(41)あなたのものになりたい

 

 

~ユノ~

 

俺とチャンミンは、屋台で買った焼き芋をはふはふと齧りながら公園を歩いていた。

 

冬期間ということで、半分以上の屋台はシャッターを下ろしていた。

 

秋の頃、歩道を覆っていたイチョウの落ち場は、業者によって処分されたのか姿を消し、代わりに先週降った雪の名残が歩道脇に溶け残っている。

 

遊具のある一帯は、子供たちが遊びまわった足跡で雪が踏み固められていた。

 

冬の川は物静かだ。

 

魚たちも川底でじっとしているのだろう。

 

「寒いところで温かいものを食べるのって、幸せですね~」

 

チャンミンの口から『幸せ』のワードを聞くと、俺も幸せになる。

 

湯気でチャンミンの鼻が赤くなっていた。

 

「甘くて美味しいです」

チャンミンに紺色のダッフルコートがよく似合っていた。

ぐるぐる巻きにしたマフラーの下には、青いチョーカーを付けたチャンミンの細い首がある。

 

ほとんど付けることのなくなったチョーカーだけど、たまに思い出したかのように...俺を喜ばせるために...装着してくれる。

 

以前、チョーカーを飾るダイアモンドを人差し指で揺らしながら、「これを付けていれば、お金がなくても沢山お買い物ができますね?」と言っていた。

 

「欲しいものがあるのか?」と尋ねたら、

 

「今はありません。

いつか欲しいものが出来るかもしれませんね」と笑っていた。

 

「自由に買い物すればいいさ。

チャンミンのカードなんだから」

 

ひとりで外出ができるようになったチャンミンの為に、カードを渡してあった。

 

見上げると薄青い空が広がり、葉を全て落した木々の梢の隙間から高層ビル群が覗いている。

 

平日の公園は人気少なく、すれ違ったのはジョギング中の若い女性、犬の散歩中の老人、乳母車を押した女性で、その他はベンチに汚れた厚着の中年が腰掛けうな垂れていただけだ。

 

小さなものが好きなチャンミンは、彼らに声をかけてみては、乳母車の暴風カバーの中を覗き込んだり、茶色の小型犬の喉を撫ぜたりしていた。

 

「お兄さんの誕生日はいつですか?」とおもむろに尋ねられた。

 

一瞬、間が空いてしまった。

 

なぜなら、誕生日を尋ねられる経験が2度しかなく、そのうちの1度がチャンミンからのものだった。

 

慣れていないのだ。

 

俺の回答にチャンミンは「やった!」とその場でジャンプし、相好を崩して俺の腕にしがみついた。

 

「嬉しそうだね、どうして?」

 

「ふふふ。

僕の誕生日...お兄さんと同じ月です。

大発見です」

 

「そうなんだ!」

 

チャンミンに誕生日があったのか...と、反射的に思いかけた自分に反省した。

 

出逢ったばかりの頃、誕生日にチョコレートを買ってもらったと話していたではないか。

 

あの店出身というだけで、チャンミンは天涯孤独の、憐れで可哀想な身の内だと決めつけてしまう。

 

チャンミンが見せる笑顔はからりと明る過ぎて、まともな人生を送ってきた者のものだとはとても信じられなかった。

 

「誕生月が一緒かぁ。

凄いね!」

 

「一緒にお祝いしたいです。

誕生日パーティです。

テレビでやってました。

ケーキやフライドチキンや、美味しいものをいっぱい準備したいです」

 

ご機嫌顔のチャンミンは、がぶりと焼き芋にかぶりついた。

 

「そうだね」と賛同した直後、チャンミンが突如むせはじめた。

 

「大丈夫か!?

芋か?」

 

チャンミンの背中を叩いてやり、スタンドまで走ってホットコーヒーを買った。

 

「...すみません。

ひと口が大き過ぎました。

ぽくぽくしていて、飲み込めなくて...死んじゃうかと思いました」

 

と、涙目のチャンミンは頭を掻いて照れていた。

 

「そうだね、チャンミンの口は大きいからなぁ」

 

俺はチャンミンの手を引き寄せて、ポケットの中で指をからめた。

 

チャンミンの指は焼き芋とコーヒーで温かく、かじかんでいた俺の指先にじんじんと血が通ってきた。

 

 

誕生日、のひとことで、ある思いが強まった。

 

「プレゼントに何が欲しいですか?」と尋ねられて、さらにその思いは強まった。

 

「『今』と『これから』があれば十分だと思っていた。

俺にとっての過去とは、忘れ去りたいものだ。

代わりに、新しい思い出を作ってゆくのが理想だと考えてきた」

 

突如語り出した俺に、チャンミンは俺の顔をじぃっと見つめた。

 

ひと言も聞き漏らさないぞ、と、耳をそばだてている。

 

「愛情が深まるにつれ、そいつの過去を知りたくなる。

そいつが黙っているのは、口にしたくないからだろ?

愛しているのなら、そいつに過去を尋ねてはならない。

ところが俺は、チャンミンの過去を無視できるほど出来た人間じゃない。

チャンミン、ごめん。

お前が言いづらくても、俺はお前の過去が知りたい」

 

「...お兄さん」

 

俺とチャンミンはしばし、目を合わせた。

 

「俺は...チャンミンが知りたい」

 

「僕の過去って...大したものじゃないです」

 

チャンミンは小さくため息をつくと、視線を足元に落とした。

 

「それでも知りたい。

どうしても言いづらい事だったら、『言いたくない』と答えればいい」

 

公園の奥まった所まで来るといよいよ人気はなくなり、木立のどこかにいる小鳥のさえずりだけになる。

 

木々のいくつかに餌箱がぶら下がっていた。

 

「『昔のこと教えて』、と言われると困ってしまいます。

毎日が同じことの繰り返しで、区別がつかないせいで、何を話したらいいか分からなくて。

お兄さんに隠したいことは何もありませんよ。

質問してくれたら、何でも答えられます」

 

俺たちは手を繋いで、広大な公園の遊歩道をゆっくりゆっくり歩いていた。

 

「あそこに、座ろうか?」

 

前方の東屋を指さした。

 

近づく俺たちに、三角屋根に止まっていたカラスが飛び立った。

 

ここ数日間、誰も立ち入らなかった証拠に、初めて足跡を付けたのは俺たちだった。

 

俺の隣に座ったチャンミンの手の平に、例のものをそっと置いた。

 

「...これって...?」

 

チャンミンに渡したのは、あの店から見つかった茶色の封筒...チャンミン宛の手紙だ。

 

「お兄さんが...どうして?」

 

やはり見覚えがある物らしく、それを俺が所持していたことに驚いているようだ。

 

「俺は狡いからね、チャンミンの過去は既に知っているんだ。

お得意の方法を使ってね。

チャンミンの過去といっても、ごくごく一部にすぎないけれど」

 

「?」

 

「店で見つかったんだ。

それ...大事な物なんだろ?」

 

「さあ...どうでしょうか。

忘れていました。

どうせ読めないし...」

 

「読んでみたらどうかな?」

 

「これ...?」

 

「俺は読んだ方がいいと思うな。

一緒に居てやるから」

 

「......今?」

 

「その気になれないのなら、読みたくなるまで俺が預かっておいてやるよ」

 

チャンミンは激しく首を振った。

 

「いいえ...読みます。

でもここは嫌です。

ここは寒いから。

おうちで読みたいです」

 

「分かった。

帰ろうか?」

 

チャンミンの手をとった。

 

(つづく)
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