~チャンミン~
「私みたいなおっちょこちょいが来て、チャンミンさんを煩わせてしまいました」
「煩わせてなんかいない...。
僕は民ちゃんが来てくれて、楽しかったんだ。
リアとじゃなくて、民ちゃんと...」
「ダメですよ!」
民ちゃんの鋭い声に僕は、びくりとした。
「よそ見してたらダメですよ」
「え...!?」
民ちゃんはもしかして...僕の気持ちに気付いて...いる?
「美味しいご飯を作ってくれてありがとうございました。
お洋服もいっぱい貸してくれて助かりました。
それから...。
コンテストを見に来てくれて嬉しかったです。
それから...。
お部屋探しを手伝ってくれてありがとうございました」
「待って、民ちゃん」
全部がお別れの言葉に聞こえてきた。
「花火...出来ませんでしたね」
「いつだってできるだろう?」
民ちゃんは首を横に振った。
「怪我をしていっぱい心配をかけてしまってごめんなさい。
リアさんとの邪魔をしてごめんなさい。
それから...。
チャンミンさんは...。
チャンミンさんは...。
もう一人お兄ちゃんができたみたいで、心強かったです」
「僕は、民ちゃんのこと一度だって『妹』なんて思ったことはないよ。
だって僕は...」
民ちゃんの片手が僕の口を塞いだ。
「私もチャンミンさんのことを、お兄ちゃんだと思ったことはありませんよ。
血が繋がっていればよかったのに...。
悩まなくてすんだのに...ね?
ふふふ」
「それって、どういう意味...?」
勢いよく民ちゃんは立ち上がった。
「引っ越しは一人で大丈夫です!」
「手伝うよ!」
「段ボール箱5つしかないんですよ?
宅配便で送る手続きをしましたから。
私は身一つでOKなのです」
今度こそ民ちゃんが遠くにいってしまう。
「今までありがとうございました。
1か月の間、おうちに置いてくださって。
チャンミンさんったら、私にそっくりなんだもの...。
人生の中でベスト3に入るくらいの一大イベントでした」
「おうちに遊びに来てくださいね」の台詞は聞けなかった。
ユンだとか、『例の彼』だとか、ライバルの存在よりももっと恐れなくてはならないこと。
それは、例え僕に対して恋愛感情がなかったとしても。
異性の一人として見てくれる心...。
民ちゃんの心が僕に向けて開かれていなければ、僕の出番はずっと訪れない。
「リアのことは誤解だ、放っておいていいんだ」と言い切って、自分の気持ちを民ちゃんにぶつけてしまえばよかった。
「リアさんのことを放っておくなんて、チャンミンさんは酷い男ですね」と、軽蔑の目で見られること。
それが怖かったんだ。
どう思われるかにばかり意識がいってしまって、本音を言い逃してしまう。
この一瞬の躊躇が、せっかくのチャンス...。
民ちゃんが与えてくれたチャンス...を逃してしまった。
民ちゃんのことを、単純で騙されやすい子だと見くびっていた。
あの大きな、綺麗な眼は、ちゃんと相手の心の機微も読み取っていたのだろう。
「本当にありがとうございました」
深々と頭を下げた民ちゃんの、白いガーゼが痛々しかった。
民ちゃんは、ずずっと鼻をすすって、左右非対称に涙目を細めた。
「私たちって、顔だけじゃなく性格も似てますね」
「え...?」
民ちゃんの顔がすっと近づいた。
ふわっと民ちゃんの甘い香りに包まれる。
「あ...」
あっという間のことだった。
「おやすみなさい!」
耳を真っ赤にした民ちゃんの後ろ姿を、茫然と見送った。
僕は民ちゃんの唇が触れた頬を押さえて、馬鹿みたいに呆けていた。
リアの帰宅を待ち続けた自分と、今の自分は全然変わっていなかった。
・
引っ越しの朝。
6畳間を覗いたら、民ちゃんはもういなくなっていた。
カバーもシーツも外された布団は3つ折りにされ、クローゼットも空っぽだった。
きっちりと畳まれたストライプのシャツの上には、スペアキーと、紙幣の入った封筒。
そして、
『ありがとうございました。
さようなら』
と書かれた便せんが置かれていた。
・
民ちゃんがいなくなって1か月経った。
Tからは、お礼の品だと言って郷里の米やら、名産の果物やらが届けられた。
さりげなく民ちゃんの近況を尋ねたら、「元気そうだ」とのことでホッとした。
ユンのオフィスへは、一度だけスケッチをとるために足を運んだ。
巧妙に時間をずらしているのか、民ちゃんと顔を合わせることはなかった。
ユンの方も、打ち合わせ場所に自身のオフィスではなく、ホテルのロビーや僕の会社を指定するようになったから、あの日以来民ちゃんと会っていない。
全てが虚しかった。
民ちゃんの新しい住まいがどこなのか、僕は知っている。
だって、一緒に選んだ部屋なのだから。
それなのに。
僕はまだ、民ちゃんの部屋を訪ねていけないでいる。
(つづく)
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