「チャンミン...腹減った」
1組だけ敷いたままにしてもらった布団の中から、ユノがつぶやく。
「もう?」
読んでいた文庫本から顔を上げて、チャンミンは呆れた声を出す。
古民家を改築したこの旅館の名物のひとつが、お粥朝食だった。
「またお粥かよ...」と、山菜も一緒に炊きこんだお粥を前に、ユノはがっくりと肩を落としていた。
「ここを選んだのはユノでしょ?」
「そうだけどさ...」
「菓子パンがあるよ」
「ちょうだい!」
文庫本を閉じるとチャンミンは、バッグからコンビニの袋ごとユノに手渡した。
「チャンミンのバッグには、俺のために何でも入ってる」
「手がかかる恋人がいるからね」
「そうだよー。
俺はチャンミンの『恋人』
いいなあ。
『恋人』っていい響きだなあ」
クリームパンにかぶりつくユノを、チャンミンは愛おしげに見つめる。
そして、広縁の籐椅子に座らせた巨大なぬいぐるみに視線を移した。
「ねぇ、ユノ」
「うーん?」
「この子、シロクマじゃないよ」
「えぇぇ!?」
布団から飛び出してきたユノに、チャンミンはぬいぐるみの足裏に縫い付けてあるタグを見せる。
「犬だよ、紀州犬だって」
「どう見ても、シロクマじゃないか!」
「でも、耳がとがってるし、尻尾もくるんってしてるよ」
「そんなぁ...」
ぺたりと座り込んでしまったユノを見て、チャンミンはクスクス笑う。
「どうしてまた、ぬいぐるみなの?」
「TV番組で、芸能人がでっかいぬいぐるみを部屋に置いててさ。
確か、クマだったよね。
『僕も部屋に飾りたい』って、チャンミン言ってたよね?」
「そういえば、そんなこと言ってたかも」
「だろ?
運ぶの大変だったんだよ。
一番大きいスーツケースでも、ぎゅうぎゅうに押し込まないと入らなくて。
まるで死体を運ぶ犯罪者の気分だったよ」
「あははは」
チャンミンがバスターミナルで買ってきた、牛しぐれ煮弁当の昼食を終えた。
チャンミンは文庫本を読みふけり、ユノは部屋付きの浴室でシャワーを浴びて、さっぱりとさせた。
「チャンミン、のど飴ちょうだい」
「はい、どうぞ」
「チャンミン、ここに座って」
ユノは広縁の椅子に腰かけた自身の膝を、ぽんぽんと叩いた。
「ユノの上に?
僕が?」
「うん、俺の上に座って」
迷うチャンミンに、ユノはもう一度膝を叩いた。
「重いよ?」
「平気。
チャンミンは多分、俺より軽いはず」
「...わかった」
男の膝の上に座る男...なんともいかがわしい光景だ、と思いながら、チャンミンはそろりとユノの腿に腰を下ろした。
「うーん、やっぱり変だね。
じゃあ、ここに座って」
ユノは椅子に深く腰掛け、広げた太ももの間にチャンミンの腰が収まった。
ユノはチャンミンの胸に腕を回した。
「チャンミン」
「ん?」
「今日は何の日かわかる?」
ユノの唐突な質問を受けて、チャンミンは考え込む。
(ユノの誕生日はつい先日だったし、僕の誕生日は数日後。
ユノと付き合いだして未だ半年も経たないから、何かの記念日でもない)
「さあ...分かんない」
「だろうね」
ユノは、「ふふん」と笑った。
「今日は、2分の1誕生日なんだ」
「2分の1?」
「俺の誕生日とチャンミンの誕生日の間の、2分の1」
チャンミンは指を折って計算する。
「ホントだ!」
ユノはチャンミンの肩に自分のあごをのせた。
「俺の誕生日のときは、チャンミンは盛大にお祝いしてくれただろ?
チャンミンの誕生日はもちろん、俺がめいっぱいお祝いしてあげる。
俺たちは未だ付き合ってそんなに日が経っていないだろ?
...それで、記念日をいっぱい増やしたくて...思いついてみたんだ」
ユノは頬をチャンミンにぴたりとくっつける。
ユノがほお張ったのど飴のミントの香りがする。
「この日めがけて日程を合わせたの?」
「チャンミン、思い出して。
俺たちの予定を合わせるのだけでも、大変だったじゃないか」
「そうだったね」
「旅行の日にちがいつだろうと、何でもいいんだ。
この旅行そのものが、俺にとって大事な記念日なんだよ」
「...ユノ」
「たまたま今日が、2分の1だったからこじつけてみただけ。
俺はね、チャンミンと旅行に行けて、ほんっとーに嬉しかったんだ」
チャンミンの胸に、じわじわと熱いものが湧き上がってきた。
「誕生日プレゼントとは違うものを、贈りたかった。
アクセサリーとか、洋服とか...。
何がいいだろうって、たくさん考えた。
でも、チャンミンは大人だから、これまでいろいろなものを贈られてきていると思うんだ。
チャンミンが今までプレゼントされたことのないものを、俺は贈りたかった。
だからこその『ぬいぐるみ作戦』だったわけ」
・
(まったく、この子ったら。
この子ときたら。
涙が出そう。
心根の優しい年下の彼氏。
僕の可愛い可愛い恋人だ)
・
「ねぇ、ユノ」
「んー?」
チャンミンは、ユノの手の甲の骨をひとつひとつなぞる。
微熱のあるユノの手は熱かった。
「今日は僕らの2分の1誕生日なんでしょ?
ってことは、
2分の1誕生日記念日になるね」
「そっか!」
チャンミンの髪のいい香りや、髭剃り後の頬を感じて、ユノは勢いづいた。
ユノは、自分の方を振り向かせようとチャンミンの顎に手を添える。
「だ~め」
間近まで寄せた唇がチャンミンの手で阻まれた。
「えぇ...」
「風邪が伝染るからダメ!」
「のど飴で殺菌したから大丈夫!」
「のど飴は、そのつもりだったんだ?」
「ふふん」
「ユノの風邪が治ってからね」
「俺は、健康な若い男なんだよ?
もう我慢できない!」
「『不』健康でしょ」
「うるさいなあ」
ユノは強引に、けれども優しくチャンミンの唇を塞いだ。
チャンミンもユノの熱い頬に手を添える。
「チャンミンが熱を出したら、俺が看病してあげるよ」
唇をようやく離したユノはそう言って、片目を細めてニヤリと笑った。
「めちゃくちゃワガママな病人になってやる」
「チャンミンって、そんな感じ」
「さっさと寝てなさい!」
「もう一回、キスしたいなあ」
「ダメ!」
「ちぇっ」
・
見るはずだった。
観光客が少ない早朝を狙って、ひたひたと静かな水面に鏡面反射した山を。
手を浸すはずだった。
川底の丸石も、泳ぐアユもくっきりと見えるほど透明な冷たい水に。
頬に受けるはずだった。
つり橋を吹き抜けるきりりと冷たい北風を。
俺のせいで、チャンミンに体感してもらえなかったあれこれ。
困った顔をしながらも、甲斐甲斐しく俺の我がままに付き合ってくれて、くすぐったい気持ちになった。
チャンミンのことが、ますます好きになった。
シロクマを見た時の、チャンミンの真ん丸の目ときたら。
可愛かった。
俺の可愛い可愛い、年上の彼氏。
実は、観光に行くよりこうやって、チャンミンと2人きりで室内にこもる方が嬉しい。
次は、俺の部屋に遊びに来るんだぞ。
わかった、チャンミン?
(『1/2のハグ』終わり)
本編『Hug』に続く
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