~チャンミン17歳~
「いずれユンホ君の耳に入るだろうね?」
X氏はジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めた。
「僕はっ...高校生なんですよ?
Xさんのしていることは、犯罪です!」
「おやおや...。
じゃあ、ユンホ君はどうなんだね?」
「!」
「ユンホ君も犯罪者だねぇ。
チャンミン君みたいな子供に手を出して...捕まっちゃうねぇ」
目の前が真っ暗になった。
やれやれと言った風にX氏は首を振り、どかっとソファに腰掛けた。
「即、離婚だろうねぇ。
奥さんは、チャンミン君のお姉さんなんだろう?
こりゃ修羅場になるねぇ」
「...っ」
喉が詰まって、呼吸が難しい。
「ユンホ君の功績に傷がつくだろうねぇ。
仕事も減るだろうねぇ。
いいのかなぁ?」
自分が楽になりたいことばかり、考えていた。
義兄さんがどうなるかまで、頭が回っていなかった。
X氏を拒絶することで、墓穴を掘ってしまったみたいだ。
僕と義兄さんがしていることを、僕の口から認める機会を作ってしまった。
X氏だって、僕と義兄さんのことを怪しいと勘づいていたけど、現場を押さえたわけじゃなかったのが、決定的になってしまった。
どうしよう...どうしたらいいんだ!
~ユノ34歳~
チャンミンはどこまで遊びにいったのやら。
この地は旧所名跡が多い城下町だ。
勉強熱心な子だから、目にするもの全てを興味深げに、丁寧に見て回っているのだろう。
リュックサックを背負って、周囲を見渡し、説明書きの看板や石碑に目を通している。
そんなチャンミンの姿が想像できて、くすりと笑みが浮かんでしまう。
昨夜は相当無理をさせてしまったから、観光に支障がなければいいのだが...。
非日常的な環境に、タガが外れた俺はチャンミンを攻めに攻めてしまった。
終わり間近では、全身を痙攣させたチャンミンは膝の力が抜けてしまって、支えてやらないと立っていられなかった。
俺の腰に足を絡めしがみついたチャンミンを、そのまま抱えてベッドに寝かせた。
色に酔ったうつろな顔をしていたのが、シャワーを浴び直して戻ってみたら、すーすーと寝息をたてて眠ってしまっていた。
ベッドに腰掛け、眠るチャンミンの額の髪を指の背で梳く。
きりっと直線的な眉と長いまつ毛。
気持ちが通じ合っていると信じたい。
なあチャンミン。
チャンミンは綺麗だ。
初対面で感じた時の俺の印象では、自身の美貌を味方につけて人の気持ちを振り回すような、そんな残酷なところがあると思っていた。
じとりと湿った陰気な眼...そうであっても美しい目元。
肌寒いアトリエで、「温めてください」と囁いて俺を見上げた時のチャンミンの眼。
『裸のマハ』のポーズをとって、鑑賞する者を誘う色気のある眼。
大人の男たちを知らず知らずのうちに惹きつけてしまうのだ。
俺の勘に過ぎないが、チャンミンには他に誰かいる。
誰だか知らないが、想像すると苦しむだけだから、意識の外に置いてある。
「俺だけにしろ」と言える資格は俺にはないからだ。
俺たちの立場は全然、フェアじゃない。
フェアに近づけるよう、俺の身辺は少しずつ整理していくから。
俺たちには、未来があると信じたい。
・
会期もあと2日を残すところまでこぎつけていた。
最終日のセレモニーでは、全作品を中央に向けて円を描くように設置するのだとか。
閉館後、その大掛かりな作業が開始され、雇い入れた作業員たちに、細かい指示をするため、俺や他の作家たちも集合していた。
急ピッチで作業は進み、夜10時には解放されるだろう。
チャンミンはホテルに帰っているのか、電話をかけても留守電アナウンスが流れるばかりで、メッセージを送っても既読のサインがつかない。
小さな子供でもあるまいに、迷子になっているとは考えにくいが心配だった。
「ユンホさん!」
スタッフの一人に呼び止められた。
「今日中に、Dさんの作品が到着する予定なのに、未だなんです」
このイベントで展示されているもののほとんどは、オーナーたちの好意でかき集められた作品がほとんどだった。
主役であるアーティストたちは運営委員も兼ねていて、俺もプログラムの進行に常に気を配っていなければならなかった。
会期の最終日のハイライトとして、D氏の作品がはるばる遠方から到着する予定だった。
天井から吊り下げる立体作品で、作業員たちが到着を今か今かと待っているのだ。
確か、X氏が買い付けたものだったはず...。
「それが、Xさんなんですが...午後から連絡がとれないんですよ」
「え!?」
「作業の人たちも帰したいですし...どうしましょう?」
チャンミンだ。
なぜか、チャンミンの顔が浮かんだ。
スマホを取り出して、X氏の番号に発信してみたが、スタッフの言う通り3コール目で留守電に切りかわってしまった。
俺は会場を見渡して、割り振られた作業をほぼ終えて、談笑する者や帰り支度をする者たちを確認する。
「探してくるよ」
手にしたボードを、スタッフに押しつけた。
「えっ!?
今から!?
ユンホさんがいなくなったら...」
「俺がいなくても、もう大丈夫だ。
何かあったら連絡して。
Xさんのことだ...飲みにいってるか、ホテルで寝てるか...」
「でも...」
困惑顔のスタッフを残して、俺は駆けだしていた。
X氏は今、チャンミンといる。
これは確信だった。
~チャンミン17歳~
これは脅しだ。
脅せば僕が言うことをきくと思って、わざと怖いこと言っているんだ。
僕の方こそ、X氏を脅した。
僕とX氏との繋がりを周囲にバラすと脅かせば、彼は大人しくなるって予想していたのに...。
大変なことになる。
義兄さんが困った立場に立たされる。
僕とX氏のことは、僕の口から義兄さんに知らせたい。
X氏のことだ、義兄さんの動揺する顔を見たくて、それと分かるように匂わせたことを、耳打ちしそうだった。
その前に...。
「...もし、断ったら...どうなります?」
「どうなるも何も。
私との付き合いを解消したいんだろう?
了解したんだ。
最後にいい思いをしたいと言っているだけだ」
「それだけですよね?
おかしなことしませんよね?」
「もちろん。
思い出にしたいんだ。
君みたいな綺麗な子は滅多にいないから」
「...」
「ほら、こっちおいで」
両手をひらひらさせて、僕を手招きする。
拒絶感で足が動かない。
今までよくもこんなオヤジに身体を許していたものだ。
「緊張しているのか?
...これを飲みなさい。
リラックスできるよ」
テーブルに置いたグラスを、僕に差し出した。
僕は迷わずそれを受け取って、琥珀色の液体を口に含んだ。
口の中がかぁっと熱くなって、ぴりぴりと舌を刺激する。
「威勢がいいねぇ。
ほら、もう一杯」
お酒を飲むのは初めてだったけど、頭を朦朧とさせれば、この嫌悪感が和らぐと思ったのだ。
2杯目はもっと濃くて、僕は顔をしかめて一気に喉に流し込んだ。
「あっ...!」
X氏の両手に捉えられ、引き寄せられて彼の膝の上に乗っていた。
X氏の膝から飛び降りようとしたけれど、彼の力は強い。
僕も男で、身長もあるからと油断していた。
X氏は二回り以上大きな身体をしている。
顎をつかまれ、X氏の方へ強引に振り向かされた。
「やっ...それは、ダメ!」
唇を寄せてきたX氏の顎を力いっぱい押しのけた。
「君は相変わらずだねぇ。
キスは禁止なのに、下の口は平気なんだ?」
「...っ...!」
前を寛げたX氏に、僕は目を反らした。
「そうそう!」と、突然何かを思い出して、スラックスのポケットから取り出したスマホを操作し出した。
「チャンミン君の写真を消さないとね」
「!」
さーっと血の気が下がった。
「動画もあったよねぇ。
こんなものが出回ったら、大変だ!」
おどけて言うX氏。
「...Xさんも困るんじゃないですか?」
「もともと素行の悪い私だ。
今さらひとつやふたつ加わっても、誰も驚かない」
「奥さんも子供もいるんでしょう?」
「別居状態だよ。
おやおや。
私ばかり咎めるなんて、不公平だよ。
ユンホ君にも奥さんがいるよねぇ?」
「...っ...」
ここを突かれると、何も言えなくなる。
僕が子供過ぎたせいで、義兄さんに迷惑をかけてしまってる。
「終わったらちゃ~んと消去するからね。
安心しなさい」
「...絶対ですよ?」
「最後だから、君を滅茶苦茶にしてしまうかもしれない」
「...そんな」
一度だけだ、今だけ我慢すれば...。
これが最後だ。
アルコールが回って、全身がふわふわした。
「私に任せていれば、大丈夫だよ。
私のがどれだけイイか...君が一番よく知っているよね?」
「......」
X氏とのことはそもそも、僕が始めたことだ。
それに、義兄さんと関係を持ったのも、僕が誘ったようなものだったんだ。
義兄さんの目の前で服を脱いで、煽って、「キスをして」とねだって...。
始めたのは僕なんだ。
~ユノ34歳~
コンベンションセンターとホテルは隣り合っている。
外に出る時間が惜しく、地下駐車場の連絡通路を走った。
X氏が実際、チャンミンに手を出すと決まったわけじゃないが、昨日、彼らが並んで立っているのを見た時、むわぁっと嫌な気持ちになったのだ。
チャンミンを見るX氏の眼に...眼だけじゃなく全身から下心が漂っていた。
チャンミンとそういう関係にある俺だから、察せられたのだと思う。
つまり、男であるチャンミンを女性にするように抱くことが出来る俺だったから、チャンミンに向ける性的な視線が分かるのだ。
それから...X氏を見るチャンミンの怯えた眼も気になっていた。
未だ何も起こっていないにしては、チャンミンの怯え方は異常だった。
あれは、X氏が抱く下心に気付いている眼だった。
これから何が始まるのか知っているかのような...。
まさか...。
既にことは始まっていたとしたら?
チャンミンにそれらしい素振りは、あったのか?
ああ、ダメだ。
俺たちが会うのは週に一度。
どちらかに用があって、2週、3週空くこともあった。
チャンミンの日常を知らず仕舞いだった。
チャンミンをモデルに絵を描き、残りの約1時間は互いの肉体を貪り合った。
どちらが主目的なのか、分からなくしていたのは俺自身じゃないか。
チャンミンに溺れていた。
でも...贈り物を貰って見せた表情は、心底嬉しそうだった。
あの喜びはホンモノだったはず...。
チャンミンはすすんで自分のことを話す子ではなく、質問すればぽつりぽつり、端的な答えが返ってくる程度だ。
X氏から嫌な目にあっていても、それを俺に気取られないように装っていたとしたら?
俺の他に『誰かいる』と察していた、その『誰か』とはX氏だったのでは?
俺は馬鹿か、なぜ気付かなかったんだろう。
重いスチールドアを開け、殺風景な階段を1段飛ばしに駆け上がる。
エントランスロビーで足を緩めた。
肩で息する俺を、すれ違う客たちが不審そうな眼で見るからだ。
ネクタイを緩め、息を整えた。
俺は単に、大袈裟に考えているだけかもしれない。
X氏のチャンミンを見る目が厭らしかったことを理由に、2人は既に関係があるのでは?とまで、考えが飛躍してしまったんだ。
不安が不安を呼んでしまっただけだと、自分に言い聞かせようとした。
X氏は関係ない、と。
そうじゃないことを、今すぐこの目で確かめないと。
エレベータの階数ランプをイライラしながら見上げた。
ポケットの中でスマホが震え、「チャンミンからか!?」と発信者を確認もせず通話ボタンを押した。
『私』
Bだった。
(つづく)
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