僕は乾燥機から出した洗濯物を畳んでいた。
時刻は23時過ぎ。
就寝時間過ぎで、フロア全体静まり返っている。
食堂も廊下も照明が落とされ、スタッフステーションだけが煌々と明るい。
ユノがやってきてから、洗濯をこの時間帯にするように変えたのだ。
ユノには見られたくないものがあった。
それは、女性ものの下着だ。
婚約者のワンピースを脱がせるのが僕の役目で、ファスナーを引き下ろす音、徐々に露わになる背中の素肌、最後にすとんとそれが足元に落ちる。
その一連の工程のなんと官能的なことか。
僕もされる側になりたいと、心の底から望むようになった。
彼が留守の間、内緒で着てみることもあった。
エスカレートした僕は、女性ものの下着を買い求めるようになった。
そして、ある日。
彼は全てのワンピースを...僕が贈ったワンピースをクローゼットに残したまま、僕の元から離れていってしまった。
彼が残していったものはもうひとつある...婚約指輪だ。
それは今、僕のお腹の中にある。
畳み終えた衣類をバスケットにおさめ、部屋へ戻ろうと席を立った時、ユノが洗濯室へやって来た。
シーツを抱えていた。
「...ユノ!」
下着を見られたらいけない、バスケットを身体の後ろに隠した。
「あれ?
まだ起きていたんだ?」と訊くと、
「ベッドメーキングに失敗した。
床に落としてしまって」
と、ユノはたっぷり消毒液をスプレーした洗濯槽に汚れたシーツを放り込んだ。
ユノをひとり残して部屋に戻るのも、部屋でひとりになるのも寂しくて、洗濯室にとどまった。
僕はベンチに座って、テーブルに頬杖を付き、ユノはその場に立ったままだった。
「落ち着かないから...座ったら?」
「そうだな」
座面がびしょびしょになるまで消毒液をスプレーし、除菌シートで拭き清め、さらにタオルを敷いた上にユノは腰掛けた。
ユノの儀式...許容範囲にするまでの行程が済むまで、僕は急かず待った。
約1週間の仮病期間を終えた僕は、少しずつ普通の生活に戻しつつあった。
それでも、ユノと共に行動するのを以前より控え目にしていた。
深夜にさしかかる時間帯、ユノの部屋で二人きりでいるのがバレるより、洗濯室にいるところを目撃される方がマシだった。
洗濯機が回るモーター音と、ざぶざぶ水しぶきの音が室内に響いている。
僕らは沈黙が怖くない...それぞれもの思いにふけるこの時間が心地よかった。
ユノの視線は、洗濯機の丸い窓に注がれていた。
物が綺麗になっていく過程は、ユノにとって癒しなんだろうな。
僕は洗濯室の隅に置かれた、背丈ほどある精巧な観葉植物のレプリカを眺めていた。
(実在する植物なのだろうか?どぎつい赤色の花を咲かせている)
彼は今頃、何をしているだろう。
浮気相手と一緒にいるのだろうか。
それとも、別の誰と一緒にいるのだろうか。
「はあ...」
「おい、ため息なんてついて。
俺といるのがそんなに退屈なのか?」
「違う、違うって」
ため息をユノに咎められてしまった。
「彼のことを思い出していたのか?」
「...うん、そんなとこ」
ユノには誤魔化さない方がよいと思い、正直に答えた。
「どんな人だった?」と、尋ねられた。
「活動的な人だった。
何をやっても器用だから、すぐにものにしてしまうんだ。
料理はもちろん、アマチュアバンドを組んだり。
僕を捨てていった頃は、トライアスロンに夢中で大会出場を狙っていた。
僕はインドア派だったから、彼にしてみたら物足りなかったかもしれない。
これが愛想を尽かされる理由だったりして...ははは」
「駄目になってしまう理由は、ひとつだけじゃないさ。
少しずつ小さな事柄の寄せ集めだよ」
「ですよね」
がっくりして、テーブルに伏せてしまうと、案の定、ユノは「信じられない」と言った表情だ。
「汚くてキスできない?
ふふふ」
ユノは「俺をからかうな」と眉間にシワを寄せた。
「チャンミンがイヤになったんじゃなくて、浮気相手が魅力的過ぎたとしたら?
魅力的って言い方も語弊があるなぁ。
共通の趣味だとかさ。
チャンミンに落ち度は全くないよ」
「浮気相手は職場の上司だよ。
趣味仲間じゃないんだ
浮気が本気になって、あっちが本命になっちゃったんだよねぇ」
「悪い」
「いいって。
僕の方はだいたいケリはついたから。
...ねぇ」
僕は手を伸ばし、ユノのマスクから1センチのところで止めた。
その距離を保ったまま、指先でユノの唇をなぞってみせた。
ユノの唇には一切触れていない。
マスクに覆われたユノの唇を、その凹凸を想像しながら、指先を往復させた。
真っ黒な液体をたたえた泉のようなユノの瞳、水面にさざ波がたっている。
水面を撫で吹く風は、強くなってゆく。
(つづく)
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