先に通された俺の背後から、チャンミンがかけたドアチェーンのガシャンという音。
これで、Dが戻ってきたとしても、俺たちが外してあげない限り入室できない。
防犯意識が高そうなチャンミンらしい行動に見えるし、Dへの拒絶の意志表明にも見えた。
「へぇ。
間取りは真逆になってるんだね」
チャンミンといざ二人きりになって、なぜだか緊張してしまった俺は、靴を脱いでベッドに上がり、きょろきょろと室内を見回した。
別段、特別な部屋じゃない、普通のダブルルームだ。
俺の前に座ったチャンミンの顔をまともに見られなくて、買い物袋から焼酎の瓶やスナック菓子を出して場を取り繕った。
やっぱり...両足を崩して座っているチャンミン。
だからさ、その腰のひねりが妙に艶めかしいんだって。
「プラカップはあっちの部屋に置いてきちゃったね」と、ミニ冷蔵庫脇のキャビネットからマグカップを取り出した。
「...さて、と」
互いのカップに酒をなみなみと注ぎ合い、乾杯の意味でカチンと控えめにカップを合わせた。
ひと口中身をすすって、「ふう~」と二人同時のため息に、俺は吹き出してしまった。
うつむいたチャンミンの両肩も、くっくと揺れている。
これで一気に、緊張が解けた。
お疲れさん会、女子はマジで勘弁会...それから、俺とチャンミンの親睦を深める会。
だからと言って、己の彼女の『悪口をぶちまけよう会』をする気はなかった。
AやDが一方的に悪い、とも言いきれないと思ったからだ。
そう何人もの女の子と付き合った経験はないから一概には言えないけれど、女の子とはああいう生き物なんじゃないか、と。
それに、俺はAに、チャンミンはDに恋をして、彼女たちの彼氏になったのだから。
これまで「何か違うんだよなぁ」と、うすうす感じていたことが、昨日あたりから確信に近いものになっただけのことだ。
俺はチャンミンをジロジロ見てしまうし、彼の方も俺をジロジロ見ていた。
とある世界で、生まれて初めて男を目にしたかのような好奇心に満ちた眼で。
スナックを咀嚼し、酒を飲み、油のついた指をウェットティッシュで拭う。
短く切った爪や、男にしては華奢な指に、「ふむふむ。この指でDの身体を触ったわけだ...」と想像し始めた自分に、「こら!」とツッコミを入れたりして...。
「ユノ?」
チャンミンに膝を突かれた時、不意打ち過ぎて、カップの中身をがぶりと飲み込んでしまった。
強いアルコールの刺激に目を白黒させた俺に、チャンミンは「ごめんね」と謝った。
考え事に夢中になって、無言になってしまった俺に不安になってしまったんだろう。
まさか、チャンミンとDとのえっちシーンを想像していただなんて言えない。
「ねぇ...もしかしてユノは、お酒、弱いの?
さっきもジュースみたいなお酒を飲んでたし」
「...強いとは言えないね」
マグカップに注がれたアルコール度数25%の焼酎は、俺にとっては毒みたいなもので、舐めるように舌を湿らす程度にとどめていたのだ。
「教えてくれればいいのに...気がきかなくてごめんね。」
チャンミンにカップを取り上げられて、「ええ~」と口を尖らせてみせる。
Aにしか見せたことのない、甘えんぼな仕草だったけど、酔っぱらって開放的になった俺にはなんの抵抗もない。
チャンミンはちょっと目を丸くして、ちょっと驚いた風だったけどね。
俺の外ヅラは、男気溢れるキリっとクールな男を目指していたからね。
チャンミンは俺から取り上げたカップの中身を、自身のカップに全部あけてしまった。
「代わりにこれを飲みなさい」
そう言って、空になったカップに炭酸ジュースを注いで手渡してくれた。
そんな甲斐甲斐しいところが、Dをつけあがらせたんだな。
彼女たちの会話の中身に全く触れないのも、気まずいだろうなぁ。
だから俺は、ズバリ本題に入ることにした。
・
「...女子って怖いよなぁ...」
チャンミンの反応をそうっとうかがいながら、さっき盗み聞きしてしまった件を話題に出した。
「...僕がいたらないせいです...」
チャンミンはマグカップをボードヘッドのヘリに置くと、両膝を抱えて座った。
「相性のいい悪いもあるしさ...」
チャンミンを傷つけないよう、言葉選びに神経を使う...いや、気を遣ったりなんかしたら、余計に失礼だな、と思い直した。
「...Dが初めてだったんだ」
「えっ!?」
男相手にずばり暴露するチャンミンに、相応しい反応を見つけられない俺。
俺だったら口が裂けても言えないことを、さらっと告白できるチャンミンにたまげた。
「...そっか。
じゃあ、仕方がないなぁ」
「僕なりに予習はしてきたんだけどね。
あ、予習ってのは、その...つまり」
「エロ動画だろ?
あれはなぁ...リアルとは違うからなぁ。
参考にはなるけど、結局あれは、男が抜くためにあるものだからなぁ」
(彼女たちめ...チャンミンに一生消えない傷を負わせたな)
「そうなんだ。
Dが『いやっ』とか『やだっ』って言ってて、それはつまり...その...感じてるからそう言ってるんだと勘違いしてたみたいだね」
「その辺の見極めが難しいよなぁ。
大してよくもないのに、めっちゃ喘いで感じてるフリをすることもあるだろうし」
なんせAだって、俺のお触りにウンザリしながら、俺の首にしがみついていたわけだし。
ダブルベッドで膝突き合わせて男二人、ふざけた空気一切なしの、腹を割ったトークが始まった。
「ユノはやり手なんだね?」
「は?
俺が?
普通だと思うけど」
「ユノは今まで何人としてきたの?」
普通の男友達相手だったら、見栄もあるから実際の数に5人プラスするところだったが、チャンミン相手には見栄は不要だ。
天井を仰いで、ひとりふたりと数え、「...3人かなぁ」と答えた。
「へぇ。
ユノってカッコいいから、もっといっぱいいるんだと勝手に思ってた。
僕はね、いざその時になると、どうしたらいいか分からなくなるんだ。
カッコ悪いよね。
そのせいで前の子にはフラれたんだ」
「緊張するんだろ?
分かるよ。
俺も初めての時は、すげぇ緊張したよ」
全裸の女の子が横たわり、チャンミンからの挿入を待っている図、が思い浮かんだ。
(この待ち時間が長かったり、見当違いなお触りだったりすれば、しらけるよなぁ...)
「ううん。
緊張じゃないんだよ、あれは。
ねぇ、ユノ。
彼女が出来たら、その子とえっちしないと駄目なのかなぁ?」
「駄目じゃないけど...えっちを楽しむのも含めて、女の子と付き合うんじゃないのかなぁ?
えっちだけが目的じゃないけどね」
もしかしてチャンミンは、淡泊なたちなのかなぁ、と思った。
「あのね。
Dはああ言っていたけど、僕はそのう...。
結局、入れられなかったんだ」
「ええぇっ!?
...ってことは?」
「そうだよ。
僕とDはえっちしていないの」
チャンミンと不発に終わった行為を、さもしたかのようにAに話していたのだ。
目尻の縁と頬を赤く染め、両膝に顎を乗せてとろんとした眼。
「だから僕は、未だに童貞なわけです」
「気にするな。
相性のよい子は見つかるさ」
Dとは別れる前提の台詞を、自然と吐いてしまっていたけれど、チャンミンは否定しなかった。
チャンミンの中で、結論は出たのかもしれないな。
「...相性のいい子なんて、見つかりっこないよ」
「大丈夫、見つかるさ。
だってさ、チャンミンはいい顔してるし...」
「...見つからないよ。
分かったんだ、僕...」
チャンミンの半身がかしいで、こてんとベッドに転がってしまった。
「酒に酔い過ぎたか!?」と俺はビックリして、チャンミンの肩を揺すり覗き込んだ。
「平気だよ。
僕はアルコールにはすごーく、強いの」
「あ、そ。
それならいいんだけど」
ホッとして、チャンミンから身を離したとき、二の腕をつかまれ引っ張られた。
「わっ!」
勢い余ってごろんとベッドに倒れこんでしまい、チャンミンの顔が間近に迫り、ドキンとした。
気付いていないふりをしていたけれど、さっきから感じていたんだ。
上目遣いで俺を見るその眼差しが、熱と湿度のこもったものであることを。
これは、眼の据わった酔っ払いのものじゃない。
隣室の客がシャワーを浴びる音。
救急車のサイレンが近づいて遠ざかった。
完全なる静寂じゃないのに、互いの吐息がはっきりと聞こえる。
片肘をついて半身を起こしたチャンミン。
チャンミンの顔が近づき、俺の唇がチャンミンのものに塞がれるまでの一連の流れは、あまりにも自然だった。
(つづく)
[maxbutton id=”23″ ]