(4)添い寝屋

 

人間というのは、5年間も眠らずに生きていられるものなのだろうか。

 

「大袈裟に言ってると思っただろう?」

 

僕の考えを見越して、ユノはそう言うとニヤリと唇の片端を持ち上げた。

 

「自分でも気づかないうちに、うたた寝でもしているんじゃないですか?」

 

「そうだなぁ、うたた寝くらいはしているかもしれないね。

俺んちすべてにカメラを仕掛けてみたんだ。

寝室は当然、風呂場にもトイレにも。

3日間、家を出ずにカメラで監視してみた」

 

「それで?」

 

「ずっと起きてた。

客がしょっちゅう訪ねて来て、その相手で忙しかった」

 

ユノは社交的なキャラクターみたいだ。

 

独りぽつねんと生きている僕とは真逆だ。

 

「氷を抱いているみたいだ。

こんなんで客からクレームがつかないか?」

 

ユノは僕を抱き直し、カイロのように熱を発する裸足の足を、僕のふくらはぎに絡ませた。

 

太ももにかけてびりっと電流が流れる。

 

「...結局、添い寝屋の役目は客の話を聞くことです。

彼らは悩みを打ち明けたくて仕方がないのです。

自分のことで精一杯なのです。

悶々と眠れない人は、概して火照った身体をしています」

 

僕はここで言葉をきり、ユノを振り返る。

 

ほんのわずかだけ、ユノがぎくり、とした気がした。

 

底なしの湖のような瞳にさざ波がたったように見えた。

 

「ユノはなぜ、火のように熱い身体をしているのですか?

寂しさや怒り、不安を抱えた人たちが、僕のところにやってきます。

幸福な人が、そもそも添い寝屋を雇ったりしません」

 

「客たちの不幸にまみれてばかりいて、チャンミンの方こそ、一緒になって不幸に沈んでしまったりはしないのか?」

 

「どうでしょう...。

僕の場合、そういうのはありません。

底なしなんです、きっと。

北極の氷なんです。

ヤカンで沸かしたお湯をかけられた程度で、僕の冷えた身体を温めることはできません」

 

客が抱える問題に、踏み込まないようにしていた。

 

「それは辛いですね」と相づちを打つか、無責任で月並みなアドバイスを口にするくらい。

 

それでも不満そうだったら、「お眠りなさい」と毛布でくるんでやるのだ。

 

ところが、ユノの場合はもう一歩、彼の心に踏み込みたくなった。

 

熾火のように火照った身体を持て余し、げっそりとやつれていて気の毒だった。

 

心配と同情もしたけど、それ以上に、ユノに興味があった。

薄幸の美人...ユノは過去に何があったんだろう、と。

 

ユノがさりげなく話を反らしたことに気付いていた僕は、話題を戻す。

 

「眠れなくなったきっかけは何ですか?」

 

「チャンミンに俺の熱を分けてやれたらいいのにな」

 

「話を反らさないでください」

 

「交換条件でいこう」

 

「交換条件!?」

 

「教えてあげるから、チャンミンの方も氷の身体になった理由を話して?」

 

「うー...」

 

やっぱりユノは、面倒くさい客だ。

 

「...いいですけど」

 

「もうひとつ条件がある」

 

「何ですか?」

 

「俺をまともな身体に戻してくれ」

 

「それは!

僕の仕事の範疇じゃないです」

 

「代わりに、冷血人間チャンミンを普通に戻してやるよ」

 

「はあ?」

 

「ついでに、チャンミンの勃起障害も戻してやる」

 

ユノの言うことは出鱈目で、滅茶苦茶だ。

 

全然期待してなかったけど、面白そうだったから同意した。

 

「難題ですよ?

ふふふ」

 

「俺の方も、難題だぞ?」

 

 

 

おかしな展開になってしまったけど、ワクワクする。

 

防音対策ばっちりなこの寝室は、しんと静まり返っている。

 

僕の首筋を温め湿らせる、ユノの吐息の音と、うるさいくらいに打つ僕の鼓動の音だけ。

 

「触っていい?」

 

僕は思いっきり顔をしかめて、「駄目です」と答えた。

 

ここに来てからユノは、何かと僕に触ろうとする(ハグしている時点で、十分密着してるんだけどね)。

 

パジャマの裾から忍んできたユノの手の甲を、ぴしゃりと叩いた。

 

「脱いで?」

 

「な、何を言うんですか!?

“そういう”のは無しだって、最初に言ったでしょう?」

 

「ケチ」

 

「さっさと寝て下さい...あ、眠れないんでしたね。

5年ですからねぇ...。

僕じゃ手に負えませんって」

 

「熱を冷ませば、眠れるかも。

だから、脱いで?」

 

「イヤです」

 

「パジャマが邪魔だろ?

俺は熱いし、チャンミンは冷たいし。

裸になった方が、効率がいいだろ?

チャンミンはきっと、冷たくて気持ちがいいだろうなぁ?」

 

「僕は男の人と、裸で“そういうこと”をする趣味はないんです」

 

「“そういうこと”するとは、一言も言っていないぞ?

ただ、裸になってチャンミンにくっつきたいの。

...やっぱり、ホントは俺と“そういうこと”をしたいんだろ?」

 

「したくありません!」

 

「ムキになっちゃって...可愛い添い寝屋さんだなぁ」

 

「あ...!」

 

「可愛い」と言われてムカッとしてたら、その隙をついて僕の下腹にユノの手が。

 

「ちょっ!」

 

「...へそに毛が生えてる...」

 

ユノの指がこそこそと、おへその周囲をくすぐるから、身をくねらすと、僕の胴に巻き付いたユノの腕に力がこもる。

 

「は、恥ずかしいことをいちいち口にしないで下さい!」

 

「下も触っていい?」

 

「駄目に決まってるでしょう!?」

 

肘鉄を軽く食らわせたら、ユノの指の動きは止まった。

 

「チャンミン、じゃんけんしよう?」

 

「何ですか?」

 

話題をころころと変えてくるユノに、僕はついていくのに必死だ。

 

「いいからいいから。

じゃーんけん」

 

僕の脇から通したユノがこぶしを握って、上下に揺すっている。

 

仕方がないなぁ、と付き合ってあげることにした。

 

「じゃーんけん、ポン」

 

僕はチョキ、ユノはぐー。

 

「これで決まり。

チャンミンが先に、悩み事を打ち明けること。

チャンミンのブツが使い物にならなくなった話を聞かせて?」

 

「...僕のは使い物にならないんじゃなくて、もっと深刻です」

 

「それは何?」

 

「性欲そのものがないんです。

ムラムラっとすることがないんです。

さっきからユノが触ってきましたよね?

僕にとってはくすぐったいだけなんです。

僕を触るのが、男の手だという理由もあるでしょうが」

 

本当は、感電したみたいに肌が痺れたことは黙っていた。

 

きっと、もっとふざけて触ってくるに違いないから。

 

「性欲がなければ、添い寝屋するのに都合がよさそうだけど。

チャンミンが自覚していないだけで、欲求不満がじわじわ溜まっているのかもしれないぞ?」

 

「そうかもしれません。

僕の身体は冷える一方です。

性欲だけじゃなく、他の欲も冷えていくでしょうね、そのうち」

 

「食欲は?」

 

「あります。

3人前が基本です」

 

「やせの大食いだな。

じゃあ、睡眠欲は?」

 

「あります。

寝すぎるところはありますね。

毎日18時間は寝ています」

 

「寝すぎだろう?」

 

「残りの6時間が仕事時間です。

一緒になって寝ちゃうことも多々ありますが...」

 

「物欲は?」

 

「人並みだと思います。

最近の買い物と言えば...浴室をリフォームしました。

家の中を整えるのが趣味ですね。

この布団カバー、いいでしょう?

深い紺色が、落ち着けます。

いい生地を使ってるんですよ」

 

おっと、いけない。

 

自分のことをぺらぺらと喋り過ぎてしまったと、口を押えた。

 

「性欲と睡眠欲以外は、普通っぽいなぁ」

 

「確かにそうですね...」

 

現状と問題点を実際に声に出して挙げてみると、考えが整理されて楽になったみたいだ。

 

頭の中で考えているだけだと、解決できそうにない深刻な問題だと思い込んでいたものが、実はたいしたことなかったり、いの一番に取り掛かるべきことが明確になる。

 

「それでチャンミンは、性欲を取り戻したいと?」

 

「...そういうことになりますね。

ムラムラが戻ったら、添い寝屋はやりにくくなりますね」

 

「そんなことないさ。

“そっち方面”のオプションサービス付きの添い寝屋になればいいだけさ」

 

「なるほど...」

 

「ということで、俺もそろそろ仕事に取り掛かることとするよ」

 

ユノの言葉の意味が理解できず、首を傾げた。

 

 

「俺も『添い寝屋』だ」

 

「!!!!」

 

「チャンミンが予約した『添い寝屋』は俺だ」

 

「え...え...えっと...」

 

「予約は17:30。

5日間貸し切りの出張コース。

何でもありのプレミアムコース」

 

「え...え...えっと...」

 

「キャンセルメールが届いたけど、無視した。

玄関ドアまで来てたし、無視した」

 

「...え...っと...えっと...」

 

「オプションサービスも確かに承っているよ。

俺に任せろ」

 

ユノは親指を立て、にかっと笑った。

 

えええーーー!!!

 

 

(つづく)

 

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