チャンミンのそこに伸ばしかけた俺の手。
逡巡の末、こぶしとなって俺の膝上に戻すしかなかった。
何をしようとしていたんだ?
手の平にかいた汗がねばついて気持ちが悪かった。
...何を確かめようとしていたんだ?
俺と同じ昂りを、触れて確かめようとしていたのだ。
「門限まで少しです。
行きましょうか」
チャンミンはエンジンをかけると、往来へと車を出した。
この車は5年前、俺の送迎の為に用意されたもので、几帳面なチャンミンによってピカピカに磨きたてられていた。
学校への往復のみで、それ以外の...例えば日帰り旅行など...の目的で走らせたことがない乗り物だった。
チャンミンと2人、遠出をしても別段おかしいことじゃない。
チャンミンは俺の世話係なんだから、どこへでも連れまわしても許されるのに、なぜか抵抗があった。
俺たちの関係は、実のところ家族に知られても構わないのだ。
なぜなら、チャンミンはアンドロイドだから。
一般的にアンドロイドとは、恋人代わり、配偶者代わりに側に置くケースが非常に多いからだ。
チャンミンとの関係は、そんなんじゃないんだ。
チャンミンにとって俺は絶対的な主人で、俺の命令に応え仕える役目だから、恋人役に応じているわけじゃないんだ。
それから、チャンミンの性別が男である点が、頭の硬い、旧時代的な思想しかない父親や、男子を嫌っている母親からの心象が悪くなる。
・
「キスが好きです」と、チャンミンも言っていたじゃないか。
俺が抱いている「好き」と同じだといい。
...身体は嘘をつけない。
そこで言葉だけじゃ「好き」の意味が推し量れなくて、手で触れて確かめたかったのだ。
・
宿舎学校までの数キロの間、俺たちは無言だった。
光に吸い寄せられた虫がヘッドライトに衝突するのを、俺は見るともなく眺めていた。
前方に注意を払ったままのチャンミンは、何を考えているのだろうか。
21時の閉門時間まで余裕の30分、門扉の鍵は開いていた。
宿舎を囲む林は暗闇に沈み、門柱の外灯が唯一の光源だった。
生徒の大半は戻ってきているようで、8割の部屋から灯りが漏れていた。
「あとはひとりで行ける。
気を付けて帰るんだよ」
部屋まで運ぶというチャンミンから、ボストンバッグを取り上げた。
「ユノの話、来週まで考えさせてください」
「...え?」
チャンミンの言葉の意味が分からなかった。
問いただそうとした時には、チャンミンは素早く車に戻ってしまった後だった。
ところが車はすぐには発進しない。
俺が宿舎に戻るまで見送るつもりだ。
俺たちの気持ちは通じ合っているはずなのに、なぜだか常に寂しさがつきまとっている。
チャンミンが遠い。
一緒にいるのに、なぜだか寂しい。
俺たちの恋は誰にも相談できない。
・
バッグを投げ出し、ベッドに寝転がる。
課題は全て済ませてあり、娯楽室まで出て級友たちと会話する気になれなかった。
「...どうしようか」
半年後の身の振り方を真剣に考える時がきていたけれど、具体的な案が思いつかない。
チャンミンを連れて屋敷を出るには、何が足りない?
...足りないことばかりだ。
親の庇護のもと、甘やかされた、世間知らずのぼんぼんに何ができる?
父親の望み通りに大学に進学するのが、波風立てずに物事は進む道だ。
俺一人ならどうとでもなる。
チャンミンが一緒だと、二人分の食い扶持をどうすればよいのかという問題が持ち上がってくる。
チャンミンを手放さずにいたければ、多少の狡さは必要なのかもしれない。
俺が不在になる平日の間、屋敷でのチャンミンへのあたりはキツくなっているように感じる。
俺に仕えるのが役目なのに、雑役夫の扱いになっているのは、屋敷に居続けるために13歳だった俺が考えた方法だったけれど。
半年以内になんとかしないと!
・
金曜日の夕方5時。
ワインレッドの車は既に停まっていた。
チャンミンは読書に集中していて、俺の登場に気付いていない。
終業後、部屋に寄らずに走ったおかげで、普段より十数分早く校門を出ていた。
むっつり唇を引き結び、眉間にしわを寄せているから、深刻なシーンに差し掛かっているんだろうな。
運転席の窓ガラスをノックすると、読んでいた本を放り投げ、飛び上がって驚くチャンミン。
ダイナミックな驚き方は、チャンミンらしい。
屋敷への道中、チャンミンは俺が不在だった間の出来事を話してくれる。
屋敷で大きな変化があったという。
新しいアンドロイドが加わったのだ。
それも、少女型のアンドロイドだという。
(つづく)
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