【54】NO?-君の部屋を訪ねる-

 

~民~

 

 

「いただきます」

 

タッパーの中身は、エビのピラフとスパニッシュオムレツ、それから大きめ野菜をグリルしたサラダ。

 

小さな容器に詰めた手作りドレッシングも添えられていた。

 

「チャンミンさん...っう...っ...」

 

しゃくりあげながら、涙を流しながらそれらを口に運ぶ。

 

「そうだ...」

 

「美味しい状態で食べないと」、と電子レンジで温めた。

 

ごくごく普通の冷蔵庫の上には、余計な装飾を排除したシルバーの電子レンジが鎮座している。

 

外国製のスタイリッシュなデザインのそれは、ユンさんからの引っ越し祝いだった。

 

「遠慮せず言いなさい。何がいい?」と問われて、「それじゃあ...」と電子レンジをリクエストしたのだった。

 

ユンさんの好意にどこまで甘えればいいのか分からなかった。

 

いつまでも自宅まで送ってもらうわけにもいかない。

 

ユンさんは優しい。

 

取り乱したりもしないし、大きな声も出さない。

 

でも、

覗き込むように私を見る目が鋭くて熱くて、どう見返せばいいのか分からない。

 

私の背を撫ぜおろす手が、なんていうか...スキンシップを超えている感じがして、どう反応すればいいのか分からない。

 

「...美味しい...」

 

エビの香味と歯触りが食欲をそそるし、チーズを混ぜたオムレツは濃厚で滋養が身体にしみわたる。

 

サラダの野菜もグリルで焦げ目がつけてあって、手が込んでいるのが伝わった。

 

「うっ...うっ...」

 

チャンミンさんも優しい。

 

あわてんぼうだし、びっくりするようなことを突然言い出すし、リアさんといちゃいちゃしていたかと思えば、私の首にキスしてきたりして、よく分からない人。

 

よく分からない人だけど、一緒にいて楽しい人。

 

そして、私の為にご飯を作ってくれる人。

 

今日になって、いきなりご飯を届けてくる人。

 

チャンミンさん...何がしたいんですか?

 

分からないです。

 

最後のひとスプーンを、口に入れる。

 

チャンミンさん...美味しいです。

 

チャンミンさん、お腹いっぱい食べました。

 

汚れたタッパーを丁寧に洗って、フキンで水気を拭き取った。

 

次から次へとこぼれ落ちる涙を、袖口で拭う。

 

「よし」

 

ブルゾンを羽織り、綺麗になったタッパーの入ったエコバッグを肩にかけ、靴を履く。

 

チャンミンさんにお礼が言いたいです。

 

チャンミンさんの顔が見たくなりました。

 

今すぐ。

 


 

~チャンミン~

 

「さむっ」

 

ぶるりと震えて、エアコンをつけた。

 

スーツを脱いで部屋着のスウェットの上下に着がえた。

 

作り置きのおかずと冷凍ご飯をレンジで温めた。

 

「はぁ...」

 

出るのはため息ばかり。

 

TVからは、芸人たちがゲラゲラと笑う声、派手な効果音。

 

僕は全然、楽しくも面白くもない。

 

民ちゃん...食べてくれたかな。

 

昼間、外回り途中に民ちゃんの部屋に寄って、僕の作った料理を届けてきた。

 

日中、傷まないように保冷パックも入れておいたし、気候も涼しいから大丈夫なはず。

 

今、僕の口の中で咀嚼されているものは、民ちゃんのと全く同じメニューだ。

 

綺麗に仕上がったものは民ちゃんへ、焦がしてしまったのが僕の分。

 

僕からの差し入れだってことを、民ちゃんは気付いてくれただろうか。

 

民ちゃんは鈍感だからなぁ...。

 

いや、違う。

 

彼女は意外に鋭い子だった。

 

そして、慎重。

 

僕と民ちゃんは、顔だけじゃなく慎重なところも似ているんだ。

 

あの夜の時の会話は、お互いに肝心かなめな部分に触れないよう、慎重な言葉選びで交わされたものだった。

 

民ちゃんは何かに焦れていて、くいいるように僕の反応を待っていた。

 

僕の方は、民ちゃんの初めての告白に近い言葉をぶつけられて、突っ込んだことを言えずじまいだった。

 

あんなに早口で、怒った眼をした民ちゃんに接するのは初めてで、彼女の問いに答えられずにいた。

 

そんな僕に、民ちゃんの涙目が「残念です」と語っていたような気がする。

 

僕に向けられている好意の正体...なんとなく分かった。

 

僕は民ちゃんのことを何でも分かった気でいた。

 

民ちゃんの魅力探しに夢中になっていて、彼女の気持ちに全然目を向けていなかった。

 

僕のことを好きでいてくれたらいいなぁ程度にしか望んでいなかった。

 

リアという女性の存在を、ひどく気にしていたなんて気づいていなかった。

 

リアと別れると民ちゃんに決意表明をしてから1か月以上、あの部屋を出なかった僕だ。

 

民ちゃんが愛想をつかしても当然のこと。

 

僕の頬へ押し当てられた民ちゃんの唇は、「バイバイ」のキスだったのだ。

 

 

お弁当を届けるだなんて、アピールが控えめ過ぎだったかな。

 

ある日突然、玄関前に食事が届けられていたりなんかしたら、気味が悪いよな。

 

民ちゃんへ手紙を書いた。

 

民ちゃんを心配する気持ち、僕の近況、そして、民ちゃんがいなくて寂しい思いをしていると、時間をかけて書いた。

 

そうしたら、便せん5枚にもなってしまった。

 

思いが込められ過ぎた手紙は重すぎると直前で気付いた僕は、メモ用紙にひとこと『お腹いっぱい食べてください』とだけ書いて、差し入れに添えた。

 

僕からのものだと、気付いてくれたかな。

 

気持ち悪くて捨ててしまっているかもしれない。

 

会いにもいかず、電話もせず、当たり障りのないメッセージを送信するだけの僕に、腹を立てているかもしれない。

 

それとも、僕のことは見切りをつけて、大本命の彼の関係を進展させているかもしれない。

 

じっとしていられなくなった。

 

僕は今日から変わったんだろ?

 

民ちゃんを裸にする夢まで見てしまったんだぞ?

 

食べかけの料理はそのままに、服を着替えコートを羽織った。

 

向かう先はもちろん、民ちゃんの部屋だ。

 

時刻は20時。

 

もう帰宅している頃だ。

 

 


 

~民~

 

 

(チャンミンさん...帰ってきてるといいんだけど...)

 

深呼吸したのち、エントランスドア前のパネルを操作した。

 

アパートから電車で3駅目、駅から駆けてきたから暑くてブルゾンは脱いでしまった。

 

『はい?』

 

応答したのがリアさんの声で、一瞬ひるんでしまう。

 

(訪ねてきても不自然じゃないよね。

チャンミンさんの弟(妹だっけ?どっちでもいいや)ってことになってたはずだから)

 

と、思い直した。

 

「民です。

...あの...チャンミンさんは...?」

 

『いないわよ』

 

チャンミンさんはリアさんと暮らしているんだから、リアさんが出てもおかしくない。

 

「...そうですか。

じゃあ、いいです。

約束なしで来た私が悪いので...」

 

チャンミンさんの顔を一目みたくて、衝動的にここまで来てしまったけど、リアさんのつっけんどんな言い方にその気持ちは一気にトーンダウンしてしまった。

 

「夜分遅くからすみませんでした」

 

がっくりと肩を落として立ち去ろうとした時、

 

『上がってらっしゃいよ。

あなたと話もしてみたかったし』

 

「でも...」

 

リアさんとしたいお話なんてないんだけどな。

 

幸せそうなリアさんの顔なんて見たくないんだけどな。

 

ここまで来てしまったけど、よく考えてみたら、チャンミンさんにはリアさんがいるんだった。

 

タッパーを返すのなんて、今すぐじゃなくてよいものの、どうしてもお礼の気持ちを伝えたかったから、ここまで来た。

 

でも...「美味しかったです」と伝えた後、どうすればいいんだろう。

 

『こんな意味ありげなこと、もうしないで下さい』って、言った方がいいんだろうな。

 

次から次へと思いが湧いてくる。

 

チャンミンさんの不在にようやく慣れかけてきた生活を、突如かき乱しにきたチャンミンの行動に腹がたってきた。

 

『早く、上がって来て』

 

リアさんに命じられ、私は断り切れずに『はい』と答えた。

 

足取り重く、エントランスの自動ドアが開いた先へと進んでいった。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

民ちゃんのアパートは、この角を曲がってコンビニエンスストアを2軒通り過ぎた先。

 

実際に歩いてみると、僕の部屋と民ちゃんの部屋とを隔てる距離の近さに、笑えた。

 

小走りだと5分もかからない。

 

こんなに近いのに、今日になるまで訪ねていかなかった僕も僕だ。

 

ストーカーまがいに近所に引っ越してきたりしてさ。

 

門扉を抜けて建物を見上げたが、民ちゃんの部屋は反対側で、明かりが灯っているかはここからは分からない。

 

3つ並んだドアの一番端が、民ちゃんの部屋だ。

 

「よかった...」

 

ドアノブにひっかけておいた紙袋がなくなっていた。

 

「ふう...」

 

緊張で早い鼓動をおさめようと息を整えた僕は、インターフォンのボタンを押す。

 

最初に何を言おうか。

 

「こんばんは」と挨拶して、「元気そうだね」と言って。

 

迷惑そうな顔をするかな。

 

それとも、「わあ、チャンミンさん」って笑ってくれるかな。

 

民ちゃんは部屋にあげてくれるかな...玄関先の会話で終わってしまうかもしれないな。

 

でもいいや、民ちゃんの顔が見られるなら。

 

こんな気持ち...10代以来じゃないだろうか。

 

民ちゃんを前にすると、僕は思春期に戻ってしまうのだ。

 

胸の鼓動はますます速くなっていくばかりで、僕は何度も深呼吸をした。

 

「?」

 

反応がない。

 

ドアの横の窓はバスルームのもので、室内に明かりが灯っているかどうかは確認できない。

 

一旦帰宅してから、また出かけたのだろうか。

 

もう一度、インターフォンを鳴らしたが、応答はない。

 

訪ねてきたのが僕だと知って、居留守を使っているんじゃないだろうな、とインターフォンのカメラのレンズを睨みつける。

 

民ちゃんは僕に会いたくなくても、今夜の僕は、何がなんでも民ちゃんに会うのだ。

 

待て。

 

訪ねていく前にまずは電話だろう?

 

初歩的なことに今になって気付いた。

 

秋半ばの夜、かじかむ指、緊張で震える指、民ちゃんのアドレスをタップする。

 

早鐘のように心臓は胸を叩く。

 

着信音が7回鳴ったところで、

 

『チャンミンさん?』と民ちゃんの声。

 

「......」

 

言葉が出てこなかった。

 

50日間、聞きたくてたまらなかった、女性のものにしては低い男のものにしては高い声だ。

 

ところが...。

 

『チャンミンさん!!』

 

民ちゃんの怒鳴り声に、僕は携帯電話を耳から離してしまった。

 

『どういうことですか!!!』

 

「...民ちゃん?」

 

民ちゃんが怒ってる。

 

会いたくないからさっさと帰れと、部屋の中から言っているのだろうか。

 

「ごめん...民ちゃんはどうしてるかな、と思って...」

 

『どうもこうもしてますよ!!!』

 

「急にごめんな...迷惑だったね。

すぐに帰るから」

 

民ちゃんは『帰るって?』と、きょとんとした言い方をしたから、外出中なんだろうと思った。

 

よかった。

 

「あっちいけ」と部屋の中から拒絶している訳じゃなかった。

 

「今、民ちゃんちの前にいるんだ」

 

『はあぁぁぁ?

なぜですか!』

 

「えっと...。

それは...」

 

照れや臆病さが前面に出そうになったが、ぐっと腹に力をこめた。

 

「...民ちゃんに会いたかったから」

 

すうっと息を吸う音が、耳元から聴こえる。

 

「民ちゃんに会いに来たんだ。

急でゴメン。

でも、今すぐ会いたかったんだ」

 

『......』

 

僕は固唾を飲んで、民ちゃんの返事を待つ。

 

「今から...会える、かな?

あ、でも出かけてるんだよね?

先約があるんだよね。

ごめん。

電話すればよかったね。

突然、ごめん。

ほら、民ちゃんと一緒に部屋を決めただろ。

だから、住所を知ってるんだ。

部屋まで来てごめん。

じゃ...帰るから。

ホントにゴメンな」

 

緊張を隠すため、僕は矢継ぎ早に謝罪と言い訳の言葉を重ねる。

 

『チャンミンさんの...』

 

押し殺したような民ちゃんの声。

 

「うん?」

 

『馬鹿!』

 

「!!!」

 

『チャンミンさんの馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!!』

 

民ちゃんが怒る理由がわからず、僕は彼女の大声にタジタジとなっていた。

 

『今すぐ帰りますから、そこに居てくださいよ!』

 

「う、うん」

 

『帰ったら駄目ですよ!』

 

「もちろん」

 

『一旦、切りますよ。

そこを動かないでくださいね』

 

「分かった」

 

民ちゃんの剣幕にタジタジだった。

 

民ちゃんの怒鳴り声は初めてだ。

 

乱暴な言い方なのに、可愛らしかった。

 

民ちゃんが何に腹を立てているのか、さっぱり分からなかったけれど、僕はほっと深く息を吐く。

 

「ふう...」

 

玄関ドアに付けた背中をずりずりと滑らせて、廊下に座り込んだ。

 

このため息は、さっきまでの不安をおさめるものじゃなくて、幸せに満ちた吐息だ。

 

 

僕の名前で君を呼ぶ

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