52.彼らのその後-TIME第2章-

 

 

「ハックション!」

 

シヅクのくしゃみの音で、チャンミンは飛び起きた。

 

「!」

 

身体をビクッとさせたチャンミン。

 

「あんた...まさか、寝てたんじゃないだろうね?」

 

「......」

 

チャンミンは、一瞬自分がどこにいるか分からなかった。

 

(夢...か)

 

「しっかりしてよ。

私の背中の熱を、あんたに分けてあげるから」

 

「う、うん」

 

(あの人は、誰だ?)

 

舐められた感触が、生々しく覚えている。

 

腕を確認して見たかったが、シズクが手首をがっちり押さえ込んでいて、腕を引き抜くわけにはいかない。

 

チャンミンはギュッと目をつむって、映像の断片だけでもと、手繰り寄せようとした。

 

(果物を食べていた。

2日前にみた夢の中で、隣を歩いていた人。

果汁で濡れた僕の腕を、舐めた人)

 

チャンミンは確信していた。

 

(2つの夢に登場した人、顔は分からないけれど、同じ人物だ。

共通した雰囲気を持っていた。

でも、知らない人

誰だよ。

舐めるって...どういうことだよ。

不快だ)

 

じくじくと、こめかみがうずいてきた。

 

頭痛の予感がしたチャンミンは、すぐさま思考をストップさせる。

 

黙り込んだチャンミンを心配したシズクは、肘でつつく。

 

「チャンミン、寝るなよ。

冬山で遭難した時は、眠ったらそのまま死んでしまうらしいぞ」

 

「ここは冬山じゃないよ」

 

「何が悲しくて、職場で遭難しなくちゃいけないんだ」

 

「まったくだ」

 

大の大人が高いところによじ登って、はた目から見ると滑稽な眺めだ。

 

「チャンミン、大丈夫か?」

 

「大丈夫って?」

 

「コントロールできない、とか言ってたでしょ?」

 

「ああ!そのことか」

 

カイと一緒にいたシヅクを見て沸き上がった、腹立ちと不安感をどう処理すれば分からなかったこと。

 

苛立ちで渦巻くチャンミンの内心をよそに、いつもと変わらないシヅクの様子が、それに拍車をかけたこと。

 

「お姉さんに話してみな」

 

でも、災難に巻き込まれてしまい、シヅクと密着して体温を分け合っているうち、そんな苛立ちの嵐は過ぎ去ってしまったこと。

 

「あのさ...」

 

チャンミンは、口を開きかけた。

 

「うんうん」

 

「...ううん、何でもない」

 

(僕は、今、何を言おうとしていたんだ?

シヅクに伝えようとしたことは、何だったんだ?)

 

「大丈夫だよ」

 

「言いかけて止めるんなんて、

余計に気になるじゃないか!」

 

「いや、ホントに大丈夫なんだって」

 

「それなら、いいんだけどさ。

チャンミンも大人しくなってよかったね」

 

「大人しく?」

 

首をかしげるチャンミンと、こみ上げる笑いに肩を震わすシヅク。

 

「ああ!」

 

チャンミンは、「大人しく」の意味が分かると、顔を真っ赤にさせる。

 

「今度こそ、突き落とすよ?」

 

チャンミンは、シヅクのブーツを軽く蹴った。

 

「こらっ!

水が浅いところに落ちたら、床に直撃じゃないか!」

 

「ほら!」

 

シヅクに指摘されて、チャンミンは斜め下の出入り口ドアの辺りを見下ろした。

 

「やっと出られるよ」

 

タンクから見下ろす水面が、ぐっと遠くなっていた。

 

入口のステップ面があと少しで露わになりそうだった。

 

「やった!」

 

リストバンドの時刻を確認すると、21:00。

 

滝行から3時間。

 

「うわっ、もうこんな時間か!」

 

「降りよう」

 

「助かったぁ」

 

チャンミンはタンクから飛び降ると、シヅクに向かって両腕を伸ばした。。

 

「おいで」

 

(ヒロインが、恋人の胸に飛び込む...まんまなんですけど...)

 

ロマンティックなイメージがシヅクに浮かんだが、

 

「無理!」

 

恐怖のあまり、お尻がタンクにくっついてしまったかのようだ。

 

「大丈夫だから」

 

チャンミンは、手の平で「おいで」のジェスチャーをする。

 

「あんたに、私の命を預けるよ」

 

「大げさだなぁ」

 

チャンミンは、身をのりだしたシヅクの脇の下に手を差し込むと、ガチガチに身体を硬直させたシヅクを、すとんと床に下ろした。

 

シヅクの脚が再び、水に浸かる。

 

水の深さは30センチの高さまで下がり、2段あるステップの上段が露わになっていた。

 

「あ、ありがと」

 

「どういたしまして。

腕が折れるかと思ったけど...」

 

「あのなー。

毎度のことだが、その一言が余分なんだよ!」

 

チャンミンの背中を叩く。

 

「ははっ。

元気になったみたいだね」

 

鉄製の重いドアを引くと、あっさり開いた。

 

「やった!」

 

2人は目を輝かせて顔を見合わせた。

 

 


 

ドアの向こうにまっすぐ伸びる廊下も、ドアの隙間から漏れ出た大量の水で、水浸しだった。

 

二人は無言だった。

 

へとへとに疲れ切っていた。

 

とにかく、寒かった。

 

地上に伸びる梯子をのぼる時になって、チャンミンはシヅクの手を握ったままだったことに気付いたのだった。

 

 


 

 

とんでもない災難だったけど、

 

チャンミンったら、騎士道精神を発揮しちゃって。

 

ときめいちゃったじゃないの。

 

まさしく吊り橋効果じゃないの。

 

いや、違うな。

 

私は今回のことがなくても、既にチャンミンのことが気になっていた。

 

はっきりと認めよう。

 

「恋」だと勘違いしてしまう以前に、チャンミンのことが好きだ。

 

それじゃあ、チャンミンの方はどうなの?

 

先週、チャンミンにキスをされたときに、伝わった彼の想い。

 

自惚れじゃなくチャンミンも私のことを、好きなんだと思う。

 

チャンミンの心は、足跡のない雪原のようなもの。

 

彼が抱いているだろう心は、嘘いつわりのない真っ直ぐなものだ。

 

そして、チャンミンが恋愛感情を抱くのは、初めてであることを私は知っている。

 

その感情をうまく処理できずに、混乱しているかもしれない。

 

面白がってからかうのはNGだと、心得よう。

 

でもなぁ、いちいち赤くなって可愛いんだよなぁ、意地悪したくなるんだよなぁ。

 

ちょっと待ってよ。

 

1 ...4...7...10日くらいしか経ってないじゃない!

 

チャンミンの出方を待つか、

 

いつもの私のように、当たって砕けろ精神を発揮してしまおうか?

 

驚かせて拒否られたら、今後の任務遂行が面倒なことになる。

 

弱ったなぁ。

 

感情が芽吹いたチャンミンが今後、どうなっていくかも未知だ。

 

本来彼が持つ、キャラクターってどんなだろう。

 

興味があった。

 

 


 

ハシゴを登り切った二人は、照れくさくて手を繋げずにいた。

 

シヅクはハウスの脇に脱ぎ捨てたコートを羽織った。

 

バッグの中で、タブレットの通知ランプが赤く点滅していた。

 

(...カイ君?)

 

発信者を確認したシヅク。

 

(飲みに行こうっていう誘いだったのかな?

ごめんな、今夜は無理だわ)

 

かじかむ指でメッセージを打って、送信した。

 

「シヅク!

早く帰ろう!」

 

いつのまに管理棟前まで行っていたチャンミンが、手招きしながら大声でシヅクを呼んでいる。

 

「今行く!」

 

答えてシヅクは、チャンミンの元へと走り出したのだった。

 

 

 


 

 

彼女は高いところが苦手なことを知った。

 

震えたり、おびえたり、僕をからかったり、いろんな表情を見せるシヅク。

 

1年も近くにいながら、彼女のことを見ようともしなかった。

 

「知りたい」「近づきたい」「話をしたい」...それから「触れたい」という感情に、僕は支配されている。

 

濡れた服越しの、シヅクの体温や感触を思い出した。

 

あ...!

 

僕の“生理現象”を、シヅクに知られてしまった。

 

恥ずかし過ぎる。

 

でも、シヅクがジョークにしてくれて助かった。

 

だって気づかないふりをされていたら、ますます恥ずかしい。

 

そういえば、

さっき、シヅクに何を伝えようとしていたのだろう?

 

カイ君と仲がいいの?と聞きたかったのか?

 

違う。

 

そうか!

 

僕が今抱えているシヅクへの想いと同じものを、シヅクにもあることを望んでいるんだ。

 

カイ君と会話を交わして欲しくないんだ。

 

シヅクとくっついていたいんだ。

シヅクは僕のことをどう思っているの?

 

シヅクも僕と同じように思っている?