肌と肌が触れ合った瞬間に、世界一相性がいい相手だと悟る。
そんな経験をした。
比較できるほどの経験をしてきたわけじゃないけれど、絶対にそうだと確信したんだ。
恐らく...大げさな表現で言うと、一生に一度の。
よく晴れた日で、バルコニーに置いたベンチに枕を干した。
3人分の頭を預けられるくらいに大きな、特注の枕だ。
乾燥器のブザーが鳴った。
ほかほかに温かいダークブルー色の布団カバーとシーツを抱えて、寝室に運ぶ。
大の男が4人並んで寝られるほど巨大なベッドだから、ベッドメイキングに時間がかかってしまう。
掛け時計に目をやり、約束の時間まであと30分前なのに気付いた。
バルコニーに出しっぱなしの枕を取りに行こうとした時、玄関チャイムが鳴った。
インターフォンのディスプレイを確認して、思わず舌打ちをした。
予約が入っていたっけ?
最近の僕は疲労が溜まり過ぎていて、ボーっとすることが多く、頭がよく回らない。
だから、大事なアポイントメントを忘れていたんだろう。
スケジュールを確認する前に、スマホを操作して約束をキャンセルしなければと、メッセージを送信した。
インターフォン越しの相手に、穏やかに落ち着いた声音を意識して返答した。
「どうぞ。
お待ちしておりました」
僕はニットとデニムパンツ姿だったのを、パジャマに着替える。
湯船に湯を張り、バスジェルを注ぎ入れると、仕事の顔に切り替えた。
今日の客は、人形のように綺麗な顔をした男だった。
年齢は20代後半から30代前半のあたり。
いつもだったら「ついてる」と思うのに、すかすかに脳が疲れ切っていたせいで、その安堵レベルも低い。
「こちらへどうぞ」
大抵の客は、パジャマ姿で出迎える僕に驚く。
ところが、彼はほんのわずか眉を上げてみせただけだった。
上着とバッグを受け取り、客用ソファに座るよう促し、サービスのハーブティーを手渡すまでずっと、彼は無言のままだった。
彼は疲れ切っているようだった。
陶人形のような滑らかな白い肌は青ざめ、目の下には隈ができていた。
もう何日も眠っていないのだろう。
「ここ、ですか?」
ここに来て初めて彼は口を開き、部屋を見渡す。
マンションの2部屋をぶち抜いた広い寝室。
ベッドの四隅には天井までの支柱、薄紫色の透けた布を垂らしてある。
間接照明のみ、外光と外気をシャットアウトする分厚いカーテン、快適な温度を保つ高機能エアコン、そして空気清浄機。
ここは、僕の仕事場だ。
「はい、ここで寝ます。
シャワーを浴びますか?
身体を温めるといいですよ」
浴室から、湿り気を帯びたいい香り...リラックス効果の高いラベンダーの香りが漂ってきている。
「結構です。
シャワーなら先に浴びてきました」
と彼は首を振って答えた。
「そう...ですか」
何日も風呂に入っていないような薄汚い客も中にはいる。
毎日ベッドリネンを洗濯するようにしているけど、ベッドが汚れるのが嫌で、さりげなく入浴を勧めるようにしていた。
「リラックスできますよ」と誤魔化して。
「チャンミンさんと呼べばいいですか?」
「呼び捨てで構いません」と答えた。
予約サイトには僕の名前も顔写真も掲載されている。
「あなたは?」と問うと、彼はちょっと驚いた顔をしていた。
予約一覧画面を確認していなかったため、今日の客の名前は分からない状態だったから。
「ユノと呼んでください」
「ユノさん、ですね」と言ったら、「呼び捨てにしてください」と答えた。
そう要望する客は少なくないから、「わかりました」と営業用の笑顔をみせた。
「着替えはこちらでどうぞ」
部屋の隅のパーテーションを手で示した。
客にもくつろいだ格好をしてもらうのだ、例えばパジャマに。
だってここは、眠るための部屋なのだから。
客は僕と一緒に眠るために、僕の時間を買う。
僕の職業は、添い寝屋。
客とひとつベッドで眠る仕事だ。
不眠症の客の不安や緊張を解き、眠りにいざなってやれるなんて専門的な知識や技は必要ない。
それが出来れば理想的だけど、僕は精神科医でもカウンセラーでもないから。
ただ添い寝をしてあげるだけ。
ベッドに入った途端、即行寝付いてしまう客もいれば、朝方まで一睡もしない客もいる。
いびきや寝言がひどい客もいるけれど、うるさくて眠れなくても僕は平気だ。
同業者の中には、いつ客が目覚めてもいいように絶対に眠らない者もいる。
深夜目覚めたら、雇った添い寝屋がぐうぐう寝てたりしたら興ざめだ。
「安心して、お眠りなさい」と背中を撫ぜてやったり、ホットミルクを勧めてあげたりね。
あいにく僕はそこまでのサービスはしない。
僕のスタイルは、隣に横たわるだけ。
眠い時は客に構わず眠ってしまう。
寝顔を見せることも、添い寝屋の仕事なんだと僕は考えているから。
僕は、客の隣で数時間、寄り添い眠る身体を売っている。
ひとことで言ってしまえば、僕の仕事は性交渉のない風俗のようなものだ。
もしくは、寝心地のよい寝床を提供するホテルのようなもの。
僕が贅沢な部屋に暮らしていけるのも、報酬が非常にいいからだ。
ひと晩で、コンビニのアルバイト50時間分位が相場かな。
いろんな客がいる。
目の前で裸になって抱いてくれと泣き出す女や、いきなり僕の股間に顔を埋めてきた老人もいた。
客を抱きしめてやることはするけど、その以上のことは丁重にお断りしている。
僕にその気があれば、追加料金でサービスをしてあげてもよかったんだけどね。
だって、客が女だろうと今日の客みたいに美青年だろうと、僕の下半身はピクリとも反応しないんだから。
僕のあそこは『不能』なんだ。
なぜそうなってしまったかは、話が長くなるのでこの場での説明は省略する。
不能ゆえに僕は、性欲に振り回されることなく、ゆとりある心持で添い寝屋という仕事に集中できる。
「チャンミン」
呼ばれて振り返ると、ユノがパジャマ姿で立っていた。
さっきまでの革のコートに革パン姿の男らしい恰好とのギャップが大きい。
顔のパーツひとつひとつが、ちんまり整っていて、ますます人形のように綺麗な男だ、と見惚れた。
(つづく)
[maxbutton id=”28″ ]
[maxbutton id=”25″ ]
[maxbutton id=”23″ ]
[maxbutton id=”2″ ]