(2)添い寝屋

 

 

客をベッドにいざなう前に必ず、口にする台詞。

 

「この部屋には防犯カメラがあります」

 

僕に悪さをしようと思っても無駄ですよ、と言外に警告しておくのだ。

 

いろいろな客がいるからね。

 

ユノはふっと口元に笑いを浮かべただけで、部屋の中央に鎮座したベッドへ直行した。

 

ユノという客は、青ざめてやつれた感じがするのに、態度だけは余裕がある。

 

僕は部屋の照明を落として、フットライトだけにする。

 

「さすがですね。

いいマットレスを使っているね」

 

ぽんぽんとお尻を弾ませるユノの子供っぽい仕草に、僕の口元にも笑みが浮かぶ。

 

スウェットの上下かなぁ、と予想していたから、ピンク地にグレーのストライプ柄のパジャマは意外で、ユノの白い肌によく似合っていた。

 

横たわったユノの隣に、僕も身体を滑り込ませる。

 

客には何も質問しない。

 

僕は相づちを打つだけ。

 

天日干しした枕からは、お陽さまの匂いがする。

 

身体のこわばりが解け、ほっこりとくつろげて眠りを誘う匂い。

 

サイドテーブルに置いた加湿器から、ハーブの香りのするミストがしゅわしゅわと噴き出ている。

 

僕らは枕に後頭部を預け、揃って天井を見上げていた。

 

「チャンミン」

「はい」

 

高いのとも低いのともどちらとも言えない、不思議な声音だ。

 

「この仕事は、長いの?」

 

「まだ数年くらいです」

 

「始めたきっかけは?」

 

お決まりの質問だ。

 

そのために用意している回答は、「稼げます、沢山」だ。

 

でも今夜の客、ユノには本当のことを言ってもいいかなと、なぜか思った。

 

「寂しがり屋なんです。

一人で眠るのが寂しくて...」

 

「それで、『添い寝屋』に?」

 

「そんなところです。

赤の他人であっても、隣に誰かがいてくれると安心して眠れるのです」

 

「添い寝屋が客そっちのけで寝ちゃうのか」

 

「はい」

 

「恋人は?

こんな仕事してて大丈夫なの?

女の客もいるだろうに?」

 

「いません。

僕はその...そっち方面で満足させてあげられないのです」

 

こんな僕の秘密まで、差し出してしまうなんて。

 

「そっか...」

 

頭はそのままに視線だけを横に向けたら、ユノの顔が間近にあってドキリとした。

 

ぎりぎりまで落とした照明の元であっても、わずかな光を集めたユノの眼が、瞬きのない光を放っていた。

 

ユノは黙ってしまった。

 

僕は掛け布団から出した手を滑らして、生地のたてるさらさら布擦れの音に耳をすましていた。

 

「抱いてもいいか?」

 

「え!?」

 

ユノの言葉に、僕はばっと半身を起こす。

 

「あの、僕はお客とは寝ない主義なんです。

寝るっていうのは...その...」

 

「セックスのことだろ?

ははは、安心して。

そういう意味じゃないよ。

後ろから抱きついていいか、って言う意味」

 

「ああ...なんだ」

 

ユノは余裕たっぷりな微笑みを浮かべて、動揺する僕をじっと見つめている。

 

「安心した?

それとも、残念、って思った?」

 

「え...えっと...」

 

今日の客は...ユノは...僕の調子を狂わせる。

 

ユノのペースにのせらせそうだった。

 

「追加料金を払えば、触ってもいいのか?」

 

そう言えば、いつのまにか敬語じゃなくなっていた。

 

「触るのは構いませんけど...つまらないですよ。

反応しませんから」

 

僕はシーツと掛け布団の間に、再び横たわる。

 

「じゃあ遠慮なく」

 

そう言ってユノは、横向きに寝た僕に沿うように身体を密着させてきた。

 

添い寝屋の仕事は、客との肉体的な接触を厭わずに受け入れられる覚悟が、肝心要なのだ。

 

鼻が曲がりそうに口が臭い者でも、醜い容姿の者でも、老若男女問わず。

 

だけど、もの凄い美人だったりする日は、「ラッキー」と思うけど、僕の場合はその程度。

 

僕の肩に押し付けられた美しい寝顔に見惚れる時もあるにはある。

 

 

僕の中には、「欲」がない。

 

腰の奥がうずく「それ」がない。

 

足首をもって逆さに振っても、お腹に手を突っ込んで探っても、「ない」。

 

醒めてる男だなぁ、と寂しく思う。

 

風がなくさざ波のたっていない湖面みたいに、しんと静まり返っている。

 

欲に汚されていないその水は怖いくらいに透明過ぎて、生き物一匹棲んでいないんだ。

 

そう。

楽だけど、寂しい。

 

かつてはあった、熱い痺れを取り戻したいなぁ、と思う今日この頃なんだ。

 

ユノは背後から回した腕を、僕の腹の上で組んだ。

 

ユノのお腹で温められた背中がポカポカする。

 

ユノの呼吸に合わせて上下する胸に、僕もリズムを合わせて吸って吐いた。

 

「チャンミンはいい匂いがするね」

 

「シャ、シャンプーかな...それとも、石鹸かな」

 

どぎまぎした僕は、どもってしまった。

 

「違うな...そういう類の匂いじゃない。

これは...」

 

「あ...」

 

ユノの鼻先が肌に押し当てられすうっと吸い込むから、ぶるりとそこが粟立った。

 

なんだろ...これ?

 

「チャンミンの肌の匂いかな...」

 

僕の髪に鼻先を埋めたまま喋るから、くすぐったいったら。

 

「あのっ...僕のことは放っておいて、早く寝てください」

 

「ははっ、悪かった。

チャンミンに添い寝してもらうんだったな。

そうだ、俺は客だった」

 

添い寝屋が客に動揺させられて、どうするんだ。

 

それにしても...背中が熱い。

 

なんでだろ...これ。

 

感覚の正体を探っていたら...。

 

「あぁっ!!!」

 

飛び起きた僕は、身体を一回転させてベッドから飛び下りた。

 

「触らないで下さい!」

 

僕が慌てたのは、ユノの手がパジャマの下に忍んできたからだ。

 

肘枕をしたニヤニヤ笑いのユノを睨みつけた。

 

『帰ってください』とドアを指させばいいことだった。

 

でも、そのつもりが全然なかった理由はみっつ。

 

ひとつ目は、ユノという客がとても綺麗な人だったから。

 

ユノの手の平が裸の腹に触れた時、そこから電流が流れたみたいに痺れたんだ。

 

その正体に興味があったのがふたつ目。

 

ユノは客なのに、彼のペースにすっかりのせられるなんて、悔しかった。

 

添い寝屋のプライドにかけて、僕のペースに戻してやりたかったのがみっつ目だ。

 

 

(つづく)

 

 

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