~ユノ34歳~
Bは「...そう」と、つぶやいただけだった。
ため息も俺に聞かせるものじゃなく、大きく上下したBの肩でそれと分かるものだった。
涙をこぼすでもなく、「どうして!?」と責めもしなかった。
Bは無表情だった。
俺は、といえば、断固とした意志と詫びの意思を込めて、Bから目を反らさなかった。
「行きましょう」
先ほどまでの重苦しい空気を断ち切るように、Bは立ち上がった。
そして、俺の手をひいて部屋へと向かう。
「どうした?」
ここでも気付かないふりをした。
「旅行の土産か?」
「避妊はちゃんとするから」
その言葉が嫌味に聞こえないことに、苦しくなった。
最後に抱いたのはいつだったか...。
1か月前...いや、3週間前だ。
イベント会場に向かう日の朝だった。
上の空だった。
Bが可哀想だった。
ここで拒んだら、Bのプライドをずたずたにしてしまう。
Bは俺の答えを最初から予想していたのかもしれない。
・
ことの後、白く華奢な肩を見せてBは眠ってしまった。
チャンミンを抱いた日に、妻を抱く。
萎えることなく、Bの丹念な愛撫に反応した。
チャンミンの中を荒したもので、妻の内部を埋めた。
俺はなんと、卑しい男なんだ。
女も男も抱くことができる男。
妻もその弟とも関係をもつことができる男。
彼女を起こさないようベッドを抜け出した。
眠るBの耳元で「仕事の電話が入った」と...「一人になりたいわけでも、誰かに会いにいくわけじゃないよ」の意味をこめて...囁いた。
後で「どこに行っていたの?」と咎められても、
「寝てたから聞こえなかったのかな?
仕事関係で連絡をいれたいところがあったんだ」と、堂々と言い訳できる。
スマホを取って部屋を出た。
エレベータホールに置かれた肘掛け椅子に腰かけた。
脚を組み、素足に履いたスリッパを揺らし、スマホを耳に当てた。
パタパタとスリッパを叩く自身の裸足のかかとを見ていたら、靴下だけを残して服を脱いでしまったチャンミンを思い出した。
鍵がかかっていたとはいえ、公共の場で...。
交わる時、チャンミンは着衣を好まない。
全て脱いでしまう。
昼間の時は靴下を脱ぎ忘れるほど、切羽詰まっていたのか。
網ストッキングの男娼の絵画も、制作途中で仕舞われたままだ。
「ふう...」
声を聞きたい相手はもちろん、チャンミンだ。
愛撫もなし、後ろから貫くだけの、繋がることだけが目的の行為だった。
フォローの言葉をかけてやらないと。
ところが、呼び出し音が1コールも鳴る間もなく、『おかけになった電話は...』とのアナウンスだ。
昨日の昼間を思い出した。
スマホのバッテリーが落ちているのか...、まさか、X氏に捕まっていることはないはずだ。
X氏はイベント終了まで会場にいた。
チャンミンが帰りの電車に乗ったのかは、見送ることもできなかった俺は確認していない。
帰り道ふと思い立ち、あてずっぽうで降り立った町で一泊しているとは思えない。
俺だったらやりかねない行動でも、チャンミンは計画無しの行動をとるような子じゃない。
とっくの前に帰宅してる頃だ、チャンミンの自宅の固定電話をタップした。
『まあ、ユノさん?』
陽気で朗らかなチャンミンの母親の声。
「チャンミンは?帰ってますか?」
挨拶もそこそこに...でも、気が急いた感は抑えて、穏やかな声音を意識して訊ねた。
『ええ。
突然帰ってくるから、びっくりしたわ。
ごめんなさいね、チャンミンの面倒を見て下さって。
お邪魔じゃなかったかしら』
「こちらこそ、相手をしてやれなくて申し訳なかったです」
『疲れて寝てるかもしれないわね』
「そうですか...。
起こしてしまっても可哀想ですから...これで」
チャンミンが無事、帰宅していることを確認できただけで十分だった。
休ませてあげたかった。
この3日間、17歳のチャンミンが経験するには重く辛いことだらけだった。
通話を切ろうとしたが、義母さんは電話の向こうでチャンミンの名を呼んでいる。
階段を上りながら、「チャンミ~ン」と。
~チャンミン17歳~
母さんから子機をもぎ取り、彼女が立ち去るまでジリジリと待った。
「...義兄さん?
どうして?」
『スマホにかけても繋がらないから』
「うそっ」
ポケットから取り出したスマホは、バッテーリー不足で電源が落ちていた。
「...電源が切れてました」
『ふぅ...』
義兄さんの低いため息が、受話口を震わせた。
まるで僕の耳穴が、義兄さんの吐息がくすぐられたみたいに、ぞくりとした。
『昨日も電話が繋がらなくて、生きた心地がしなかった...』
X氏の部屋に居た時も、スマホが使い物になっていなかった。
僕は義兄さんに心配をかけてばかりだ。
「すみません...」
『無事に家に帰っていたようで安心したよ』
「僕に...何か?」
素っ気ない言い方になってしまう自分。
嬉しさで胸がドキドキしてるのに、義兄さんを前にするとひねくれ者になってしまうのだ。
かわりばんこに受話器を持ち替えて、汗がにじんた手の平を太ももで拭った。
背筋を伸ばして、義兄さんの言葉に集中し、反面、僕は彼に話したい言葉が見つからない。
突然の電話に、僕は嬉しさのパニックに陥っていたからだ。
『声が聞きたかっただけだ』
身体の芯がきゅっと痺れた。
「...はい」
やっとのことで、絞り出した「はい」だった。
『俺を信じて、な?』
「はい」
嬉しくて嬉しくて...嬉しくて。
『次の週末、近場にドライブに行こうか?』
「はい」
僕は泣き虫だ。
子機を返しに階下に下りるまで、30分が必要だった。
(つづく)
[maxbutton id=”23″ ]