結論として、俺とチャンミンとの関係は急激に変わってはいない。
強いて言えば、チャンミンが人懐っこくなった。
ただし、俺限定。
他の課員に対してはいつものごとく、無駄口はたたかず、真面目一徹、七三分けのヘアスタイルと就職活動中の学生みたいなスーツに身を包んでいる。
人目がある時はいつも通りだが、俺と2人きりになる時になると、少しだけ固い雰囲気が柔らかくなる...ような気がする。
「ユンホさん、凄いです!
3日連続でミス無しでしたね」
「まあな」と、チャンミンに褒められて得意げになっていると、
「ユンホさんも学習するんですね」と、失礼なことを言う。
俺を褒めることなんて...媚薬の夜以外ではあり得なかったから、チャンミンにも変化はあったと見なしていいだろう(ポジティブシンキング)。
チャンミンに見積書の作成を依頼し、帰社した時には仕上がっているのはいつもの通り。
ところが、書類と一緒に「お疲れ様です」の付箋とチョコレートが添えられてあったりして、「お前は女子か!」と突っ込みながらも、ほっこりするのだ。
惚れるしかないだろ(もう惚れてるけど)。
もの凄い勢いでキーボードを叩くチャンミンの後ろ姿を振り返ると、その両耳が真っ赤になっていて、すげえ可愛い。
「はっきりしないって、どういうことよ?
まさかあの後、そのまんまチャンミン君を放置、ってことないでしょうね?」
「放置って?」
「お互い告白し合ったんでしょう?
ユノが『好きだ』と告白したのは惚れ薬によるものだって、チャンミン君は思い込んでいるのよ。
『惚れ薬のせいじゃない、俺の“好きだ”はホンモノだ!』って、念をおさなきゃ」
ウメコとは長い付き合いだ、カッコつけても仕方がない。
「恥ずかしい...」
「ユノったらぁ。
火がついたら押せ押せのユノはどこいっちゃったの?
ベッドに連れ込むまでのスピードは、仲間内ではナンバーワンなのに」
「アホか!
相手の気持ちをちゃんと確かめてからヤッてるよ!」
「そうなのよねぇ。
相手の気持ちを確かめるまでに時間がかかるのよね、あなたは」
「まあな」
「まさかユノ!
チャンミン君の反応を待ってるだけじゃないでしょうね?」
「うーん...そうなのかなぁ」
これまで何人かの女性と恋愛関係になった経験はある。
モテなかったと謙遜するつもりはない。
密かに俺に片想いしていた子がいたかどうかは分からない。
「好きです」と告白されて初めて、彼女たちの恋心に気付いたことが多々ある。
はっきり言ってくれなきゃ、それに気付けずにいる鈍感さが俺にはある。
確かに、チャンミンからストレートに「好きだ」と言われはしたが、それはあくまでも『媚薬』によって突き動かされたもの。
淡い憧れに過ぎなかったものが、『媚薬』で増幅されたに過ぎないのだ。
素面になったチャンミンの、現在の本心を確かめられずにいる俺は臆病者なのだ。
「でもさ、今の俺はそれどころじゃないわけ。
うまくいっていないんだよなぁ...」
「また仕事?」
「そう。
失敗続きなんだよ。
うまく立ち回っているつもりが、抜けが多くって。
はぁ...」
チャンミンの鉄壁のチェック体制をすり抜けた細かなミスが、毎日のように湧いてきて、その後処理に奔走していた。
チャンミンに抜けがあったとは全く考えていない。
多分、チャンミンに恋煩いの俺は、どこか上の空で適当な仕事をしているのだろう。
ミスが多すぎて、チャンミンでもカバーできないのだ。
営業成績がよいのも、縁の下の力持ちなチャンミンの支えがあってこそのものだったんだろうな、きっと。
カウンターに片頬をくっつけて、俺は目をつむる。
疲労が溜まっていた。
「あの時の媚薬...もう一回飲む?」
「はあ?
とっくにチャンミンが好きな俺が飲んだって、意味ないじゃん」
「1リットルくらい飲むのよ」
「俺を殺す気か!?」
熱にうかされた目でかっかと身体を熱くさせて、服を脱ぎだしたチャンミンの姿が頭に浮かぶ。
ショットグラス1杯であんな風になるんだから、1リットルも飲み干したら俺は死んでしまう!
「チャミ愛が暴発してさ、オフィスの中なのに押し倒しちゃってさ。
ズボンを引きずり下ろして、いきなりヤッちゃうの。
『チャンミンが好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ!!』って」
「それじゃあ、強姦じゃないかよ!」
「チャンミン君なんて、
『いやん、ユンホさん!
僕、初めてなんです!
いやん、激しい!』
ってな感じに」
「おい!
チャンミン相手に淫らなことを想像するなって!」
俺は耳を塞いで、楽しそうなウメコを睨みつけた。
「チャンミン君も『その時』を待ち望んでいるかもよぉ?」
「お前の思考はすぐにエロい方に走るんだから。
俺はね、もう薬に頼るのは止めたの。
自力でなんとかする」
「ふうん、頑張って」
「まずは、仕事の方をなんとかしてからの話だ」
「急がなきゃね。
...そうだ!」
ウメコは大声と共に手を叩くと、カウンター下から何やら取り出した。
角がすりきれて丸くなり、ページが反りかえった薄汚いボロボロの大学ノート。
嫌な予感がぷんぷんとする。
「ユノにまじないをかけてあげるわね」
「やなこった!」
学生時代、バイト疲れで試験勉強どころじゃなくて、ウメコに泣きついた俺。
『眠くならない呪文』の力を借りたところ、真逆に呪文が効いてしまい3日間眠り込んでしまったという、痛い思いをしたのだ(落第するところだった、全くもう)。
「まあまあ、そう言いなさんな。
ユノの恋路を応援してあげる」
『恋』のワードに敏感に反応してしまう。
「惚れ薬とか、そういうのは御免だからな!」
「今回のはそんなんじゃないの。
お疲れユノを元気にしてあげる」
「まじないでか?」
「長期的な効果は期待できないけど、瞬発的にパワーが出るの。
ここぞというときに、唱えると実力以上のことを成し遂げられるのよ」
「実力以上...それって、嘘の姿じゃないか」
「言い方が悪かったわ。
ユノの潜在能力を引き出すの」
「潜在能力...」
「失敗続きの仕事の方も、うまくいっちゃうかもよ」
「ホントにそれだけか?
仕事面に役立つだけだよな?」
「......」
「何黙ってるんだよ?」
「...一歩前進したくないの?」
「しつこいなぁ。
チャンミンに関しては、自力でなんとかする!」
「はいはい、分かりました」
ウメコは大学ノートの端を破り取って、その一片を俺の手に握らせた。
「あーもーだめだー!って時に、唱えてね」
「変なことにならないだろうな?」
「栄養ドリンクみたいなものだって思ってくれて結構よ」
いくらポジティブな俺でも、現状の仕事っぷりには自信をなくしそうだったから、ウメコを信じてみようと心が動いた。
恋愛がらみのシロモノじゃないのなら、許せる。
「帰るよ」
「もう?」
「帰って寝る。
そうだ!
呪文の効き目はどれくらいなんだ?」
「6時間くらい」
「それっぽっちか?」
「それ以上効かせたら、あなた抜け殻になるわよ?」
「それは困る」
「バイバーイ。
チャンミン君に、また遊びにおいで、って伝えてねぇ」
店の外まで見送りに出るなんて、いつにない行動で、俺はすこし嫌な予感がした。
(つづく)
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