<弱った僕>
深夜2時。
ぼそぼそと小声で電話で会話をしているらしい会話が聞こえたような気がして、チャンミンは目を覚ました。
きしむスプリング、ごわごわしたクッション。
コートを着たままだ。
常夜灯の黄色い灯りのみで、部屋は薄暗い。
暖房がきき過ぎていて、汗ばむほどだった。
(ここは・・・どこだ?)
頭を上げると、ズキンと鋭い痛みがこめかみに走る。
「いてて...」と、思わずこめかみを手のひらで押さえていると、
「チャンミン、起きたの?」
部屋の向こう側から黒い影が近づいてきて、ようやくユノだとわかる。
さっき聞こえた声の主はユノだったらしい。
「......」
(思い出した!
僕は、風邪でふらふらで、雨が降っていて、帰るのを諦めて...)
ユノはソファに座るチャンミンの目線に合わせるようにしゃがむと、チャンミンの額にそっと手を当てた。
ユノの冷たい手が気持ちいい。
「うーん、まだ熱いなぁ。
どう?
少しは楽になった?」
薄暗い中、ユノの濡れた瞳が光っている。
「......」
現状把握が未だできないチャンミンは、じっとユノと目を合わせるばかり。
黙り込んでいるチャンミンをよそに、ユノは
「起きられる?
歩ける?
家まで送ったげるから、帰ろうか?」
と、優しい声で言った。
「うん...」
チャンミンはやっとで口がきけて、こっくりうなずいた。
「電気つけるね」
ユノが壁のスイッチを入れると、たちまち部屋のすみずみまで明るくなり、チャンミンはまぶしくてちかちかする目をこする。
事務所の白い天井に、ライトの白い光で目がくらむ。
チャンミンは、急に現実の世界に引きずり戻されたような感覚に襲われた。
「ほら行こう。
ずっとここに居る訳にはいかないからね」
差し伸べられたユノの手を握って、チャンミンはよろめきながら立ち上がる。
「ほら、俺にもたれていいから」
よろめいたチャンミンはユノに支えられ立ち上がった。
バサバサとチャンミンの身体の上にかけられていたものが床に落ちた。
小さな毛布や、ジャンパー、作業着やコート、マフラーやらいろいろ。
「あぁ、それね。
寒かろうと思ってさ。
もうね、俺、必死だったんだ。
手あたり次第だったわけ」
舌を出してユノは苦笑した。
チャンミンも、クスリと笑ってしまう。
「ちょっとは元気が出てきたみたいだね。
良かった良かった!」
ユノは床に落ちたコートを拾い上げると、素早く羽織り、マフラーをチャンミンの首にぐるりと巻いた。
「えっ?
これ...?」
「俺の。
冷えるといけないから貸したげる」
「うん...」
まだまだ身体がだるく、頭痛も治まっていなかったが、ずいぶん楽になっていた。
「夜中の2時だよぉ。
早く帰ろうか?」
「...うん...」
「俺が送ってってやるからね」
「うん・・・」
ユノは、チャンミンの腕に手を添えて支える。
ユノはチャンミンの脇の下に自身の肩をねじ込んで、腕を首に回して手首をつかんだ。
(全く、世話のやける奴だな)
チャンミンは身体が弱っていたのもあって、いつも以上に無言で、元気な同僚に素直に従っていた。
普段も大抵、ユノがしゃべって、チャンミンは無口で聞き役だ。
パチンとスイッチを切ると、事務所は真っ暗になった。
廊下に、ふらつく長身の男と、それを支える長身の男の影が伸びる。
エントランスのドアを開けると、街頭に照らされ光る濡れたアスファルト。
「雨、あがったみたいだ...。
良かった良かった」
ユノはエントランスのドアを施錠する。
よいしょっとチャンミンを抱えなおしたユノは、雨に濡れた階段へ足を踏み出した。
ユノのブーツに遅れて、チャンミンのスニーカー。
チャンミンは、隣のユノに視線を向けた。
表情は真剣で吐く息は白く、一生懸命な同僚。
そんなユノをどこか新鮮な思いで、まじまじと見つめてしまうチャンミンだった。
はた目には、二人は酔っ払いと、介抱する者に見えるだろう。
時刻は深夜で、通りにはひと一人歩いていない。
二人の足音だけが、周囲に響く。
チャンミンはユノに負担がかからないよう、身体を真っすぐに立て直そうとした。
「まあまあ、無理せんと。
ここは俺に頼りなさい。
さぁ、チャンミン、お前の家はどこ?」
「いや、悪いよ。
タクシーで帰れるから...」
と言いかけたが、
(あ!お金がないんだった!)
と、思い出した。
「えぇっと...悪いんだけど。
タクシー代を貸してくれないかな?」
チャンミンはよろめく足元をこらえながら、ユノの肩から腕を抜いた。
ユノは目を細めて、
「馬鹿者!
病人をほっとけないよ。
よし!
一緒にタクシー乗ろう。
で、チャンミンちで降ろしたげるからさ」
再びユノは、チャンミンの腕を首にまわし、リストバンドの画面を操作し、タクシーを呼んだ。
タクシーを待つ間、チャンミンはユノに支えられたまま。
ユノは首にまわしたチャンミンの手首をつかんだまま。
二人は無言で立っていた。
冷え冷えとした11月の夜気がユノの頬を赤くさせ、熱にほてるチャンミンは、むしろ心地よいと感じた。
ユノから借りたマフラーのおかげで、首まわりは暖かい。
「えぇっと...。
夜遅くまで...ごめん」
ユノはびっくりした声で、
「気にすんな。
困ってる同僚はほっとけないだろ?」
すーっとタクシーが二人の前に止まった。
「ほら、乗った乗った」
チャンミンは後部座席の背もたれに、ぐったりと身体を預けた。
(つづく)
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