チャンミンとの深夜残業を終えた日、俺は風邪をひいてしまった。
運転席で眠るチャンミンにコートをかけてやるという、カッコつけた行為の結果が風邪っぴきだ。
寝不足、というのもある。
ぞくぞくと寒気がする、これはもしかして...と嫌な予感を抱えて、なんとか午前中の業務を終えた。
体調は悪くなる一方で、帰社する必要はないと判断した俺は、午後には真っ直ぐに帰宅することにした。
無理せず布団にもぐりこんで、さっさと寝るに限る。
デキる男チョンユンホ、体調不良を押してのパフォーマンス悪い仕事するべからず、周りに伝染すべからず。
とは言え、平日の昼間どきに、自宅のアパートのベッドに横になっているのも落ち着かないものだ。
熱を出すと世界が1枚膜を通したかのように、ふわふわと現実じゃないみたいだ。
レースカーテンを透かした日光によって、部屋に舞うほこりがよく分かる(休日に掃除をしなくては)
今頃チャンミンは、どうしてるかなぁと想像してみた。
無遅刻無欠勤だったチャンミンの、初めての遅刻。
真っ赤な顔でこそこそと出社して(抜き足差し足で)、PCを立ち上げデスクに散らばったプリント用紙を「未」とテプラを貼った書類ケースに入れる。
デスクにぺたぺたと貼られた付箋をチェックし、要点を欠いたメモ書きに、「5W1Hの基本がなっとらん」と眉間にしわを寄せる。
そして、七三分けを撫でつけ、肩をぐるんと回し、長い首を左右にこきこきやって、「よし!」と自分に喝を入れたのち、仕事開始だ。
うん、きっとこんな感じに違いない。
ここまで細かに想像できる俺。
やれやれ、やっぱり俺はチャンミンに参っているんだと、あらためて実感した。
「......」
先ほどから枕元で振動を続けるスマートフォン。
これで7回目(しつこい奴だ)
得意先からの電話だったりしたら、現場に駆け付けなくてはならなくなる。
5コール目で留守電に切り替わるからと、俺は無視を続ける。
それくらい俺の身体はしんどかったのだ。
電源を切ってしまおうか、と手を伸ばした際、うっかり通話ボタンをタップしてしまったらしい。
「ユンホさん!!!!!」
スマホを耳から遠ざけねばならないほどの、大声。
電話に出るなり怒鳴られて、画面に表示された発信者名に、スマホを取り落としそうになってしまった。
(チャ、チャンミン!!!!)
「...はい」
スピーカーフォンに切り替えた。
もっといい感じに出ればいいのに、他人行儀な、営業電話に出るかのような固い声...照れ臭かったのだ。
「ユンホさん!!!!」
スピーカーの音が割れるほどの大音量。
「ああ」
「どこいっちゃったんですか!?
まだ帰ってこないんですか?」
時刻を見ると17:30で、いつの間にか3時間ばかり眠っていたようだった。
「今日は社に戻らないんだ、直帰の予定」
「えええっ!!
聞いてませんよ」
「そりゃそうだ、言ってないからな」
「ユンホさんのお帰りを待っていたんですよ!」
チャンミンと約束していたっけ?と記憶をたどってみたが、それらしい会話はしていないはず。
俺の返答に大いにお気に召さなかったらしい、電話の向こうでムスっとしているのが、目に浮かぶ。
体調不良の今、チャンミンの相手をするほどの気力がなく、「今、出先なんだ。切るぞ」と通話を打ち切ろうとしたが...。
「僕っ...仕事帰りにユンホさんと、カフェーにでも行こうかと...。」
「ごめん、そっか...」
俺とチャンミンは、そういえば『交際』しているんだった。
肩を並べて帰宅する...放課後の高校生かよ、と思ったけど、もちろん口には出さない。
「どこにいるんですか?」
「えっと...G町のあたりかなぁ(嘘)」
「今から、そっちに行きます!」
「いや、来なくていいよ。
遠いし...」
「いいえ!
行きます!」
「来なくていい。
この後、用事があるんだ」
「...用事って、何ですか?」
「いや...いろいろと...」
「いろいろって...仕事に関係することですか?」
「...個人的なことだよ」
「『個人的』...」
しまった...話をややこしくしてしまったようだ。
正直に、自宅で寝ていると言えばよかったのだが、チャンミンに心配をかけてしまう。
ネガティブ思考のチャンミンは恐らく、「超」心配性とみた。
面倒がる俺を、救急外来に引っ張っていきそうだ。
「...どなたかと、デートですか?」
恨みと不安のこもった低い声で、ぼそっとつぶやいたチャンミン。
「はあ?
デートって誰と?
んなワケないだろう?」
「じゃあ、どうして僕がそちらへ行くのを渋るんですか?」
「だからさ、チャンミンも疲れてるだろう?
ほら、昨夜はちゃんと寝てないし。
寄り道しないで、まっすぐ帰りな、な?」
「ユンホさん、僕は胡麻化されませんよ?
遠かろうと、寝不足だろうと、僕はユンホさんに会いに行きます!
お休みの計画を立てないと!
昨日、打ち合わせをしようって、食堂でお話しましたよね?」
そんなような会話をしたようなしてないような...。
「あ...!」
今さらながら思い出す、次の休日つまり明日、チャンミンと初デートの予定だったことを!
「思い出しましたか?」
「...ごめん」
チャンミンのご機嫌が悪くなるはずだ。
このまま適当な言い訳で胡麻化すよりも、正直に話してしまった方が話は早いと判断した。
「ごめん、今さ、家にいるんだ」
「どうしてですか?」
「う~ん...。
風邪ひいたみたいでさ、早退したんだ。
だから、今日はごめん、お前とカフェーには行けない」
「......」
嘘ついたことを怒ってるんだろう、チャンミンは無言だ(冗談とか、取り繕うための嘘とか、チャンミンはいかにも嫌いそうだから)
「...僕のせいですね?」
「チャンミンのせい?
なんで?」
「ユンホさん、僕に上着をかけてくれましたよね?
寒かろうに、って。
そのせいです。
...申し訳ないことをしました」
「チャンミンのせいじゃないさ。
最近忙しかったし、不摂生がたたったのかもしれないし。
だから、チャンミンのせいじゃないよ」
「......」
「チャンミン?」
俺の呼びかけに応えないチャンミン。
「お前のせいじゃない」
「合点しました!」
「!!!」
「ユンホさん、待っててください。
僕が今から助けにいきます!」
「来なくていい!」
「どうしてですか!?」
「チャンミンの相手ができるほど、俺は元気じゃないんだ。
熱もあるし、横になっていたいんだ」
「えええっ!!!!
重症じゃないですか!?」
「ただの風邪だって。
明日には治る!」
「今から駆け付けます!
ユンホさんの自宅は分かってますから」
「え...?」
「ユンホさんの誕生日と一緒に、ご住所も記憶してますので。
ほら、免許証のコピーを取った時に、見えてしまったのです。
見ようと思ってみたわけじゃないですからね」
「...そっか」
チャンミンは視覚的記憶に優れている、と心のチャンミン録に新たなメモ書きが加わった。
「超特急で向かいますからね。
ベッドで大人しくしていてくださいね。
あ...!
ユンホさんは敷布団派ですか?
とにかく、布団でネンネしているんですよ」
そこまでまくしたてたチャンミンは、ブツッと通話を切ってしまった。
「はぁ...」
疲れる...疲れるけど、チャンミンにこれから会えるのか。
体調不良で心細くなっていたところに、恋人がお見舞いに来てくれるとは。
ウキウキしている自分がいた。
「そっか...チャンミンは俺の恋人なんだよなぁ...」
(つづく)
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