~チャンミン~
翌朝、朝食のテーブルを僕と民ちゃんは囲んでいた。
「携帯電話を盗まれてしまったので、今日、新しいものを買いに行ってきます」
「ないと不便だよね」
「バッグもなくなっちゃいましたね」
「何か貸そうか?
そうだ!
あげるよ、僕のものでよければ?」
「ありがとうございます。
でも、エコバッグがあるので、それで十分です」
「財布も新しいものがいるよね」
「そうなんですよねぇ。
中身よりお財布の方が高かったんですよ。
買わないといけませんね...」
民ちゃんのその言葉に、お財布を贈ろうと心に決めた。
次の休みに、民ちゃんを連れだして好きなものを選んでもらおう。
民ちゃんに何かを贈りたいとずっと思っていたから、いい口実ができたと喜んだのもつかの間。
あ...!
次の休みと言えば、民ちゃんの引っ越しの日じゃないか。
もう、その日が来てしまうんだ。
民ちゃんは僕の家を出て行ってしまうのか。
ここにいるのもあと2日しかないのか。
のん気に財布を贈ろうなんて、計画している場合じゃない。
・
「ユン...じゃなくてユンさんは、どんな風だ?」
何かいやらしいことされていないか?」
夕食後のTVタイム。
僕はビール、怪我のためアルコールがNGな民ちゃんはマンゴージュースを飲んでいた。
話したいことは本当は別にあるのに、口火を切るきっかけが作れない僕は、ユンのことを尋ねていた。
「まさか!」
僕の突然の質問に、きょとんとした顔だ。
ユンが民ちゃんの顎に触れたあの指、計算づくの行動だと分かった。
民ちゃんは気付いていないだろうけど、ユンは民ちゃんに気があるんだよ。
ユンは多分、男もいける口だから、民ちゃんなんか恰好の餌食なんだよ。
でも。
ユンの気持ちもよく分かる、と思った。
ぱっと見は男そのものなのに、思考や話し言葉、仕草が女で(民ちゃんは女の子だから当然だけど)、それなのに、カマっぽいのとは違うんだ。
民ちゃんは自分に似合うものをただ着ているだけだし、女っぽくみせようと無理もしていない。
のびやかに自然体なんだ。
ところが、不意打ちに無意識の色気を出してくるから、それにあてられる。
「ユンさんは、どんな人?」
「えーっと...よく分かりません...」
「どういう意味?」
「びしっと決めた外の顔しか見たことがありませんから。
だから、大人で成功していて、才能がある人だとしか言えません」
同じような台詞を前にも聞いたことがあった。
「年上の人が好きなの?」
曖昧にぼかして尋ねてみた。
「そんなつもりはないのですが。
私を、ありのままの私を褒めてくれた人が、たまたま年上の人だったってことで。
褒められてすぐにその気になっちゃうなんて、つくづく単純ですね」
民ちゃんは今、誰を思い浮かべて語っているのだろう。
上司であるユンのことなのか、それとも『例の彼』のことなのか。
どちらについて語っているのか分からなかった。
民ちゃんが突然、パチンと手を叩くから驚いて飛び上がった。
「はい!
ユンさんの話はこれでおしまいです!
そんなことより!
私...チャンミンさんに聞きたいことがいっぱいあるんです」
「きたか」と覚悟した。
民ちゃんが何を尋ねたいのか、わかっていた。
「聞きたいことって、何?
何でも答えるよ」
「チャンミンさんは私に説明する義務はありませんし、
そのことをチャンミンさんに質問する権利は私にはありません。
単なる私の子供っぽいヤキモチなんです」
「民ちゃんがヤキモチ?
どうして?」
少し嬉しくてとぼけたフリをした。
民ちゃんに質問されるまま、全部説明しようと考えたのだ。
民ちゃんのことだ、細かく質問してくれるだろう、と。
ところが。
「チャンミンさん。
今日も頭を洗ってくれてありがとうございます」
話題が変わってしまった。
「大したことないよ。
民ちゃんがここに来る時に、Tから任されていたから。
やるべきことをやったまでだよ」
僕が言いたいのはそんなことじゃないのに。
「チャンミンさんとの『恋人ごっこ』楽しかったですよ」
「僕も楽しかったよ」
「これが現実だったら、すごいなぁと思いました。
チャンミンさんが本当の彼氏だったら、楽しいだろうなぁ、って。
どうしてなのか...チャンミンさんはわかりますか?」
「それは...」
民ちゃんの顔が今にも泣き出しそうで、うろたえてしまった僕はうまく言葉が紡げない。
「でも、そういう訳にもいきませんし、ね?」
「え...」
「チャンミンさんにはリアさんがいるし、リアさんのことを大事にしなくちゃならない時ですよね?」
「違うんだ」
普段のんびりとした話し方の民ちゃんが、口をはさむ隙のない早口だった。
「チャンミンさんはリアさんのことを大事にしなくっちゃ!
リアさんのことを放っておけませんよね?」
民ちゃんは透き通った美しい1対の目で、まっすぐ僕を見ていた。
ここは頷くべきなのか。
リアは浮気をしていたこと。
妊娠騒ぎも僕が関与しないことだったこと。
はっきりと否定して、民ちゃんの誤解を解くべき時だったんだと思う。
どんな言い方であれ、責任逃れの言葉に聞こえてしまったとしても。
でも、一瞬の間に浮かんだ「無責任な男には思われたくない」との思いが、絶好の機会を失わせてしまった。
民ちゃんが与えてくれた、言い訳のチャンスを僕は自ら逃してしまったのだ。
後になって、この時の自分を悔やんだ。
心の底から。
(つづく)
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