【55】NO?

 

 

「ランウェイだなんて...聞いてませんよ」

 

「民さん、じっとしていてください!」

 

Aは衣裳に着がえた民の背後に立って、メイクに余念がない

 

隣のKは「ケープ、水スプレー、タオル、コーム、トリマー...それからハサミ!」

 

と、つぶやきながら、ステージへ持ち込む道具のチェックを行っている。

 

「Kさんはコンテストが近づくと『ゾーン』に入っちゃうんですよ。

 

周りが見えていないから、地方大会の時に駅構内でモデルさんとはぐれたこともあります」

 

「Aちゃん。

ガスって持ってきたっけ?」

 

Kは先ほどからショルダーバッグをかきまわしていた。

 

ステージ上では電源が使えないため、ヘアアイロンやドライヤーはガス式のものを使用する。

 

「絶対に忘れてくると思ったから、予備をいくつも持ってきてますよ」

 

マスカラを塗る手を止めて、Aはスーツケースを指さした。

 

「サンキュ」

 

(アートセンスが長けてる人って、こういうものなのかな)

 

サロンにいる時とはうって変わって、気もそぞろな気ぜわし気なKが民には新鮮だった。

 

「Kさんはね、すごいんですよ。

靴を忘れてきたこともあるんです。

仕方なく、モデルさんは裸足でステージに上がったんです」

 

(ひとつのことに夢中になっている人って、輝いてる)

 

控え室には長机と折りたたみ椅子が並び、エントリー番号札に従ってあてがわれた場所に3人は陣取っていた。

 

衝立で囲われただけのフィッティングルームは着替えをするモデルたちで溢れ、その場で服を脱ぐモデルも多い。

 

(みんな、綺麗な人...)

 

ぽかんと口を開けていると、「民さん!」とAに注意をされる。

 

Aの手によって凛々しい民の顔が、青白い儚げな少女の顔に変身していった。

 

早朝4時から最後の仕込みが開始し、民の眉の脱色を済ませると、電車に乗って3人は会場入りした。

 

会場に近づくにつれ、大きなバッグを肩から下げた者、スーツケースを転がす者やカラフルな髪色をした者が続々と増え、否が応でも民の緊張感は高まったのだった。

 

受付を済ませるとリハーサルが開始し、バックステージからメインステージに出た直後、民はこの仕事を引き受けたことを後悔した。

 

客席の真ん中を真っ直ぐ伸びるランウェイを目の当たりにした民は、Kの腕をつついた。

 

「まさか、まさかのまさかですけど、あそこを歩くんじゃないでしょうね?」

 

「あれ?

言ってませんでしたっけ?」

 

「初耳です!」

 

「あれ?

言い忘れてたかもしれませんね」

 

「Kさん!」

 

「民さんなら大丈夫ですよ、ははは」

 

絶句する民に気付いたKはそう言って笑った。

 

「ウォーキングなんて、私は知りませんよ。

ひょこひょこ歩いて、恥かいちゃいますよ?」

 

「審査員は民さんの髪と衣裳しか見ていないから、大丈夫ですよ」

 

「それならいいんですけど...」と民はいぶかし気につぶやいたのだった。

 

 

 

 

リハーサルを終えた一行は控室に戻り、メイクや衣裳の着付けが始まった。

 

気の毒にも衣裳が完成していなかったり、破れたりほつれたりのハプニングもあって、裁縫道具や両面テープの貸し借りの声が周囲で上がっている。

 

ステージ入りを知らせる放送が鳴った。

 

「いよいよですよ」

 

目の下に隈をつくったKが民の背中を叩いた。

 

「頑張りましょう!」

 

「はい!」

 

首にケープを巻いた状態で、エントリー番号順に列を作ってバックステージに向かう。

 

ファイナル進出者50名に、50名のアシスタント、50名のモデルの総勢150名。

 

10㎝を越えるヒールを履くモデルの中でも、民の長身は男性モデルや欧米モデルに次いで目立っていた。

 

「緊張しますね」

 

「僕はこの緊張感が好きなんです」

 

「Kさん!

靴の紐がほどけてます!」

 

 


 

 

~ユン~

 

 

ビルの管理会社との打ち合わせを終えた俺は、ナビに従ってハンドルを繰る。

 

外は摂氏35℃は越えており、サングラス越しでもフロントガラスを焼く日差しの厳しさがよく分かった。

 

民がモデルとして参加するコンテストの見物に馳せそんじることになった。

 

カットコンテストなど興味はそそられなかったが、民の晴れ姿は是非目にしたかった。

 

この車の中で民の唇を奪って以来、顔を合わせていなかったこともあって、久しぶりに民の顔を見られるのが楽しみだった。

 

この高揚した気分は、悪くない。

 

夢中になる対象の存在は、俺の制作意欲をかきたててくれる。

 

恋愛は、莫大な力を生んでくれる。

 

受付で名前を述べたら、「Reserve」席へと案内された。

 

途中、知った顔に何人か会い(雑誌編集部員やサロン経営者など)、簡単な挨拶を交わした。

 

下調べはしてこなかったが、メンツを見る限り想像以上に大掛かりなイベントのようだ。

 

民は俺の為にランウェイ横の席を用意してくれていた。

 

「綺麗なモデルさんがいっぱいいますよ」と民は言っていたが、目の前を通り過ぎるモデルの誰一人、俺の心に響かない。

 

あくびをかみ殺しながら、目前に迫るステージの構造を観察していた時、青白いふくらはぎが通り過ぎた。

 

はっとして顔を上げると、全身が銀色に鈍く光る衣裳を纏った民だった。

 

ストレッチのきいた薄い生地のおかげで、歩を進めるごとに尻の筋肉が交互に盛り上がる様がよく分かる。

 

うっすら付いた脂肪を感じられる民の尻を目にして、俺の欲に火が灯る。

 

ランウェイの突き当りで全身を披露する民の後ろ姿に、熱い視線を注いだ。

 

男でもない女でもない妖しさが、無駄な筋肉をつけていないすんなり細い脚から伝わってくる。

 

上半身はコルセットだけで薄いデコルテがむき出しになって、細いチェーンを巻いているおかげで長い首が際立っていた。

 

この衣裳を思いついた人物...メインステージに立つ小柄な若者は、民の魅力を存分に引き出すことに成功していると感心した。

 

民のスタイルについてはさておき、顔がよかった。

 

先日見た時は白髪だったのが、今は漆黒になっている。

 

直線的な前髪が民の思慮深げな眼差しを引きたて、眉もまつ毛も白く美神バルドルのようだと思った。

 

メインステージへ引き返してきた民が、俺の存在に気付いたようだった。

 

軽く手を挙げると民は一瞬目を見開き、照れ隠しなのか視線を遠くの客席に向けた。

 

可愛らし過ぎて、羽を折りたくなった。

 

今すぐステージから民を引きずり下ろし、アトリエに直行したい欲求を抑えた。

 

一刻も早く、本気をみせないとな。

 

 

 

(つづく)

 

彼女とのHeaven's Day