(1)添い寝屋

 

肌と肌が触れ合った瞬間に、世界一相性がいい相手だと悟る。

 

そんな経験をした。

 

比較できるほどの経験をしてきたわけじゃないけれど、絶対にそうだと確信したんだ。

 

恐らく...大げさな表現で言うと、一生に一度の。

 

 


 

 

よく晴れた日で、バルコニーに置いたベンチに枕を干した。

 

3人分の頭を預けられるくらいに大きな、特注の枕だ。

 

乾燥器のブザーが鳴った。

 

ほかほかに温かいダークブルー色の布団カバーとシーツを抱えて、寝室に運ぶ。

 

大の男が4人並んで寝られるほど巨大なベッドだから、ベッドメイキングに時間がかかってしまう。

 

掛け時計に目をやり、約束の時間まであと30分前なのに気付いた。

 

バルコニーに出しっぱなしの枕を取りに行こうとした時、玄関チャイムが鳴った。

 

インターフォンのディスプレイを確認して、思わず舌打ちをした。

 

予約が入っていたっけ?

 

最近の僕は疲労が溜まり過ぎていて、ボーっとすることが多く、頭がよく回らない。

 

だから、大事なアポイントメントを忘れていたんだろう。

 

スケジュールを確認する前に、スマホを操作して約束をキャンセルしなければと、メッセージを送信した。

 

インターフォン越しの相手に、穏やかに落ち着いた声音を意識して返答した。

 

「どうぞ。

お待ちしておりました」

 

僕はニットとデニムパンツ姿だったのを、パジャマに着替える。

 

湯船に湯を張り、バスジェルを注ぎ入れると、仕事の顔に切り替えた。

 

 


 

 

今日の客は、人形のように綺麗な顔をした男だった。

 

年齢は20代後半から30代前半のあたり。

 

いつもだったら「ついてる」と思うのに、すかすかに脳が疲れ切っていたせいで、その安堵レベルも低い。

 

「こちらへどうぞ」

 

大抵の客は、パジャマ姿で出迎える僕に驚く。

 

ところが、彼はほんのわずか眉を上げてみせただけだった。

 

上着とバッグを受け取り、客用ソファに座るよう促し、サービスのハーブティーを手渡すまでずっと、彼は無言のままだった。

 

彼は疲れ切っているようだった。

 

陶人形のような滑らかな白い肌は青ざめ、目の下には隈ができていた。

 

もう何日も眠っていないのだろう。

 

「ここ、ですか?」

 

ここに来て初めて彼は口を開き、部屋を見渡す。

 

マンションの2部屋をぶち抜いた広い寝室。

 

ベッドの四隅には天井までの支柱、薄紫色の透けた布を垂らしてある。

 

間接照明のみ、外光と外気をシャットアウトする分厚いカーテン、快適な温度を保つ高機能エアコン、そして空気清浄機。

 

ここは、僕の仕事場だ。

 

「はい、ここで寝ます。

シャワーを浴びますか?

身体を温めるといいですよ」

 

浴室から、湿り気を帯びたいい香り...リラックス効果の高いラベンダーの香りが漂ってきている。

 

「結構です。

シャワーなら先に浴びてきました」

 

と彼は首を振って答えた。

 

「そう...ですか」

 

何日も風呂に入っていないような薄汚い客も中にはいる。

 

毎日ベッドリネンを洗濯するようにしているけど、ベッドが汚れるのが嫌で、さりげなく入浴を勧めるようにしていた。

 

「リラックスできますよ」と誤魔化して。

 

「チャンミンさんと呼べばいいですか?」

 

「呼び捨てで構いません」と答えた。

 

予約サイトには僕の名前も顔写真も掲載されている。

 

「あなたは?」と問うと、彼はちょっと驚いた顔をしていた。

 

予約一覧画面を確認していなかったため、今日の客の名前は分からない状態だったから。

 

「ユノと呼んでください」

 

「ユノさん、ですね」と言ったら、「呼び捨てにしてください」と答えた。

 

そう要望する客は少なくないから、「わかりました」と営業用の笑顔をみせた。

 

「着替えはこちらでどうぞ」

 

部屋の隅のパーテーションを手で示した。

 

客にもくつろいだ格好をしてもらうのだ、例えばパジャマに。

 

だってここは、眠るための部屋なのだから。

 

客は僕と一緒に眠るために、僕の時間を買う。

 

僕の職業は、添い寝屋。

 

客とひとつベッドで眠る仕事だ。

 

不眠症の客の不安や緊張を解き、眠りにいざなってやれるなんて専門的な知識や技は必要ない。

 

それが出来れば理想的だけど、僕は精神科医でもカウンセラーでもないから。

 

ただ添い寝をしてあげるだけ。

 

ベッドに入った途端、即行寝付いてしまう客もいれば、朝方まで一睡もしない客もいる。

 

いびきや寝言がひどい客もいるけれど、うるさくて眠れなくても僕は平気だ。

 

同業者の中には、いつ客が目覚めてもいいように絶対に眠らない者もいる。

 

深夜目覚めたら、雇った添い寝屋がぐうぐう寝てたりしたら興ざめだ。

 

「安心して、お眠りなさい」と背中を撫ぜてやったり、ホットミルクを勧めてあげたりね。

 

あいにく僕はそこまでのサービスはしない。

 

僕のスタイルは、隣に横たわるだけ。

 

眠い時は客に構わず眠ってしまう。

 

寝顔を見せることも、添い寝屋の仕事なんだと僕は考えているから。

 

僕は、客の隣で数時間、寄り添い眠る身体を売っている。

 

ひとことで言ってしまえば、僕の仕事は性交渉のない風俗のようなものだ。

 

もしくは、寝心地のよい寝床を提供するホテルのようなもの。

 

僕が贅沢な部屋に暮らしていけるのも、報酬が非常にいいからだ。

 

ひと晩で、コンビニのアルバイト50時間分位が相場かな。

 

いろんな客がいる。

 

目の前で裸になって抱いてくれと泣き出す女や、いきなり僕の股間に顔を埋めてきた老人もいた。

 

客を抱きしめてやることはするけど、その以上のことは丁重にお断りしている。

 

僕にその気があれば、追加料金でサービスをしてあげてもよかったんだけどね。

 

だって、客が女だろうと今日の客みたいに美青年だろうと、僕の下半身はピクリとも反応しないんだから。

 

僕のあそこは『不能』なんだ。

 

なぜそうなってしまったかは、話が長くなるのでこの場での説明は省略する。

 

不能ゆえに僕は、性欲に振り回されることなく、ゆとりある心持で添い寝屋という仕事に集中できる。

 

「チャンミン」

 

呼ばれて振り返ると、ユノがパジャマ姿で立っていた。

 

さっきまでの革のコートに革パン姿の男らしい恰好とのギャップが大きい。

 

顔のパーツひとつひとつが、ちんまり整っていて、ますます人形のように綺麗な男だ、と見惚れた。

 

 

(つづく)

 

 

[maxbutton id=”28″ ]

[maxbutton id=”25″ ]

[maxbutton id=”23″ ]

[maxbutton id=”2″ ]