~チャンミン16歳~
Mの話が頭に入ってこない。
僕の頭も背中も、じんじんと熱い。
義兄さんの視線で焼かれているみたいに。
母親には友人の家に泊まりに行く、と告げていた。
自宅へ招かれるほど親しい友人がいることに、母親は驚いていた。
休日は大抵、自室にこもっていたし、部活にも入らず真っ直ぐ帰宅していた僕だから、驚いて当然だ。
僕に呼び出されてMも驚いていたが、僕のお願い事を聞くと「わかった」と即答してくれ、こうして僕と顔を突き合わせている。
・
「ユノさんのカフェに行ってみましょうよ」
Mの誘いに、空腹だった僕は頷いた。
義兄さんがデザインを手がけたというそのカフェは、入店すぐに飛び込んでくる壁面イラストに目を奪われる。
写実的な絵を描く義兄さんが、ポップなイラストチックなものも描けるなんて知らなかったから、素直に感動した。
客層は落ち着いた雰囲気で、2人組か1人、めいめいに読書をしたり、控えめの声量で会話を交わしていたり...大人だけの空間だ、と思った。
だから、高校生未満の僕やピンク色の髪をしたMが、場違いに浮いているみたいで、恥ずかしかった。
あれ?
店員に案内された席に向かう途中、僕の目はある一点にひきつけられた。
店内一番奥の窓際の席。
義兄さん...。
黒のタートルネックセーターが、義兄さんの白い肌を引きたてていた。
義兄さんの頭は窓の外を向いていて、僕とMに気付いていない風だ。
でも、今夜の僕は義兄さんと対面する勇気がなかったから、気付かないふりをすることにする。
昼間、僕は大胆なことをしでかしてしまったのだ。
義兄さんを誘った。
僕を見る義兄さんの目が、焦がれるようなものであるのは気づきかけていた。
だから、義兄さんの中のスイッチを入れてやろうと思った。
僕を見て、僕を欲しがって!と。
僕は裸だし、持てる限りの色っぽさを目いっぱい発揮してみた。
映画やアダルトな動画の中で、女の人が男を誘う時の表情を思い浮かべながら。
勇気がいった。
心臓がバクバク音をたてていた。
誘うと言っても、どうしたいという具体的なものがあったわけじゃない。
セックスを匂わせるようなことを言っただけ。
義兄さんを揺さぶれるには、そう言うしかなかったんだ。
僕は男だけど、それらしくしなをつくれば、もしかしたら...って。
パーカーの下の右胸が、火照ったようにじんじんした。
義兄さんに一瞬でも愛撫された肌。
義兄さんのごつごつしているのに、手先を使う仕事をしているからしなやかで繊細そうな指が、僕の肌の上を滑った。
とても、とても素敵だった。
・
義兄さんを誘うようなことをしたくせに、その後の展開を知らない僕だった。
世間一般的に言って、16歳で童貞なのが普通なのか遅いのか分からない。
級友の中には、「相手は2こ年上の、高校生。あれはすごいよ」と、未経験の奴らに自慢をしていた。
我先にと、「俺も」「俺も」と経験談を始める奴もいて、「どこまで本当のことやら...嘘ばっかりのくせに」と、馬鹿馬鹿しいと思っていた。
僕こそ、そのクチだったから。
33歳の義兄さんと対等に張り合うには、ヒヨコのままでいるわけにはいかないんだ。
未経験は即バレてしまうし、もの凄くカッコ悪いことだ。
義兄さんは、姉さんとヤッているんでしょう?
僕も、Mとデキてるんだよ。
そう思わせたくてMに接近した。
鋭いMのことだから、僕の魂胆なんて見抜いていただろうけど、それを指摘しない賢明さが彼女にはあった。
Mを奥の席につかせ、僕は手前に座る。
「チャンミン。
ユノさん、じゃない?」
案の定、Mは義兄さんを見つけて、彼に手を振ろうとしたから、その手をつかんでとどまらせる。
「しっ!
知らんぷりしてて」
「どうして?」
「いいから!」
「ふうん...チャンミンの恋心は複雑ねぇ」
「うるさいなぁ。
そういうMちゃんこそ、どうなの?」
「彼氏と別れた」
「...そっか」
「だから、私の方はオッケーよ。
今夜でいいの?」
「うん」
「チャンミンったら、余程お腹が空いていたのねぇ」
サンドイッチと添えられたポテトチップスを平らげ、アイスコーヒーを飲み干す僕を、頬杖をついたMは呆れたように言う。
「夕飯を食べ損ねてたから」
昼間の出来事が刺激的過ぎて、食欲がなかったんだ。
それに、数メートルの距離があっても、僕の後ろに義兄さんがいる。
遅れてきた義兄さんの連れの声が大きくて、断片的に聞こえてくる内容からすると、仕事の打ち合わせか何かだろう。
夜遅くに、アトリエを離れても義兄さんには仕事があって、大人でカッコいいと思った。
両親からの小遣いと、義兄さんから貰うモデル料で、価格設定の高いこのカフェに来ている僕はダサいと思った。
悔しくて義兄さんに見せつけるように、必要以上に身を乗り出してMに接近した。
そんな僕の狙いも、やっぱりMにはお見通しだろうけど。
僕ら2人は、義兄さんに片想いをしている同志なのだ。
(つづく)
[maxbutton id=”23″ ]