(3)添い寝屋

 

 

「触って欲しそうだったから、さ」

 

ユノはくすくす笑っている。

 

からかわれたと知ってむっとした僕に、ユノは「ごめんごめん」と謝って、掛布団を持ち上げた。

 

挙動がおかしい客には慣れているはず、いちいち動揺していたら添い寝屋は務まらない。

 

「触ってもいいですけど、変なことはしないで下さいよ」

 

ベッドに上がって、再びユノの隣に横たわる。

 

「変なことって、例えばこういうこと?」

 

「わぁっ!」

 

ズボンのウエストに差し込まれたユノの手首を、つかんで制した。

 

「だからっ!

“こういうこと”は、本当に困るんです」

 

「どうして?」

 

頭だけひねって、背後にいるユノを睨みつけた。

 

「どうして、って...」

 

僕は確かに、勃起できない『不能者』だ。

 

それどころか、僕の身体は冷えたままで、ムラムラすることもない。

 

けれども、ユノの手が僕の素肌に触れたとき、吸い付くような感じと触れられた箇所がじんと痺れた。

 

久方ぶりの感覚に、まるで神経を直接触られたみたいに刺激が強くて、痛みを覚えるくらいだった。

 

鼓動は早くなって、うなじのあたりがじとりと汗が浮かぶ。

 

この感覚は『むらむら』とは違う...変なの。

 

パニックを起こした身体を、どう扱ったらいいか分からない。

 

「添い寝屋さん、早く仕事に戻ってくださいな」

 

ユノの眼からは、さっきまでの面白がる色は消えて、しんと静まり返った冷めたものになっていた。

 

吸い込まれてしまったら、二度と浮上できないのではと恐怖を覚えるほどの。

 

暗くて、真っ黒な瞳の湖に。

 

それにしても...ユノという客...全くもって、やりにくい。

 

やりにくいけど...。

 

照明をぎりぎりまで絞っているここでは、はっきり顔色は確かめられない。

 

でも濃い影が顔面の凹凸を際立たせていて、落ちくぼんだ上瞼やそげた頬があからさまになっていた。

 

それでも、ユノは綺麗な顔をしていた。

 

シャワーを浴びてきたばかりと言った通り、ユノからは嫌な臭いはしない。

 

しないどころか、無臭だった。

 

疲れ切っている者は大抵、疲労臭を漂わせているものだ。

 

彼らの疲れを癒してやることは出来なくても、破裂しそうに溜まったタンクの蛇口を少しだけひねって、その水量を少しだけ減らしてやる。

 

僕が解釈している『添い寝屋』の仕事は、その程度のものだ。

 

それ以上踏み込んで、彼らの悩みや苦痛を取り除いてやろうと意気込んだら、100%僕はつぶれてしまう。

 

過去にそれをやって、大変な目に遭ったから。

 

ユノには打ち明けていないことは、沢山ある。

 

僕が添い寝屋を始めたきっかけもそうだし、客との距離感をドライな位にとる理由も。

 

客であるユノ相手に、赤裸々に語る必要はないんだけどね。

 

「ふぅ」

 

気持ちを切り替えるために、深呼吸をした。

 

さて、仕事にとりかかりますか。

 

 


 

 

僕とユノは、ひとつの枕に二つの頭を乗せて、顔と顔を30センチの距離で向かい合わせにしている。

 

「ユノは...不眠症なのですか?」

 

僕の質問に、ぴくりともしないユノの口元。

 

おかしいな、大抵の客はこの質問に揺らぐのに。

 

不眠具合を具体的に挙げたり、なぜ不眠なのかの自己分析を語りだしたりするのに。

 

「チャンミンは、不眠症?」

 

低いのに女性的な柔らかな声音で、ユノは僕に尋ねた。

 

「いいえ。

僕はいつでもどこでも、ぐっすり眠れます」

 

「ふぅん、そりゃ幸せ者だ」

 

ユノの答えに、「ふむ、ユノは眠れないのだな」と僕は解釈した。

 

「...食事は...とれていますか?」

 

ここに訪れた時のユノの立ち姿に、まるで作り物のようだと感じてしまったのは、恐ろしいほど全身のバランスがよかったからだ。

 

革のコートも、革のパンツも身体のラインをそのまま拾う細身のもので、スタイル抜群。

 

高身長な者はいくらでもいるけど、ユノの場合は頭がぎゅっと小さい。

 

僕の目前で、枕に片頬を埋めた、僕のこぶしくらいしかないんじゃないかと、怖くなるくらい小さな頭。

 

ユノの全身が、削れる部分は全部、身を削っているみたいで痛々しく見えたんだ。

 

だから、「食事はとれていますか?」と質問した。

 

大きさを確かめてみたくなって、ユノの頬を包んでいた、気付いたら。

 

僕の突然の行動に、ユノの頬がぴくりと震えた。

 

「すみません...」

 

手を引っ込めようとしたら、ユノに手首をつかまれた。

 

「このまま...このまま、触っていて」

 

「は、はい...」

 

僕の手首を包み込んだ、ユノの乾いた手の平や、力強い指の圧力...それから、熱いくらいの体温。

 

「あの...風邪でもひいているのですか?

...その、手が熱いです...それから、顔も」

 

僕の手首がじんじんする。

 

「体温が高い方なのかな?

風邪じゃないから、安心して。

チャンミンに伝染す心配はない」

 

「消化のよいものでも、食べますか?

お粥を作ってきましょうか?」

 

弱った風のユノを、栄養で満たしてあげたくなった。

 

冷凍したご飯があったはず、卵もネギもあったはず...と、ベッドを出ようと身を起こした瞬間、

 

「わっ!」

 

力いっぱい引き寄せられて、ユノに抱きとめられた。

 

ぴたりとユノの身体と密着した僕の背中が熱い...。

 

「飯を食いにここに来たんじゃないんだ。

チャンミンは『添い寝屋』なんだろ?

今は俺に添い寝してくれ」

 

「はい」

 

「それから...俺と話をしよう」

 

「はなし...」

 

ユノの熱い吐息が僕の首筋にかかる。

 

「俺の話をきいてくれればいい。

チャンミンのことも...話せる範囲でいいから、話して」

 

客相手に、自分の身の上話なんてしない。

 

したとしても、僕は「架空の僕」の話をする。

 

リアルな話をするわけないじゃないか。

 

客が望む「添い寝屋のチャンミン」の身の上話を、適当にでっち上げて話してあげる。

 

そうすると客は、気心がしれたと安心してくれる。

 

「分かりました。

でも、変な質問には答えませんよ?」

 

「それって、反応しないブツのことをか?」

 

「...うるさいですね。

僕のが勃とうが、勃たまいが、ユノには関係ないでしょ?」

 

打ち明けるんじゃなかったと、後悔した。

 

「関係あるかもよ?」

 

「なっ!」

 

「ははは。

話がそれてしまったね。

チャンミンの勃起障害については、脇に置いておこう」

 

「......」

 

「チャンミンが指摘した通りだ。

身体がかっかと熱い」

 

そういえば革コートの下が、半袖のTシャツ1枚きりだった。

 

「熱くて熱くて、俺は眠れないんだ」

 

「なにかに...興奮しているのですか?」

 

「さあ...。

熱を冷ましたくて、いろいろ試してみたんだけどね。

発散すればいいのかな、とか」

 

発散って、何をするんだろう...?

 

僕の首筋にユノは唇を押し当てた(この柔らかさは、唇にきまってる!)。

 

あからさまにビクッとしたのは、やっぱり、じんと肌が痺れたせい。

 

ぎゅっと手をにぎって、その痺れをやり過ごす。

 

身体を硬直させた僕に、ユノはふふっと微笑した。

 

「なあ、チャンミン?」

 

「...はい」

 

「気付いてるんだろ?」

 

「......」

 

「俺の身体が熱いのは、その通りだけど。

それだけじゃないんだってこと...。

わかってるんだろ?」

 

「......」

 

「チャンミンが冷たすぎるんだ。

こんなに氷みたいな手をして...」

 

背後から回されたユノの大きな手が、僕のこぶしを包み込んだ。

 

「......」

 

「冷え切った身体をしてさ」

 

「......」

 

「寒いわけじゃないんだよな?」

 

僕は頷いた。

 

「どうしてなのかは、無理に訊き出さないよ」

 

ほっと息を吐いたら、「今のところはな」とユノは笑う。

 

「ユノこそっ...!

風邪でもないのに、どうして熱いんですか?

異常ですよ、この体温は!」

 

「...眠れないだ」

 

やっぱり、と思った。

 

「眠れない日を重ねるごとに、俺の身体は火照っていく」

 

「そう...ですか...」

 

「常に微熱状態なんだ。

不快なものだよ」

 

「辛いですね」

 

火照る感じなんて忘れてしまった僕は、相づちを打つしかでいない。

 

「俺はかれこれ、丸5年眠っていない」

 

「ええぇぇっ!!」

 

筋金入りの不眠症が僕の元にやってきた。

 

(つづく)

 

 

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