(90)NO?

 

~チャンミン~

 

「私みたいなおっちょこちょいが来て、チャンミンさんを煩わせてしまいました」

 

「煩わせてなんかいない...。

僕は民ちゃんが来てくれて、楽しかったんだ。

リアとじゃなくて、民ちゃんと...」

 

「ダメですよ!」

 

民ちゃんの鋭い声に僕は、びくりとした。

 

「よそ見してたらダメですよ」

 

「え...!?」

 

民ちゃんはもしかして...僕の気持ちに気付いて...いる?

 

「美味しいご飯を作ってくれてありがとうございました。

お洋服もいっぱい貸してくれて助かりました。

それから...。

コンテストを見に来てくれて嬉しかったです。

それから...。

お部屋探しを手伝ってくれてありがとうございました」

 

「待って、民ちゃん」

 

全部がお別れの言葉に聞こえてきた。

 

「花火...出来ませんでしたね」

 

「いつだってできるだろう?」

 

民ちゃんは首を横に振った。

 

「怪我をしていっぱい心配をかけてしまってごめんなさい。

リアさんとの邪魔をしてごめんなさい。

それから...。

チャンミンさんは...。

チャンミンさんは...。

もう一人お兄ちゃんができたみたいで、心強かったです」

 

「僕は、民ちゃんのこと一度だって『妹』なんて思ったことはないよ。

だって僕は...」

 

民ちゃんの片手が僕の口を塞いだ。

 

「私もチャンミンさんのことを、お兄ちゃんだと思ったことはありませんよ。

血が繋がっていればよかったのに...。

悩まなくてすんだのに...ね?

ふふふ」

 

「それって、どういう意味...?」

 

勢いよく民ちゃんは立ち上がった。

 

「引っ越しは一人で大丈夫です!」

 

「手伝うよ!」

 

「段ボール箱5つしかないんですよ?

宅配便で送る手続きをしましたから。

私は身一つでOKなのです」

 

今度こそ民ちゃんが遠くにいってしまう。

 

「今までありがとうございました。

1か月の間、おうちに置いてくださって。

チャンミンさんったら、私にそっくりなんだもの...。

人生の中でベスト3に入るくらいの一大イベントでした」

 

「おうちに遊びに来てくださいね」の台詞は聞けなかった。

 

ユンだとか、『例の彼』だとか、ライバルの存在よりももっと恐れなくてはならないこと。

 

それは、例え僕に対して恋愛感情がなかったとしても。

 

異性の一人として見てくれる心...。

 

民ちゃんの心が僕に向けて開かれていなければ、僕の出番はずっと訪れない。

 

「リアのことは誤解だ、放っておいていいんだ」と言い切って、自分の気持ちを民ちゃんにぶつけてしまえばよかった。

 

「リアさんのことを放っておくなんて、チャンミンさんは酷い男ですね」と、軽蔑の目で見られること。

 

それが怖かったんだ。

 

どう思われるかにばかり意識がいってしまって、本音を言い逃してしまう。

 

この一瞬の躊躇が、せっかくのチャンス...。

 

民ちゃんが与えてくれたチャンス...を逃してしまった。

 

民ちゃんのことを、単純で騙されやすい子だと見くびっていた。

 

あの大きな、綺麗な眼は、ちゃんと相手の心の機微も読み取っていたのだろう。

 

「本当にありがとうございました」

 

深々と頭を下げた民ちゃんの、白いガーゼが痛々しかった。

 

民ちゃんは、ずずっと鼻をすすって、左右非対称に涙目を細めた。

 

「私たちって、顔だけじゃなく性格も似てますね」

 

「え...?」

 

民ちゃんの顔がすっと近づいた。

 

ふわっと民ちゃんの甘い香りに包まれる。

 

「あ...」

 

あっという間のことだった。

 

「おやすみなさい!」

 

耳を真っ赤にした民ちゃんの後ろ姿を、茫然と見送った。

 

僕は民ちゃんの唇が触れた頬を押さえて、馬鹿みたいに呆けていた。

 

リアの帰宅を待ち続けた自分と、今の自分は全然変わっていなかった。

 

 

 

引っ越しの朝。

 

6畳間を覗いたら、民ちゃんはもういなくなっていた。

 

カバーもシーツも外された布団は3つ折りにされ、クローゼットも空っぽだった。

 

きっちりと畳まれたストライプのシャツの上には、スペアキーと、紙幣の入った封筒。

 

そして、

 

『ありがとうございました。

さようなら』

 

と書かれた便せんが置かれていた。

 

 

 

 

民ちゃんがいなくなって1か月経った。

 

Tからは、お礼の品だと言って郷里の米やら、名産の果物やらが届けられた。

 

さりげなく民ちゃんの近況を尋ねたら、「元気そうだ」とのことでホッとした。

 

ユンのオフィスへは、一度だけスケッチをとるために足を運んだ。

 

巧妙に時間をずらしているのか、民ちゃんと顔を合わせることはなかった。

 

ユンの方も、打ち合わせ場所に自身のオフィスではなく、ホテルのロビーや僕の会社を指定するようになったから、あの日以来民ちゃんと会っていない。

 

全てが虚しかった。

 

民ちゃんの新しい住まいがどこなのか、僕は知っている。

 

だって、一緒に選んだ部屋なのだから。

 

それなのに。

 

僕はまだ、民ちゃんの部屋を訪ねていけないでいる。

 

 

(つづく)

 

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