~チャンミン~
僕には未解決のことがある。
リアの件だ。
別れを受け入れてもらうのを、待たないことに決めた。
贅沢なこの部屋を借り続けられるのも、あと1か月が限界だった。
先週のうちに、退去の連絡を入れ、引き落とし専用口座に翌月分の家賃の入金を済ませた。
リビングやキッチンでリアと無言ですれ違う。
リアはちら、と僕と目を合わせるとすぐに目を反らしてしまう。
何かを言いたげなのに何も言わない。
僕の方も声をかけられずにいて、我ながら臆病者だと思う。
入浴後のバスタオルを巻いたままのリア、下着姿でソファに座ってTVを見ているリア、同じベッドで眠るリア。
僕は全然、欲情しない。
あれほど愛していたのに、今の僕は早く離れたくて仕方ない。
リアへの想いではち切れんばかりだった僕の愛情も、1年をかけてしゅるしゅると抜けていって、今じゃ空っぽだ。
その空っぽになったスペースに、いつの間にか別の女性の存在が侵入してきて、もうすぐ満タンだ。
リアなしじゃ生きていけないと言い切っていたのが、今じゃこうだもの。
人の心なんて頼りにならず、未来がどうなるか分からないものだ。
・
翌日、引っ越し先が決まりもしないうちに、僕は荷造りを開始した。
民ちゃんは手伝いを買って出てくれた。
僕らは引っ越し業者が置いて行った段ボール箱に、運び出すものを詰めていく。
(民ちゃんの荷造りは簡単だ。僕のうちに来た時の5つの段ボール箱が、彼女の持ち物の全てだ)
「電子レンジはどっちのです?」
同棲した末の別れで一番頭を悩ませるのは、持ち物の線引きだ。
「僕、かな。
コーヒーメーカーも僕のだよ」
僕のものだけれど...正直、どれもこれも色褪せてしまった感が否めない。
荷物なんて全部置いていってしまっても、全然構わなかった。
そんなことしたら、リアに迷惑をかけてしまうから、やむを得ず持って出る。
一から新しい生活を築きたい。
そんな心境だった。
「食器は?」
「いくつかは棚に残しておいて。
まだしばらくは使うからね」
「はーい」
民ちゃんは新聞紙でお皿やらグラスやらを手際よく包んでいる。
(お店に勤めていたから、こういう梱包作業は得意なんです、と言っていた)
「あの...チャンミンさん」
「ん?」
「TVとか、冷蔵庫とか...家具はどうするんですか?
半分に割るわけにはいかないでしょう?」
リアと資金を出し合って購入したものたちだ。
「次の住まいには大き過ぎる。
置いていくつもりだよ」
1LDKか2Kあたりの部屋を念頭に置いて、そう答える。
家具も家電ももう一度、少しずつ買いそろえればいいことだ。
「寝室の方は、私はタッチしない方がいいですよね?」
「クローゼットの中はそのままでいいよ。
全部リアのものだ」
「はーい。
次はどこを片付けましょうか?」
「洗面所をお願いしていい?」
「はーい」
洗面所へ向かう白い足首が、床にあぐらをかいた僕の前を通り過ぎる。
「タオルはどうしましょう?」
「うーん...どうしようかなぁ...」
2人で使ったタオルを残されてもリアは困るだろうし、恐らくゴミ箱行きになりそうだ。
「2、3枚だけ持っていくよ」
「はいはーい。
チャンミンさん、この収納棚は備え付けですか?」
「ああ。
中身を出さないとね。
化粧品系はリアのものだからね」
「了解でーす」
僕はTVボード内のDVDやゲームソフトの選別にかかっていた。
「ひっ!」
「ん?」
「......」
「民ちゃん?」
「......」
返事のない民ちゃんに心配になった僕は、洗面所へ顔を出す。
「民ちゃん?」
開け放ったキャビネットの前で、民ちゃんは手にしたものをじっくりと観察している。
(ミミミミミミミンちゃん!!)
僕は扉を閉め、民ちゃんの手から問題の物を取り上げた。
「チャンミンさんたち...お盛んだったんですねぇ...」
つぶやいた民ちゃんは、信じられないといった表情で僕を見る。
「何箱も...通販ですか?」
(恥ずかしいから口に出さないで!)
「使いかけって...生々しいですね」
かぁっと顔が熱い。
民ちゃんに見られたくないものを見られてしまった。
「こういうものって、ベッドの側に置いておくものじゃないですか?」
ゴミ袋に全部突っ込むのを見た民ちゃんったら、とんでもないことを言い出すんだから。
「あれ?
持っていかないんですか?
勿体ないですね」
「持っていくわけないだろう!」
僕の大声にひるんだ民ちゃんに、僕は「ごめん」と言って彼女の頭を撫ぜた。
リアとの暮らしの名残は、全部捨てていく。
夕方には、現段階で詰められるものは全部、箱に詰め終えた。
「チャンミンさんの持ち物って...少ないんですねぇ」
リビングの片隅に積み上げられた段ボールの数に、民ちゃんは感心している。
引っ越し業者に依頼せずとも、レンタカーで運んでしまえそうな数だった。
「そうかな?」
家具や家電はそのままだったから、ぱっと見には片付いた感はしないけど、引き出しの中にはもう、僕のものは入っていない。
晴れ晴れとした気持ちの一方、寂寥感のようなものを拭えずにいた。
どんな形であれ、恋の終わりは心がすうすうとして、とても辛い。
「民ちゃんのおかげで早く済んだよ、ありがとう。
夕飯を御馳走するよ。
何か食べたいものはある?」
「出前のピザが食べたいです。
フライドチキンを付けてください」
宅配ピザのメニューを楽しそうに眺める民ちゃんに口元がほころんでしまうが、心の半分はリアのことを考えていた。
リアは次の部屋を見つけられるのだろうか、引っ越し費用は用意できるのだろうか...と心配だった。
リアに対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったんだ。
僕にできることは手伝ってやろう、と。
こういう中途半端な優しさが僕のいけないところだってことは、分かってはいるんだけど。
(つづく)
[maxbutton id=”27″ ]