らず知らずのうちに、シヅクの頬を挟む手に力がこもった時、

 

 

(マズイ!

これ以上はマズイ!)

 

下半身の疼きに気付いたチャンミンは、内心焦りだした。

 

頬を包んだ手を、首に、胸にと滑らしていきたくなった。

 

(...するわけには、いかない...)

 

 

と、首に巻き付けられたシヅクの腕がゆるみ、同時に2人の唇が離れた。

 

 

「ふう...」

 

チャンミンは尻もちをつくように座り込んだ。

 

(ドキドキする。

この感覚は、一体なんなんだ!)

 

シヅクに負けないくらい、全身が熱かった。

 

胸に当てた手の平の下で、鼓動が早い。

 

 

 

「一緒に寝るか?」

 

シヅクはポンポンと、マットレスを叩いた。

 

 

「えっ!?」

 

 

思いがけず大きな声が出してしまったことにチャンミンは驚く。

 

「それとも、うちに帰って寝るのか?」

 

「いやっ、それは...(帰りたくない)」

 

 

「寝るだけだろうが。

まさか...チャンミン!

私をどうこうしようって、考えてたのか?」

 

 

(どうこうするつもりはなくても、抑えられるかどうか...自信がない)

 

 

「そばにいて、朝まで」

 

シヅクの言葉に一瞬固まったチャンミンだったが、逡巡なく「うん」と頷いた。

 

顔を赤くしたチャンミンは「失礼します」と言うと、そろそろとシヅクの隣に横たわった。

 

 

「!!」

 

(おいおいおいおい!

冗談で言ったのに、本気にしたのか!?)

 

 

ギョッとしたシヅクは、触れ合わんばかりに接近したチャンミンを横目で見る。

 

(忘れてた。

チャンミンには冗談が通じないんだった!)

 

 

「......」

「......」

 

 

(熱が出てしんどいどころじゃなくなった。

もっと熱が出そう!)

 

 

(シヅクのお世話をする僕が、シヅクのベッドに寝てどうするんだ!)

 

いろいろあった1日だった。

 

 

(病院へ行った。

 

シヅクとカイ君が一緒にいるところを見て、不快になった。

 

ポンプ室でシヅクと閉じ込められた。

 

震えるシヅクを抱きしめた。

 

家に帰って、自分の気持ちを振り返ってみた。

 

その時、自分の気持ちの答えが見つかった。

 

シヅクの顔が見たくなって、居ても立っても居られなくなってシヅクを訪ねた。

 

シヅクの足の秘密を知った。

 

初めて涙というものを流した。

 

それから...それから...)

 

 

「シヅク...」

 

「ううーん...?」

 

丸まったシヅクの背中に向けて、チャンミンは言葉を紡ぐ。

 

 

「僕がここに来たのは、シヅクに話があったからなんだ。

その話っていうのは...」

 

 

チャンミンは深呼吸して、続きの言葉を紡ぐ。

 

 

「伝えたいことがあって、ここに来たんだ。

 

あの...。

 

僕は...」

 

 

「......」

 

 

「僕はシヅクが好きです。

 

好き、です」

 

 

「......」

 

 

「シヅク?

 

 

聞こえた?

 

 

あのさ、

 

 

僕は、シヅクのことが、好きです」

 

 

 

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