~好きが加速~
~民~
甥っ子たちをお風呂に入れていたら、「コケッコー」と携帯電話が着信を知らせた。
ユンさんからの電話だ。
「民くん?
ご家族の方は?」
ユンさんの低い声が、私の耳と胸を甘くくすぐる。
私を呼び捨てに呼んでいたのが、「民くん」に戻っていた。
そのことにがっかりしたのは分かるけど、なぜかホッとした。
慣れない事柄が立て続きに起こると、キャパシティの狭い私の心はすぐさまいっぱいになる。
感情の処理ができなくて、大渋滞を起こしてしまう。
「みんな元気です。
明日にはお義姉さんが退院するので、お役御免になります。
ご迷惑おかけしてしまって、申し訳ないです」
ユンさんがふっと笑う吐息が、電話越しに聴こえた。
まるで耳の中に直接息を吹きかけられたみたいに感じられて、ぞくっとした。
「仕事の方は心配しなくていい」
「ありがとうございます。
お仕事を休んでおきながら、コンテストのバイトなんてしていて非常識ですよね」
ふっと笑ったユンさんの吐息が再び、私の耳をくすぐった。
「お義姉さんのこともコンテストのことも、面接の時に前もって知らせてくれていたから、構わないんだよ」
「ありがとうございます」
「そのコンテストは、どこであるの?」
問われた私は、場所と時間を伝えた後、
「あの!
お時間があったら、見学にいらっしゃいませんか?」
と、思わずユンさんを誘っていた。
「えっと...その...、
会場には沢山、綺麗なモデルさんがいますし、ユンさんのお眼鏡にかなう人がいるかもしれませんし...」
「へぇ。
見学させてもらおうかな。
ところで、部外者が行ってもいいのかい?」
「えっ!?」
「忙しいから」と断られると思ったのに、あっさり承諾の答えを得られて私は一瞬、放心してしまった。
どうしよう!と、軽いパニック状態になる。
「はい。
全国から沢山の美容師さんたちが見学に来ますし、一般の人たちも入場できます。
ちょっとしたLIVEみたいな雰囲気だと聞いています」
「そうか。
それなら、時間を作って行くよ」
「は、はい。
お待ちしております!」
どうしてユンさんを、誘ってしまったのだろう。
私とユンさんの関係は、雇い主と従業員だ。
プライベートなことに、誘ってしまってよかったのだろうか。
私のことを知ってもらいたかったから?
着飾った私を見て欲しいから?
女らしくもない、特技もない私だ。
ユンさんに振り向いてもらうためには、今回のイベントは格好のチャンスだと思ったのかな。
私みたいな者が、ユンさんに『振り向いてもらう』のを望むなんてお門違いだ。
リッチな食事を御馳走してもらい、戯れみたいなキスを1つもらっただけで、その気になってる自分が恥ずかしかった。
だとしても、思いがけない展開になって、鼓動が早かった。
「民くん。
そろそろ次の作品制作にとりかかりたいんだ」
「え...?」
「民くんがモデルになる話」
「モデル...」
先日ユンさんに、作品のモデルになってくれないかと依頼された件だ。
服を脱ぐ必要があると聞かされていた。
絶対に断る話だった。
落ち着いた口調なのに有無を言わせない眼で見つめられて、私は身がすくんで、気付けば「YES」と頷いていた。
「NO」と答えたらユンさんをがっかりさせてしまう恐れを感じていた。
「不安になるのは分かるよ。
服を全部脱げとは言っていないから、安心しなさい」
「そうでしたね。
私なんかに、務まるんですかね...ははは」
「民くんだから、お願いしているんだ。
...それから、もっと自信を持ちなさい」
・
ユンさんの声を聞いて、私の胸はきゅっとときめいた。
やっぱり自分はユンさんに憧れているし、好きなんだと確認できた。
どうして確認する必要があったの?
だって、想いを寄せているユンさんという存在がいるにもかかわらず、今の私はチャンミンさんのことでも胸がざわつくから。
今夜、チャンミンさんの誘いをどうして断ったの?
もし、チャンミンさんに触れられることがあったら、今の私は自分の感情を処理できない。
私は単純だから、全ての行為を意味ありげに捉えてしまうから。
ユンさんもチャンミンさんもカッコよくて、その二人からのキスを受け取って、私の頭は沸騰寸前なのだ。
先日のチャンミンさんの突然のハグには、思考が止まった。
男子トレイの鏡に映った自分が、チャンミンさんにそっくりで男そのもので、悲しくなった。
私の視線の高さが、チャンミンさんのそれと同じで悲しくなった。
チャンミンさんのハグは、こんな私のことを可哀想だと思ったからなのかな。
そんなのヤダな。
チャンミンさんからのハグで一番驚いたのは、抱き寄せられてドキッとしたことや、肩の力が抜けてなぜだかとても安心したことじゃない。
鏡に映る私が、とろんとした女の目になっていたことなのだ。
~チャンミン~
「1時間半後に迎えに来てくれ!」
「はあ、いいっすけど」
僕は後輩Sの運転する社用車から下りると、早く行けと手を振った。
冷房をきかせた車内から蒸し風呂状態の外気に包まれ、僕の全身から汗が噴き出す。
ルート途中にこの近辺を通りかかれるように、アポイントの予定日を繰り上げたり遅らせたりと、数日前からスケジュール調整をしていたのだ。
後輩Sを昼食に行かせている間、僕には行きたいところがあった。
突き刺さるような日光をまぶしく照り返す石畳を、早歩きする僕の黒い革靴。
そこは広大な敷地で歩けども建物に近づけず、急いでいる僕は焦れる。
国際的なスポーツ競技会やアーティストのLIVEが行われることもある体育館目指していた。
壁面には巨大な垂れ幕が下げられ、僕でも知っているビューティーブランド名に続いて『Trendvision 20××』とある。
民ちゃんがカットモデルとして出場しているのはここだ。
広場やエントランス周辺にたむろす大勢の中に混じった小洒落た若者たちは美容師か。
ネットで調べてみたら世界的に有名な大会で、今回の優勝者は世界大会出場へ駒を進めることができるとか。
審査員も司会者も、BGMを担当するDJも有名どころを集めている。
線の細いK君や今どき風のAちゃんは、実は才能あふれる子たちだったんだと、文化祭のノリなものだと馬鹿にしていた僕は心の中で彼らに謝った。
受付カウンターで入場チケットを買い、案内スタッフに従って薄暗いホールへ足を踏み入れた。
座席はほぼ満席だったが、僕は出来るだけステージに近い席を求めて空席を探す。
ファッションショーさながらアリーナの真ん中にランウェイが貫いている。
巨大なスクリーンがステージ上に設置され、大音量で流れるEDMにのってランウェイをモデルが歩いていた。
エントリー番号のあと、選択したテーマ名、選手名、サロン名の順にアナウンスされる。
モデルと選手がメインステージに登場すると、会場から歓声が上がった。
(民ちゃんの番は終わっていないだろうな)
プログラムによると、カットとスタイリングの競技は午前中に終了していたが、その後のショータイムは今、真っ最中だ。
パンフレットを指でたどってK君の名前を探す。
(よかった、間に合った)
タイミングよく、僕が席についてから5組目が彼らの番だった。
スタイリングや衣裳のレベルを競うものかもしれないが、それを纏うモデルの素質も大きなウェイトを占めると思う。
ランウェイを歩くモデルの中には、いわゆる『普通の子』も混じっていて、どうしても見劣りしてしまうのだ。
だから、民ちゃんがステージに現れた時、僕は鳥肌がたった。
やばい、と思った。
(つづく)
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