(13)君と暮らした13カ月

 

~春~

 

 

私の後を付いてまわったチャンミンが、今度は私を従えて先を走る。

 

チャンミンの大きなお尻が弾んでいる。

 

丸めた背中がバネとなる、太い後ろ脚が地面を蹴り、前脚が衝撃を受け止める。

 

団扇のような両耳は風にたなびいている。

 

大きな鼻の穴は酸素を取り込もうと、開きっぱなしだ。

 

「チャンミン!」

 

先を行ったチャンミンを呼ぶと、四肢を踏ん張り急ブレーキをかける。

 

口角は上がり、真ん丸な眼が半月になって、笑顔に見えた。

 

全速力で私の腕の中に、飛び込んでくる。

 

勢いが強すぎて、チャンミンを受け止めた私は後ろにひっくり返ってしまう。

 

私の背中に押しつぶされた若草の匂いがぱっとたちのぼった。

 

大の字に寝っ転がった。

 

大鷹が旋回している。

 

遠くの農地から、畑を耕すトラクターのエンジン音が草地を震わせ耳に伝わる。

 

眩しくて麦わら帽子で顔を覆うと、チャンミンはその下に鼻ずらを突っ込んで私の顔じゅうべろべろ舐めた。

 

チャンミンのよだれは、そよ風で乾いてしまう。

 

チャンミンはよっぽど私のことが好きみたい。

 

チャンミンを撫でまわし、頬ずりをして、お腹をかいてやる。

 

嬉しくて仕方がないのだろう、チャンミンはふごふご鼻を鳴らし、もっと不細工な顔になった。

 

くすくす笑いが胸の奥から湧き出てくる。

 

ひらひら飛ぶ蝶々に噛みつこうと口をパクパクさせたり、猪がほじくりかえした穴にすぽんと落ちてしまったり。

 

頭から突っ込んで後ろ脚をバタバタさせているチャンミンを、助け出してやるのだ。

 

後ろ足でお腹をかく姿は、ドジを踏んだ自分に照れて、「すんません、穴があるとは...」と言い訳しているように見えた。

 

チャンミンの目線に合わせて四つん這いになってみる。

 

「落っこちても仕方ないよね、チャンミンはチビだから」

 

丈が伸びた穂草で行き先を見通せなかったのだ。

 

よそ見や寄り道をしながら、私が追い付くなり、もっと遠くへ跳ねるように駆けてゆく。

 

私は知っている。

 

チャンミンの後頭部にはもう一つの目があるのだ。

 

私がちゃんと付いてきているか、私の存在を常に意識している。

 

私が見守っているから、チャンミンは安心して草原を駆け回れるのだ。

 

あまりに遠くまで探索に行ってしまうから、意地悪な気持ちがどうしても湧いてくる。

 

チャンミンの白いお尻がジグザグに遠ざかるのを見計らって、彼とは逆方向へ私は走った。

 

「さあ、ついて来られたかな?」と、立ち止まって振り返ると、私の姿が見当たらないと焦りだす。

 

慌てた顔が見たかった。

 

チャンミンが赤ちゃんだった時には、どうしても出来なかった悪戯だ。

 

背後に私がついてきていないことに理解が追いつくやいなや、周囲を見回す。

 

引き返しては鼻先を天に向け、風にのって漂ってくる空気中に私の匂いを懸命に嗅ぐ。

 

「そこにいたんですね!」

 

私を見つけた時のチャンミンの顔といったら。

 

チャンミンは私の成すこと全てを真に受け、疑わない。

 

これが私の意地悪だったなんて、これっぽちも思っていないはずだ。

 

それどころか、「見失ってしまってごめんなさい」と、お腹を見せて私のご機嫌取りをしている。

 

意地悪の概念がないのか、私が意地悪をするはずはないと信じているのか。

 

「馬鹿だねぇ、お前は。

私のことを信じきって...」

 

チャンミンはひっくり返り、5カ月経ってもぽわぽわした産毛しか生えていないピンク色のお腹を見せた。

 

そこだけ渦を巻いたおへその毛をくすぐった。

 

 

走っても走っても、なかなか草原の端っこにたどり着けない。

 

運動不足な私がこんなに走ることができるなんて!

 

牧草は柔らかくスニーカーを受け止める。

 

チャンミンと並んで地面に腰を下ろし、柵にもたれて眼下に広がる街を眺めた。

 

リュックサックにいれてきた魔法瓶とコーンフレークの箱を出した。

 

汗をかいて暑いのに、温かい飲み物は喉を潤し、ホッとさせてくれる。

 

チャンミンのために魔法瓶の蓋に注いで、彼の足元に置いた。

 

「熱いからね。

冷めてからだよ」

 

チャンミンは人間じゃないのに、お茶が好きなのだ...それも、砂糖が沢山入った甘いお茶が。

 

お茶が冷めるのを待つ間、チャンミンはなにやら考え事をしている(ように見える)

 

チャンミンの頭の中を覗いてみたい。

 

「チャンミン、街まで行きたい?」

 

恐る恐る尋ねてみた。

 

チャンミンはふん、と鼻を鳴らしたので、私はほっとした。

 

チャンミンの頭が勢いよく横に振られ、私の肩ごしの向こうを注視していた。

 

ユノさんのトラック以外の自動車を見つけるや否や、チャンミンは草むらに隠れてしまう。

 

ヨモギの群生から、チャンミンの大きな耳がはみ出していた。

 

チャンミンは自分の姿形が不格好だと知っているのだ。

 

恥ずかしいのか、恐ろしいのか...その両方か。

 

それから、姿を見せたら大騒ぎになってしまって私を困らせたくないから。

 

私は麦わら帽子を深くかぶり直し、ユノさんちへ向かう郵便配達の自動車をやり過ごした。

 

「行っちゃったよ。

出ておいで」

 

声をかけると、チャンミンは草むらから飛び出してきた。

 

そして私を従え、「僕を見て!」と、右へ左へと素晴らしい跳躍をみせてくれる。

 

「チャンミン!

待って!」

 

...急に不安になった。

 

チャンミンは動物園で発見された謎の生き物。

 

珍種だからと、研究所のようなところに連れていかれたらどうしよう...。

 

そんなことはさせまいと、ユノさんが守ってくれる...だから大丈夫だ。

 

一昨年の出来事も去年の事件も、私に非がないように、ユノさんが頑張ってくれた。

 

私はチャンミンのママだけど子供で弱いから、ユノさんに守ってもらうのだ。

 

チャンミンのママ?

 

近頃の私たちは、親友同士みたい。

 

チャンミン...どこにもいかないでね。

 

12年間生きてきた人生で、最も愛し、唯一無二の宝物はチャンミンだった。

 

愛しさのあまり、泣き出してしまいそうだった。

 

 

(つづく)

 

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