クローゼットの中身を整理していた。
丈順に並べていたワンピースを、虹色の順に吊るし直していた。
ノック音にドアを開けると、そこにユノが立っていた。
「今、時間いいか?」と僕の返事を待たずにズカズカと部屋に入ってきた。
(ユノは相変わらず強引な男だ)
ユノが僕の部屋の中まで入ってきたのは、初めてのことかもしれない。
用がある時は戸口で済ませていたし、ユノの部屋で時を過ごしていた。
なぜなら、僕の部屋の清潔度を信用していない以上に、ユノ自身が僕の部屋を汚してしまうことを恐れていたからだ。
「僕の部屋までわざわざ、何?
あらたまった話かな?」
「話し足りないことがいっぱいあってな...。
あと少ししかないし」
ユノはマスクを外した。
「そうだね」
僕はユノの隣に腰を下ろした。
ユノが座るのは携えてきたバスタオルを敷いた上で、この点は別段おかしいことでも、僕が傷つくことでもない。
僕らの身も心も結びついたからと言って、ばい菌への恐怖心がユノから消えたわけじゃないのだ。
あの最中は心身が燃えており、理性も症状の自覚も吹っ飛んでしまっているだろけど、素面の時はやはり、僕と触れ合うのに一瞬の躊躇があるようだ。
僕の部屋の中にユノが居ることが慣れない。
ユノの部屋でもいいのに敢えて僕の部屋をチョイスしたのには、僕と関わるようになったことで、1つ1つ克服してゆきたいリストが生まれたんだろうな。
そのひとつが、『他人の部屋で時を過ごす』なんだろうな。
「話だけかな...それとも、2度目のアレをしちゃうとか?」とえっちな僕は内心、むふむふしていた。
「LOSTに来てつくづく思ったことがある。
チャンミンと話していて、よ~く分かったことがある」
「何?
僕、何か変なこと言ってたっけ?」
「うん。
チャンミンの『小箱』の話がいい例だな。
思いや感情を、心の目で見える形にイメージすることの効果についてだ。
寂しい哀しい、苦しみから抜け出したい感情を、ただ「苦しい」の言葉で片付けるんじゃなくて、イメージ画に起こす作業は効果大だなぁ、と思ったんだ」
「イメージ...ですか」
「苦しさの大きさを箱のサイズに言い換えたり、持て余す苦しい気持ちを箱ん中に仕舞うイメージでやり過ごしたり...。
主観的なんだけど客観的...みたいな?
感情の変化も、箱が小さくなったとか、箱の中身が暴れたとかイメージすることで、チャンミンはこの3年間を耐えてきたんだろうな」
「あ...確かにそうだね」
そこにあるであろう心の小箱の存在を感じようと、胸に手を当てた。
しん、と静まり返っていた。
ユノは手袋を外した手で僕の指をとを絡めてきた。
「いいかチャンミン。
イメージって大事だよ。
チャンミンの小箱の鍵はずっと前、俺が飲み込んだよな?
あの時、俺たちは『鍵』というイメージを共有したよな?」
「うん」
「さて問題。
そのカギはどうなったと思う?」
そう尋ねたユノは上目遣いになって僕を覗き込んだ。
下まつ毛が1本1本数えられるほどの距離だ。
充血が消えた白目は澄んでいて、目の下の隈はより薄くなっていた。
「えーっと...ユノのお腹の中?」
「ぶー。
不正解」
ユノはなぞなぞに間違えた子を前にした、いたずらっ子の顔になっていた。
「え~、分かんない。
どこにあるの?」
「正解は...」
わざとらしく10秒間溜めるユノを、僕はジリジリしながら答えを待った。
「もうありません!」
「へ?」
意外な回答だった。
「ない?」
ユノのお腹の中で、消化液で溶けてゆく鍵がイメージとして浮かんでいた。
「消えちゃった。
無くなっちゃった」
「...?」
「鍵がなくても、チャンミンの小箱は問題無しだ。
だって...空っぽになったんだから。
箱の中身がないのなら、そもそも論、鍵なんて要らないだろ?
だからもう、恐れる必要はないさ。
チャンミンなら大丈夫だ。
退所できる、ってことはそういうことだろ?
彼のことは忘れられない...でも、新しく恋をした。
相手は俺なんだけどな。
いいか?
イメージが大事なんだ。
チャンミンから指輪を取り出してやろうと思ったけれど、それが無理だったのは、もう消えて無くなっていたからなんだ。
なあんて...どうかな、この考えは?」
「素敵だね」
「だろ?」
ユノの言う通りだろうな、きっと。
僕を置いて出て行った婚約者の顔も、心を襲った激痛も、喪失の鈍痛に長らく苦しんだ記憶も全部、この時の僕の頭から消えてしまっていた。
さらには、心の小箱の像も消えてしまっていた。
そうあって欲しい。
・
「チャンミンはここを出たら...どこへいくんだ?
お前んちはあっちだろ?」
ユノは荒野の彼方を指さした。
「LOSTに来る前はあっちに住んでた。
でも、これからはどこに住むのかは未定だよ」
実際は、住まいも職も既に決まっていた。
僕らの部屋は中庭に面している。
開け放つことのできないルーバー窓を叩き割れば出口のひとつになる。
ただ、地上まで下り立つまでの手段がないし、中庭と荒野を隔てるフェンスは鉄条網のネズミ返しが付いている。
シーツをつなぎ合わせたロープを下りる姿を思い浮かべてみたけど、現実的じゃない。
悪だくみをよそに、高く澄んだラムネの鳴き声は平和で、僕の部屋まで十分届く。
「ユノがいないのに...LOSTを出てからの暮らしを想像できないよ...」
「俺も。
チャンミンがいなくなってLOSTに残されて、俺はどうしたらいいんだろう。
辛いなぁ。
喪失感から抜け出すためにここに来たのに、この場所で新たな喪失体験を生んでどうすんだよ?って感じだな。
脱獄犯にでもなろうかと、本気で思うよ」
ユノの言葉に、僕は決心した。
出口のあてはついていないが、ユノの耳に悪事の計画を吹き込もうではないか。
「ユノ」
「どうした、顔が怖いぞ」
僕はユノの両手を握りしめた。
「ここを逃げよう」
「え?」
「僕とLOSTを逃げ出そう」
「...逃げる?」
「僕とユノ、2人でここから逃げよう」
(つづく)
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