義弟(43)

 

 

~ユノ34歳~

 

そこまで要注意人物だとマークしていた訳じゃない。

 

男に馴れたチャンミンの身体と、男女の区別なく奔放な性生活を繰り広げているX氏の噂を耳にするうち、いずれX氏の餌食になるのでは、と勝手ながら心配していたのだ。

 

X氏に誘導されるように、この場を去るチャンミンの背中。

 

耐えられなくなった俺は、熱弁をふるう母校の講師を遮って、2人を追った。

 

失礼なふるまいだったが、それどころじゃなかったのだ。

 

X氏はチャンミンを狙っている。

 

チャンミンの腰に回された腕に、いやらしい気配を感じとった。

 

チャンミンを抱いたばかりの俺は、色に酔っているせいか、その手のことに敏感になっていた。

 

昼間はごったがえしていたホールも、閉館後のためがらんとしていて、エレベータ前に立つ2人は直ぐに見つかった。

 

エレベータでどこに行くつもりなんだ?

 

ここは1階、この上は多目的室があるだけ、地下は駐車場。

 

「!」

 

チャンミンはX氏に肩を抱かれていた。

 

目にしてしまった俺は、思わずその場で足を止めてしまった。

 

大人しく従うチャンミンに腹が立ったが、その怒りはすぐ消えてしまった。

 

巨躯のX氏と並ぶと、痩躯のチャンミンは頼りなく、あの腕を振りほどくのはきついかもしれない。

 

チャンミンを覗き込む顔の距離が、あまりにも近い。

 

やっぱり...X氏はその気だ。

 

全身がかぁっと熱くなり、腹の底からムカムカとした。

 

エレベータの扉が開き、間に合わないと思った俺は叫んだ。

 

「チャンミン!」

 

本来、俺の雇い主にあたるX氏の名を呼ぶべき場だった。

 

振り向いたチャンミンの顔が、X氏の肩の影からひょっこり覗いている。

 

駆け寄る俺を認めて、固かった表情が和らいだ。

 

「ユンホ君?」

 

X氏はチャンミンの肩からゆっくりと腕を下ろした。

 

落ち着いた口ぶりで、慌てた素振りを見せない。

 

「そんなに慌てて...何かトラブルでも?」

 

脂でてかった鼻の頭と額が不快だった。

 

「いえ」

 

怒りを押し殺して、穏やかな口調を努めてみたけれど、そうじゃないことをX氏は察したと思う。

 

「セレモニーは明後日...だったよねぇ?

私の出番はないはずだが?

ああ!

なるほど、私じゃなく、この子かい?」

 

X氏のぎょろ目がいやったらしく、俺とチャンミンを一往復した。

 

「ええ。

3日間は私が保護者代わりなんですよ。

遊びに来たんです。

彼の親御さんから頼まれていますので...」

 

嘘八百をすらすらと述べて、チャンミンに目で合図した。

 

チャンミンはこくん、と頷くと、X氏の身体の陰から抜け出して俺の背後に回った。

 

「Xさんこそ、どちらへ行かれる予定だったのですか?

どこも...」

 

俺はわざとらしく、ホールを見渡し、エレベータに目をやって、

 

「閉館時間ですし?」と、咎めの目線を送る。

 

X氏の方も、わざとらしく肩をすくめた。

 

「くっくっく...ユンホ君も失礼だなぁ。

まるで私がチャンミン君をとって食おうとしているみたいな言い方だ」

 

その通りだろう、と思ったが、口に出すわけにはいかない。

 

「チャンミン君は綺麗だからねぇ。

その気が起きてもおかしくない。

でも...チャンミン君は男だからね。

男なのが残念だよ。

あいにく私は、男は相手にしないんでね」

 

「嘘をつけ!」と俺が内心で吐き捨てていることを、X氏は分かっているに違いない。

 

俺がチャンミンに対して義弟以上の想いを抱いていることも。

 

X氏は鋭い。

 

平静を装った俺の表情の下に、煮えくり返る怒りを隠していることを。

 

青ざめたチャンミンに向ける俺の眼に、深い情がこもっていることにも。

 

バレたな、と思った。

 

今後仕事がやりにくくなることなんて、どうでもよかった。

 

嫌な予感は的中した。

 

気付いて連れ戻せて、間に合ってよかった、と思った。

 

 

 

 

コンベンションセンターに併設されたホテルまでの5分を、チャンミンと肩を並べて歩いていた。

 

俺の斜め後ろにうつむき加減のチャンミンがいる。

 

コートのポケットの中で、俺は怒りと焦燥感で固くこぶしを握っていた。

 

「...義兄さん、ごめんなさい」

 

俺のコートの背中をチャンミンがつんと引っ張った。

 

「怒ってますか?

油断してて...」

 

ポケットから出した手で、コートをつかんでいたチャンミンの手を握った。

 

俺の手の中で、チャンミンの冷たい指はぴくりと震え、俺の指の間に絡んできた。

 

ぎゅっと力を込めて握り返してやった。

 

手を繋いで歩く俺たちは、不自然に見えるだろうが、ここは地元じゃない。

 

チャンミンの手ごと、俺のポケットに突っ込んだ。

 

「...いつからだ?」

 

「え...」

 

俺の言葉に動揺した証拠に、チャンミンは急に立ち止まってしまった。

 

「嫌なことされてないよな?」

 

「...あの...」

 

「あの人はね、噂が絶えない人なんだ。

女性関係が...だけじゃないんだ。

若い男も好きでね。

お小遣いをたっぷりあげたりしてね。

もっと前に、教えておけばよかったね。

俺がうっかりしていたよ」

 

「義兄さん...あの...」

 

歩みの重いチャンミンに、俺は彼の肩を抱いた。

 

俺がかつてプレゼントしたマフラーに、チャンミンは鼻の上まで埋めている。

 

鼻下を隠すと、余計に幼く見える。

 

これで何百回目になるんだろう、俺の方こそ10代男子に手を出している事実への罪悪感。

 

X氏を軽蔑できる資格はないのだ。

 

「我慢していないで、俺に教えてくれればよかったのに。

そっか。

俺の仕事を心配してくれてたんだろ?」

 

「義兄さん、あの...僕は」

 

俺の気付かないうちに、X氏はチャンミンに接近をはかろうとしていたのだ。

 

嫌な予感が的中した。

 

今夜のうちに気付いてよかった。

 

「どこか食べに行く?」

 

「そう言ってるくせに、もうホテルに着きましたよ。

僕はどこにも行きたくありません」

 

チャンミンはふふふっと笑った。

 

「俺も同じ。

部屋で食べようか?

熱い風呂に入って温まろうか?

チャンミンにいいものを用意してあるんだ」

 

「はい」

 

囁くような声であっても、チャンミンの二重瞼の下の眼がきらきら輝いていた。

 

じんと感動してしまい、知らず知らず見入ってしまっていたようだ。

 

「そんなに見られたら...っ、恥ずかしいです」

 

ぷいと顔を背けてしまった。

 

絵のモデルを務めているくせに、アトリエを離れたチャンミンは、俺にじっと見つめられただけで耳を赤くする。

 

俺を置いて早歩きでエレベータへ向かうチャンミンに、もっとからかってやりたくなってしまった。

 

「もっと恥ずかしいところを見られたのに?

顔くらい、どうってことないだろう?」

 

「もう!

止めて下さい」

 

くるりと俺に背を向けて、チャンミンはエレベータの角に収まってしまった。

 

赤くなった顔は両手で覆って隠しているのに、ぴょんと立った真っ赤な耳は丸見えだから、可愛くて仕方がない。

 

「ごめん」

 

チャンミンのうなじの髪を...うねりのある柔らかいくせっ毛を...指先でくすぐった。

 

「んんっ!」

 

くすぐったがってあげた声が、甘く色っぽく聞こえてしまう。

 

もっとその声を聞きたくなったけれど、ここまでにしておこうか。

 

チャンミンは首をすくめて、エレベータの隅っこを向いたまま、怒った声で言った。

 

「今日の義兄さんは変ですよ?

僕を恥ずかしがらせて遊んでるでしょう?」

 

「ははっ。

はしゃいでるんだろうね」

 

「え...?」

 

チャンミンは、くるりと身体を回転させた。

 

「チャンミンと2人きりで、旅行みたいだ。

普段、どこにも連れていってやっていなかったし。

嬉しくってさ...。

からかってごめん」

 

「......」

 

黙り込んでしまったチャンミンに、「機嫌を損ねてしまったかな?」と。

 

「...僕も...」

 

聞き取れない程の小さな声だった。

 

「僕も、嬉しいです...義兄さんといられて」

 

そんな言葉を貰ってしまったら、抱きしめるしかないだろう?

 

チャンミンの頭を胸に引き寄せ、がしがしと彼の頭を撫ぜた。

 

身長が伸びたせいで、チャンミンの頭のてっぺんは俺とほぼ同じ。

 

大きな身体をしているのに、チャンミンはまだまだ子供で、この年の差に切なくなる。

 

あと1年待てばチャンミンは18歳になって、俺の罪悪感も和らぐし、より対等に付き合えるようになる。

 

あと1年辛抱すれば、チャンミンの方も身動きしやすくなる。

 

「今夜は俺の部屋においで。

チャンミンの部屋から、着替えをとっておいで」

 

「はい」

 

リュックサックに衣服を詰めるチャンミンを、俺は壁にもたれて待っていた。

 

コンソールテーブルに置かれた参考書とノートを目にしてしまい、胸が痛む。

 

俺の妻Bの弟、チャンミン。

 

17歳のチャンミン。

 

俺がしていることは全部、真っ黒だ。

 

でも、止められない。

 

 

 

(つづく)

 

 

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