「やった...」
プラチナ製のそれが消えた後も、僕はそこにたたずんでいた。
スカッとしていた。
眼下のビル群や複雑に絡み合う高架では、何十万人もの人々が目的をもって活動をしている。
僕はと言えば、高層マンション46階で、添い寝業を営んでいる。
ポン、と僕の肩に乗ったユノの手。
「中に入ろうか?
見せびらかしたい気持ちは分かるけど...さ?」
「わわわ!」
僕は即行そこを両手で覆い、大赤面しながら部屋に駆け戻った。
僕の背後でユノは、「あーっはっはっは!」と声高らかに笑っている。
(ユノの馬鹿...)
洗面所で着替えていると、「メシにしよう!」とユノの呼び声が。
「行く、今行くよ!」
これからユノとブランチだ。
とてもワクワクした。
・
「...ここで?」
「そう。
添い寝屋はベッドの上がテリトリー。
安心できるだろ?」
ユノはパジャマに着替えていた。
「うーん...そういうもんかなぁ?」
ベッドの上に、ブランチとやらが並んでいる。
あれだけキッチンで派手な物音をたてていたわりに、そこに並べられていたものといえば...。
焦げたトースト、丸ごとオレンジ、殻の一部から中身が飛び出た茹で卵、コーヒーのマグカップと牛乳の紙パックの...以上。
バターの匂いとか、フライパンで調理していたはずのものは、どこにいってしまったんだ?
(後でキッチンに行くのが怖い、修羅場になってそうだ)
でも、ユノが僕のために頑張ってくれたんだ、文句を言うつもりはさらさらない。
マットレスを揺らさないよう、僕はそぅっとベッドに上がった。
胡坐をかいたユノは、ミルクを紙パックから直接飲みながら、僕をまじまじと見ている。
「...何?」
僕をからかうのが好きなユノのことだ、またエッチなことを言うに決まってる、と身構えた。
「女の子座りしてる」
「...変?」
僕はいつもの癖で、両脚をくずした座り方をしていただけ。
「可愛いね」
ドキン、と鼓動が跳ねた。
ニヤニヤしていたユノが真顔になって、僕を真っ直ぐ見てこんなことを言うんだもの...。
天井までの全面窓ガラスからふんだんに降り注ぐ日光で、ユノの青白い肌が光っている。
まだまだ目の下に隈が出来ている。
でもそれは、キメの細かい薄い皮膚が、その下の血管を透かしやすいだけなんだろう。
僕は男だから、「可愛い」と女の人に言う立場だ(世間一般的に)
男から「可愛い」と言われて、ちょっと嬉しいなと思ってしまった僕は変なのかな?
「可愛い」と言ってくれたのが、ユノだからなのかな?
僕は埋められることに一度はハマりにハマった...ってことは、正真正銘に「男が好き」な質なのかな?
などなど、いろいろと考えていたら、
「さて、今日は何をしようか?」と、ユノは言った。
「え...?
帰らないの?」
驚く僕に、ユノはムスッと拗ねた表情になってしまった。
唇を尖らせたユノこそ可愛かったから、「可愛いね」と仕返しに言ってやった。
ユノの顔色が、ぱっと赤くなってしまい、僕は「あれ?」と。
(色白だから、バレバレなんだ)
「...うるさいなぁ。
帰って欲しいのなら、帰るよ」
「ヤダ」
ユノのシャツの裾を引っ張って引き止める僕は、かなり彼に参っているってことだね。
女の子みたいにふくれっ面を作ったりして...僕はどうかしてるよ。
ユノに「可愛い」て言ってもらいたい魂胆が見え見えだけど、仕方がない...だって、ユノが好きなんだもの。
「しょうがないなぁ、居てやるよ」
ユノったら、ドスンと腰を下ろすんだ、マグカップが倒れてお気に入りのシーツにコーヒーのシミを作ってしまった。
「もう!」
ユノはオレンジの皮を剝きながら、「細かい男だなぁ、洗えば済む」と謝りもしない。
「シミになっちゃうじゃないか」と僕はブツブツいいながら、布巾で汚れた箇所をごしごしとこすっていると...。
僕の口に、オレンジの房がひょいと放り込まれた。
「強力な洗剤を使えばいい。
チャンミンちの洗面所は、洗剤の見本市みたいだった」
「...まあね」
瑞々しいオレンジをかみ砕くと、口の中は美味しいジュースでいっぱいになって、僕の機嫌はたちまち直った。
「一日中居てくれるの?
夜まで?」
「もちろん」とユノはにっこり笑って答えた。
「だって、俺たちの契約はあと2日だ。
予定通りにいってないじゃないか。
俺は未だ不眠だし、多少はマシになったけど身体は熱い。
あそこも臨戦態勢のまま」
ユノの言葉に、僕の視線はババっとあそこに向かってしまう。
「...チャンミン。
お前はホント、この手の話になると反応が素早いんだよなぁ」
「う、うるさい!」
「はははっ。
チャンミンの方は、ふにゃちんのままだし、冷たいし。
...あ、ちょこっとは膨らんだか!
悪い悪い」
「むぅ」
「よし!」
ユノはバチンと手を叩き、ベッドの上のものを片付け始めた。
「今から治療開始だぞ」
「...うっ」
期待半分ドキドキ半分。
寝室はオレンジの爽やかな香りで満ちていた。
・
「チャンミン、服を脱げ」
「えええっ!」
「パジャマが汚れるぞ」
ユノが来てから、パジャマを着ている時はほとんどないんじゃないだろうか。
「パジャマが汚れる...って...何をするんだよ」
僕はぼやきながら、パジャマのボタンを1つ1つ外してゆく。
「...チャンミン。
おかしなことを想像してただろう?」
「......」
図星だった僕は、無言を貫く。
「うつ伏せに寝て」
サイドテーブルにコトリ、と置かれたのは、ミルク色の小瓶だった。
そこには、いい香りがするオイルが入っていることを、僕は知っている。
「マッサージ?」
「うん。
俺のマッサージ、気持ちよかっただろ?」
湯船に浸かってユノに足裏をマッサージしてもらった時の、痛気持ちよかったことを思い出した僕は、頷いた。
「全身の緊張を取るんだ。
えっちなチャンミンの為にお断りしておくが、これは性感マッサージではない!」
「...分かってるよ」
ミントのすっとした清涼感とユノの手の平の熱が、皮膚に沁み込んでゆく。
筋肉を的確にとらえたユノの手技に、「どこかで習ったの?」と尋ねていた。
「まあね。
客には気持ちよく眠ってもらいたいからね、ハートの聞き役だけじゃなく、身体の凝りもとってやりたいんだ」
「真面目だね」
これで何度目になるのか、ユノに感心していた。
「そうだよ~。
俺は真面目で熱い添い寝屋なんだ」
「うん、ホントにそんな感じ。
僕も見習わなくっちゃ」
「はははっ。
いい心がけだ」
はあ...ユノのマッサージは気持ちよい。
うとうとしかけて、ハッとした僕は頭をぶんぶんと振った。
「...ユノ。
話の続きを教えて?
まだ途中だったでしょ?
熱い身体になってしまった、本命の理由」
「...そうだね」
「...ん?」
僕の上にまたがって、僕の背中をマッサージするユノ。
僕のお尻にあたっているこれは...もしかして?
「...ユノ、当たってる」
「これのこと?」
ユノったら、僕のお尻にそれをすりすりと擦りつけるんだ。
ユノはパジャマを着ていて助かった。
生肌同士だったら、突っ込まれてたかもしれない!?
「チャンミンが今、何を考えているのか俺にはよ~く分かっている」
「......」
「俺が壮絶な体験談をしようって時に、エロいことするわけないだろう?」
そう言ってユノは、僕のお尻をぺちっと叩いた。
「しっかし...つくづく思うんだけど。
チャンミンって、可愛いお尻をしてるんだな?」
「!」
跳ね起きようとした僕を、ユノは両膝で抱え込んだ。
・
「カップルの客が、俺の傍らであの世へ逝ってしまった話をしただろう?」
「...うん」
「あの後の俺の話。
心のガードをより固くして、仕事に打ち込んだ。
どれだけ自分の心を守れるか、客の不幸に飲み込まれずに、客に添い寝をしてやれるか。
これだけに精神を使った」
「...うん」
「私生活は荒れていった。
あのカップルが羨ましかった、と言ったよね。
俺にもそんな存在があったら...と夢見るようになった。
あらかじめ言っておくぞ。
俺の元には沢山の客がやってくるけど、俺は客に手を出したことはない。
...この手を出すっていう意味は、プライベートな関係にはしないっていう意味だからな」
「そうなんだ?」
「こら!」
「ごめんごめん、冗談だよ」
ユノは仕事とプライベートをきっちりと分けるタイプだ。
わずか3日間だけど、ユノと会話を交わし、彼の眼とまっすぐな背筋を見ていれば、そんなこと直ぐに分かる。
「その気になれば出逢いは訪れる」
そうだろうな、と思った。
だって、ユノはとても魅力的なんだもの。
「だから俺は、そういう可能性がある者と積極的に交際した。
女とは限らないから、もちろん男とも。
手当たり次第にね」
「...そうだったんだ」
ユノの手は僕の背中を、上へ下へと行ったりきたりしている。
語りながらなのに、その動きはぞんざいじゃなく、指先まで神経が行き届いている。
今のユノは...プライベートに僕を引き込んでくれてるのかなぁ?
そうだったら、いいなぁ、と思った。
(つづく)
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