「赤ちゃんができました」
「え...?」
シチューをすくったスプーンの手が止まった。
具だくさんのクリームシチューは、俺の大好物だ。
「...3か月だって」
「チャンミン...」
お腹をなでるチャンミンの手を凝視しながら、俺の頭はぐるぐる回っていた。
さぁ、ユノ!
どんな反応が正解だ?
最初のひとことが肝心だ!
俺はスプーンを放り出すと、チャンミンの側に駆け寄った。
「やった、やった!」
チャンミンの両手を握って上下に揺さぶり、彼のお腹に耳を当てる。
「まだ早いですよ」
「ぎゅるぎゅるいってる...」
「お腹の音です!」
パシッと頭を軽く叩かれて、俺はチャンミンを振り仰いだ。
小さな白い歯を見せて笑うチャンミンは、惚れ惚れするほど綺麗だ。
「あの音からすると...便秘だな?」
ふざけて言ったら、またパシッと叩かれた。
俺はチャンミンを胸に抱きよせて、「よかったね」と言って彼の頭をなぜた。
チャンミンは、俺の『奥さん』だ。
翌日から、俺たちの生活は一変した。
仕事の後、デパートに寄って思いつく限りのベビィ用品を購入する。
薬局にも寄って、お尻拭きやオムツを購入する。
気が早いかもしれないけど、俺の指が2本しか入らない位小さな靴も買った。
大きな袋を抱えて帰宅すると、チャンミンはゆったりとしたTシャツを着て、キッチンに立っていた。
「駄目だよ、チャンミン!」
俺は慌ててチャンミンの手から、お玉を取り上げ、TV前のソファに座らせた。
「俺がやるから!
チャンミンは、TVでも見ていて!」
チャンミンが作りかけていたカレーを仕上げて、食卓に運んだ。
「わー!
チャンミン、駄目だって!」
チャンミンの手から、ビールのグラスを取り上げる。
「ユノ、うるさい!」
チャンミンはむくれて、黒豆茶を飲む。
黒豆茶はノンカフェインだから、大丈夫なんだってさ。
俺たちの赤ちゃんは、絶対に可愛いに違いない。
チャンミンは美人だから、女の子だといいな。
けれども、
「ユノに似て欲しいから、男の子がいい」
と、チャンミンは言う。
「どうして?」
「かっこいい息子を持つのが夢だったんだ」
「ふーん」
両手にクリームをすり込んだ俺は、チャンミンの足の裏をもむ。
あたりはクリームの甘いいい香りが漂っている。
ソファに横になって、俺の膝の上に足を預けたチャンミンは、気持ちよさそうだ。
「ユノ」
「ん?」
「僕、すっごくムカついてたんだよ!」
「急になんだよ?」
「すっごく嫌だったんだから!」
「怒るのは、お腹の子に悪いよ」と言いかけたが、チャンミンの真剣な表情を見て口を閉じた。
「なんのことだよ?」
「よりによって、あの子を!」
「...ああ!」
チャンミンが「あの子」と言って、彼が何を言いたいのか分かった。
「ごめん」
「ヤキモチなんて大人げないと思ってたから、今まで我慢してたんだから!」
「ごめん」
「ぴしっと断らないユノが悪い!」
チャンミンが投げたクッションが、俺の肩にあたって落ちた。
「ユノ!
自分の顔がどんなだか、もっと自覚してください!」
「あの子」というのは、俺の勤務先の後輩にあたる女性のことだ。
配属直後から俺のことが気に入ったらしく、始終、俺の後ろをくっついて回った。
「ユノ先輩、教えてください」
「ユノ先輩、PCがフリーズしちゃいました」
「ユノ先輩、ランチに連れてってください」
「ユノ先輩、携帯番号教えて下さい」
「ユノ先輩、奥さんってどんな人ですか?」
鈍い俺でも、ストレート過ぎる彼女の言動にさすがに気づいた。
べたべたと俺に触ってくる彼女に、内心うんざりしていた。
若くて可愛らしい女性に触れられるのは嫌な気はしなかったのも、事実だ。
「『奥さん』って、男の人なんですよね?」
「だから?」
「その人、どんな手をつかって先輩をものにしたんですか?」
俺はさりげなく、二の腕を掴む彼女の手を外した。
誓って言う。
俺はチャンミンを愛している。
ただの一度も、浮気はしたことない。
でも。
若くて可愛い子がいれば、男だもの、じっと見てしまうこともある。
それは、キレイな花だと無意識に眺めてしまうのと同じ。
俺はチャンミンと交わす、機知に富んだ会話や、彼のもつ雰囲気や、自分に厳しく俺には甘いところや...挙げだしたらキリがないからここでやめておくけど、
とにかく全部、チャンミンは俺の好みの男だ。
だから俺は、チャンミンのことを悪く言う奴を、嫌悪している。
飲み会の1次会で帰るつもりでいたのが、「あの子」は俺の袖をつかんで離さず、3次会が終了した頃には、とっくに終電の時間を過ぎていた。
(弱ったなぁ)
歩道の縁石に顔を伏せて座り込む彼女を、置いて帰るわけにもいかなかった。
(どうしたらいいもんか)
彼女の隣に腰かけ、頭を抱えていると、彼女がしがみついてきた。
「ユノ先輩、ホテル、行きましょ?」
俺を見上げる彼女の目を見て、彼女はさほど酔ってはいないことが分かった。
「先輩も、若い子と...女の子とした方が、いいでしょ?」
「え?」
「男の『奥さん』よりも、女の子との方がいいでしょ?」
俺の中で、プツリと何かが切れる音がした。
(つづく)
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