~ユノ32歳~
俺は女性だけを描く画家だ。
どの作品にもモデルがいて、直近では妻Bを描いていた。
俺は少し前まで美術系専門学校で講師を務めており、そこで事務員をしていたBと知り合った。
Bは二重まぶたの大きな目をした美人で、その目が少し離れ気味なのが魅力だった。
長時間アトリエで向き合っていれば、恋愛感情が湧くのは当然の流れ。
1年半の交際期間を経て、俺たちは夫婦の関係となった。
チャンミンを初めて目にした時、当然だが「さすが姉弟、似ている」と思った。
ほっそりとした体つきも似ていた。
ただし、陽性な性格と雰囲気をもつBに対して、チャンミンは根暗な雰囲気で、じとりと湿度の高い眼の持ち主だった。
陰気な眼で睨まれて、確かにいい気はしない。
けれども白目と黒目の境がくっきりと綺麗で、その濁りのなさにハッとさせられた。
俺をガンつけるのは、悪ぶって見せたがる子供らしい反抗心に過ぎない。
だから今のところ嫌われてはいるが、神経質に気にする必要ないな、と。
女性しか描かない俺がチャンミンを抜擢したのは、彼の中に女性的な華奢さを感じ取ったのが理由だ。
それがどこからくるのかは、現段階では説明できない。
披露宴の日、人混みから距離を置き、ラウンジの壁にもたれて俺を見ていた。
急に手足が伸びた証しとして、ブレザーから手くるぶしが覗いていた。
俺は頭の中でデッサンを始めていて、くるぶし骨が作る影を寝かせた鉛筆で塗りつぶしていた。
俺を嫌っていながら、ずいぶん熱心に俺を見るんだな。
未だ15歳というから、曖昧な...デッサン過程にある...姿形。
どんな姿に成長していくのか興味があった。
きっと、一か月後にはまた違った顔をしているだろう。
俺の隣で招待客たちに笑顔振りまく愛しいBと、血が繋がっているのか...。
この点も、俺の好奇心に拍車をかけた。
そんなことよりも!
ぞくりと背筋に寒気がたつほどの美少年っぷりに、絵筆をもってその美しさを再現してみたくてたまらなかったのだ。
・
「ユノさん!
ごめんなさいねぇ、チャンミンは未だ帰ってきてないの。
もうすぐだと思うんですけどねぇ」
「お時間取らせて申し訳ありません」
玄関口で俺を出迎えたチャンミンの母親に、俺は詫びをいれリビングに通された。
片付いてはいるが日用品がごちゃつく、ごくごく普通のLDKだ。
統一感のない家具が並ぶリビングをさりげなく見回しながら、こうも生活臭漂う部屋であの美少年が生活をしていることが想像しにくい。
レース模様のビニールクロスのかかったテーブルで、朝食を摂る姿を...背中を丸めて、長い指でぎこちなく箸を使うチャンミンを...想像してみる。
そのミスマッチさに色気を感じた。
これまでに数度この家を訪れていたが、毎回チャンミンとは会えずじまいだった。
だから、まともに対面したのは両家顔合わせの際のわずか数分だ。
そんな短時間に、俺はぐっと集中してチャンミンを観察していたのだろうな。
「Bは元気にしてる?
電話もなし、顔も出さないはで...元気な証拠よね」
と、お茶の用意をする義母さんの話しかけに、「そうですね」と相づちをうったり、世間話に笑ってみせたり、俺は以上のことをぼんやりと考えていた。
そして、チャンミンの母親の承諾を取るため、ある提案について語り始めた。
・
「おかえり!
チャンミンにお客さんよ」
「誰?」
義母さんの元気のよい声が玄関の方からして十数秒後、リビングの戸口から現れた。
ひょろ長い身体と、小さな頭。
紺のブレザー、えんじ色のネクタイ、白いシャツ。
ソファに座った俺と目が合う。
うすぼんやりとしていた表情が、ハッとしたように引き締まり、二重瞼の眼が一瞬大きく見開いた。
「......」
「やあ」
俺は笑顔でソファから立ち上がった。
「......」
チャンミンは予定外の来客に面食らったせいで表情が作れずに、あやふやな視線を彷徨わせている。
俺は内心、可笑しくてたまらない。
なんだかんだ言ってもまだ15歳、子供だ。
「あなたに用があるそうよ。
突っ立っていないで...座って!」
さすが母親、不愛想な息子に構うことなく、ソファを指さし座るよう促した。
「...さて、と」
ソファはひとつきりで、チャンミンは俺の隣に座るべきか迷っているみたいだった。
数秒ほど逡巡したのち、チャンミンはソファの一番端にすとんと腰を下ろした。
少しでも距離をとろうとする小さな抵抗に、笑みがこぼれてしまう。
チャンミンは真正面を向いたままだったおかげで、笑った口元が見られずに済んでよかった。
チャンミンは難しい性格のようだから、ここで機嫌を損ねてしまったら、俺の目的が果たせなくなる。
長めの前髪を斜めに流し、耳にかけていた。
白い衿から伸びる首の皮膚はキメが細かい。
「急に訪ねてきて悪かった。
チャンミン君に頼みたいことがあって、来たんだ」
横顔を見せたままのチャンミンに構わず、俺は話しかける。
「2足のわらじ状態だけど、俺が絵を描いていることを知ってるよね」
「......」
ブレザーの袖から突き出た手首が細かった。
「俺の絵を、見たことないよな?」
自身の指や爪に視線を落としているチャンミンからの返答は予想通りゼロで、それにも構わず俺は話を続ける。
確率的に、8:2かな。
今日のところは駄目でも、根気よく説得し続ければ首を縦に振ってくれると踏んでいた。
無関心さと不機嫌を装っているのは、多少なりとも俺に興味がある証拠だ。
隣に座るよう言われて、迷ったふりも数秒ほどしかもたず、素直に座ったんだ。
「作品を見てから判断してもらっても、構わないんだが...」
「そう親しくもないのに、急に頼みごとをしに来て申し訳ない」
チャンミンは顔の位置はそのままに、視線だけをこちらに向けた。
伸ばした手の平にのせた餌につられて、警戒心の強い野良猫が頭を落として近づいてくる...そんな感じだと思った。
「......」
つくづく綺麗な顔をしている。
全くの無表情に見えるが、こちらに向いた横目がキラリと光っていた。
「チャンミン君に頼みたいことがあるんだ。
返事は今日じゃなくていい。
君は未成年だからね、ちゃんとお母さんの許可は貰っている。
その点は安心していい」
「...で?」
声変わり途中の、高いような掠れ声だった。
「チャンミン君は、いい顔をしている」
「?」
片眉がぴくりと持ち上がって、チャンミンはゆっくりとこちらを向いた。
「絵のモデルになってくれないか?
君を描いてみたい」
俺の来訪に驚いた時以上に、目が大きく丸くなった。
だがそれも一瞬で、即座に無表情に戻った。
「......」
間髪入れずに「お断りします」と来るかと覚悟していたのに、俺の話をじっくりと検討している様子だった。
「いくらです?」
上目遣いで俺を睨みつけるチャンミン。
「いくらですか?」
全くの予想外の回答に、俺の表情が固まってしまった。
(つづく)