僕はユノの部屋を訪れていた。
パジャマ姿の25歳男子二人が、ベッドの上でティタイム。
神経を刺激する青白い天井灯は消し、温かい枕元の灯りだけで落ち着ける。
アルコール禁止の場所だから、ほのぼの平和な光景になってしまっても仕方がない。
でも、話題は深刻だった。
僕はユノの為に十分煮沸消毒したお茶道具で紅茶を淹れた。
ユノは僕の為にホワイトチョコレートを取り寄せていた。
中庭の散歩だけでは話し足りず、就寝前の1,2時間をユノの部屋で過ごすことも多かった。
会話だけじゃ物足りず、キスを交わしたり、それ以上のこともすることもあったりして...でも、本番は未だだった。
十分ユノの指でほぐされてきたから、いつその時が訪れても大丈夫なんだけどね。
「で...スタッフから何か言われたのか?
その話がしたいんだろ?」
僕は頷き、齧りかけていたチョコレートを皿に戻した。
「退所することになった」
「えっ!?
...あちっ」
僕の発言に驚いたユノは、口をつけていたマグカップを揺らしてしまい、唇を火傷してしまったようだった。
「退所?
退所って...退所...かぁ」
ユノは視線を僕の膝元に落とし、大きな手で口元を覆い、噛みしめるように「退所」と繰り返していた。
「...正式な話は明日だけど多分、『いついつまでに退所してくださいね』っていう話だと思う」
「...ここは、『おめでとう』と言うべきなんだろうね」
ユノはトレーを押しやると、僕の隣までずりずり移動して僕の肩を抱いた。
僕はユノの肩に頭をもたせかけた。
「『おめでとう』なんて言えるかよ、俺は嫌だ」
期待していた言葉がもらえてニマニマする僕は、呑気なものだ。
ユノの答えは分かっていたくせに、「どうして?」と尋ねる僕に、彼は「マジかよ?」と目を剥いた。
「ごめん。
『おめでとう』って言われたらどうしようかと思った。
だから、嬉しい。
僕は退所したくないよ」
3年前の僕は打ちひしがれ過ぎていて、LOSTを退所する日の姿など想像できなかった。
自身の世界に引きこもり、無くした彼との思い出を何万回と反芻していた。
時の経過と共に、次第に周囲の景色や、他の入所者が視界に入るようになり、退屈さを感じるようになり、社会復帰した時の姿をリアルに想像できるようになった時。
ユノと出逢った。
このままLOSTに暮らし続けたい...理由はシンプルだ。
ユノの側にいたいから。
「前みたいな引き延ばし作戦はもう使えない。
僕たちは仲良すぎるって、スタッフたちに気づかれてると思う。
夜の見回りの回数が1回分、増えたことに気づいてた?」
「あー、確かにそうかも。
でも、毎晩確認しているわけじゃないけれど。
寝付きは悪いけど、寝入ってしまったら朝まで眠れるようになったんだ」
「そうだね。
ユノの顔色、とてもよくなった」
間近にあるユノの頬をつんつんつついた。
しっとりときめの細かい肌だ。
目の下の隈は薄くなり、パサついていた髪は艶を取り戻していた。
入所して数カ月足らずで、こうも分かりやすく生き生きと変化した姿に、これでいいのかなと信じられない気持ちになる。
『ゆっくりゆっくり』
ユノの恩人の台詞が思い出される。
ユノ、慌ててないよね?
・
「いつ頃になりそうなの?」
「歴代の退所者を見てきた感じだと...1週間か2週間後かな」
「あと少しじゃないか...」
「うん...ここを出たくないよ
イヤだよ...ユノと居たいよ」
僕は膝に顔をうずめた。
「そう言ってもらえて嬉しいよ」
僕の肩を抱いたユノの腕に力がこもった。
「でもさ、ここに居なくても大丈夫になったことは喜ぶべきだね。
俺はボロボロだったチャンミンを知らないけど、俺がここに来た時よりも明らかにチャンミンは明るくなったよ。
ワンピースも似合ってきて、可愛くなった」
「ふふっ」
「......」
...と、ユノは考え事にふけり始めた。
火傷を負ってぷくっと腫れた下唇を親指で撫ぜていた。
それは熟れすぎた果実で、張りつめた皮はとうとう破れ、真っ赤な果汁が滴り落ちる。
色っぽいなぁと見惚れていていると、「どうした?」とユノと目が合った。
「ううん、何でもない」
「ねぇチャンミン。
『もう平気だからここを出してくれ』と頼んでも、出してもらえないんだよな?」
「そうなんだ。
退所の判断は、あくまでもLOST側だ」
「そっかぁ...だよなぁ」
ユノは立てた両膝の間に、がっくりと首を落とした。
実はもうひとつ、LOSTを出る方法がある。
ラムネを飼い始めた入所者も、その方法を使ってここを出た。
不可能ではない。
ユノと僕はこの方法を実行するしかないのだろう。
困難な方法だけど、やるしかないようだ。
「チャンミン」
両膝の間で俯いているから、ユノの声はくぐもって聞こえる。
「なあに?」
「今からお前から指輪を取り出してやるよ」
「え...っ?」
3年前、絶望のあまり飲み込んだ婚約指輪のことだ。
勢いよく身体を起こしたユノの眼差しは、切羽詰まった真剣なものだった。
「時間がない。
俺もチャンミンのために、何かしてやりたいんだ」
「ユノ」
ユノの手は僕のうなじに添えると、ぐいっと自身の元へと引き寄せた。
僕らは口づけ合った。
(つづく)
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